2011年1月24日月曜日

なぜオンドルをやめてしまったの?

 比較的近所の上狛北遺跡現地説明会に行ってきました。
 恭仁京右京内の奈良時代の遺構・遺物が中心でしたが、私は古墳時代の住居跡の方に興味が湧きました。なぜならオンドルの跡があったからです。
 かねがね、古代国家の文化的先端集団であった渡来人がどうして素晴らしく合理的なオンドルをもってこなかったのか疑問であったからです。
 やっぱり、古くはオンドルがあったのです。・・とすると、さらに疑問ですが、このように合理的な文化(技術)を、いつの頃、なぜ、私たちの祖先は放棄したのでしょう。下って中世の日本は寒かったといわれているのに。それよりも兼好さんのように日本の夏の蒸し暑さのほうが堪らなかったのでしょうか。ご存知のお方に教えていただきたいと思っています。
 それにしても、京阪奈は遺跡だらけですね。
 今回の遺跡のすぐ北には、大量の三角縁神獣鏡で有名な椿井大塚山古墳があります。
 なお、見学中、私の隣におられたのは、近つ飛鳥博物館館長の白石先生でした。
 

2 件のコメント:

  1.  近っ飛鳥館には一度行ってみたいと思っていたのですがまだ行けてません。ところで白石館長は「畿内説」でしょうね。先日も纏向遺跡の桃の種の出土で俄然色めき立っていたようですがまだまだ続きそうで面白くなってきました。

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  2.  近つ飛鳥館は、敷地内の古墳を含め1日かけて見学してもよいほど馬鹿でかく充実しております。
     白石先生は、考古学と文献史学を照合しながら論を展開されていて説得力があります。巻向説と見えます。
     私は、日本列島の国家の起源は機内だと考えていますが、卑弥呼がそこに居たという確証は未だ得ていません。だから面白い。
     その論を支持しているわけではありませんが、森浩一著「倭人伝を読みなおす」(ちくま新書)なども、学問というか思索というものへの姿勢に感動します。森先生は九州説です。
     

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