今夜、大正生まれの義母に、小さい頃の思い出話パートⅡを聞かせてもらった。
・・・・・・田植えのときはハレの日なんで“しんこ”を作ったな。
米粉ともち粉を蒸して手の平で団子にし、村で共有していた“ねじり型”に入れて仕上げの蒸しをして・・それを砂糖醤油で食べたのが何んとも言えず美味しかったな。(写真は「聞き書き奈良の食事」)
その外のオヤツといえば、蜂の子、イナゴ、泥鰌、田螺、ザリガニ、沢蟹―――オヤツをお金で買った記憶はないな。(考えようによっては豊かなオヤツかも・・?)
そういう中で、オヤツではないけど「今日はご馳走!」といえば決まって鶏やった。鶏しかなかった。しかし、絞めているのを見てからは、とうとう何十年間も一切食べられなかったな。それを食べられるようになったのは孫(ウチの子)がケンタッキーフライドチキンを食べるのに付き合ってからや。今では“かしわ”は美味しいと思っている。孫のおかげやな。
食べ物ではないけど、寒い冬には牛糞の山に手を突っ込んで暖をとったもんや。藁しか食べていない牛糞は汚いなどと思ったことがない。今から考えると全て自前で生活していたもんな。豊かではなかったかも知れんけど、と言って貧しいわけでもなかったかも(結構な田を持っていた農家の娘の遠い思い出)。・・・・・・
今日の話はここまで。
草食系の男女子諸君。この祖父母世代の逞しさを噛締めるべし。チャンチャン。
記憶にあるのはイナゴとザリガニですナ、イナゴは布の袋の口に竹筒を括り着け原っぱで捕まえては竹筒に押し込み、掌でポン!と押し込みます。私はイナゴの顔が気味悪くて食べませんでした。ザリガニは当時の子供達には今のクワガタ以上に身近で、大きな奴を捕まえると英雄になれたものです。これも小さなものは空き缶などで煮て、食べようと思いましたが親に虫がいると云って止められました。
返信削除小学生のときクラスの多数でザリガニ大パーティーをしたら、父兄から連絡があり学校で大問題になった。もちろん主唱者は私。先生の聴取に「授業のとき生で食べると肝ジストマになると教えてもらったから責任を持って十分に湯掻きました。」と答えたら全くお咎めはなかった。
返信削除