2025年8月9日土曜日

ナガサキを忘れない

    8月9日はナガサキに原爆が投下された日だ。
 私はこれまで労働組合で一緒になった広島の大先輩が夜中に「ウォー、ウォー」とうなされて絶叫されたことを書いた。同室だった私は心臓病で亡くなりはしないかと眠れなかった。
 翌朝大先輩は「わしは夜中に大声を出さんかったかいのう」「昼間に原爆の話をした夜は必ずうなされるんじゃ」「だからこれまで原爆の話をするのは嫌じゃったんじゃ」というので、文字やその他で知っていたはずの事柄を、強烈な地獄絵としてしっかりと心に刻むこととなった。

 後日のことだが新聞記事で、被爆されたカープ・ミスター赤ヘル山本浩二さんのお兄さんが、同じように「原爆の話をした夜はうなされる」「だから怖くて話てこなかった・・が」とおっしゃっていたのが痛いように解った(解ったなどと書くのは極めておこがましいが)。
 関連するNHKヒロシマ放送局の記事は次にもある。
 https://www.nhk.or.jp/hiroshima/lreport/articles/300/209/27/

 ナガサキでいうと私たちの労働組合の福田副委員長が奇跡の上に奇跡を重ねられて直接の死亡を免れられていた。
 しかし最後まで証人がいないということで被爆手帳ももらえていなかった。
 核兵器は非情なものである。そして戦争も。

 8月6日に書いたが、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下が終戦を早めて多くの犠牲者の命を救ったというのは嘘である。

 最後に去年(2024年)8月18日に『原爆裁判』を書いた。そして戦後の日本には貧しくとも平和や祖国復興の気概があったと書いた。
 「それに比べて昨今の日本は」と愚痴るのは的外れだろう。
 青春とは年齢のことではないはずだ。そう自分自身に言い聞かせている。

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