久しぶりに半ば地元である秋篠寺を訪れました。
昨今の平城遷都ブームから取り残された同寺は、閑静な冬空の下、ビロードの絨毯を敷き詰めたような苔庭がキラキラと輝いていました。
国宝の本堂といい、あまりに有名な伎芸天の佇まいといい、過不足のない落ち着きが好ましい御寺です。
顔の傾け具合、伏目の様子、腰のウエーブ等々を評して東洋のヴィーナスなどと多くの文人墨客の筆にのぼった伎芸天ですが、もっと素直に感動すればよいように思います。
近頃有名になった近くのレストランで、娘とそのフィアンセから人生の決意を表明され、親としてはやれやれと安堵した記念日になりました。
窓の外に粉雪が舞い、暖炉の炎が部屋を彩るというこんなシチュエーションの幸せを、親や祖父母の時代に思いを致せとは言わないまでも、閉塞状態の現代社会にあって、そこそこ感謝しつつ頑張って欲しいと・・どっぷりとそう思う、そんな親馬鹿になりました。
しかし、聞けばフィアンセは相当な過重労働。子供らを不幸にさせないために、もの言わぬ高齢者などと隠居してはおられないと、じんわりと力が湧く思いです。
かって名優ヘンリーフォンダとキャサリーン・ヘップバーンの「黄昏(ゴールデン・ポンド)という映画がありました。永く絶縁状態にあった娘が婚約者とその連れ子を伴って父親に会いに来て最後は仲良くなってそれぞれの生活に戻っていくという映画でした。人生の黄昏時を迎えた男の哀愁がジーンとくる名画でした。シュチエーションは違いますが子供を育て親の責任を果たしたお二人の気持ちが伝わってきます。
返信削除そして、この世の中の不条理を正すためにも黄昏ている場合ではないとの御決意や立派!でも無理をせず出来ることから始めましょ。
ひげ親父さん。コメントありがとうございました。
返信削除怖いもの知らずで生きてこられた親の世代に比べ、子供たちを取り巻く社会状況は厳しいものです。どんなエールを贈るべきか心は乱れます。