朝ドラ「虎に翼」で航一が、実は総力戦研究所に居たのに戦争を止められなかったと号泣して皆に謝罪する場面があったが、歴史の事実として総力戦研究所は「日本必敗」とシミュレーションしていたが、その後の歴史にその種の「当たり前の意見」は出てこなかった。
私は趣味で古代史を勉強を始めたが、その一環として井上光貞著「わたくしの古代史学」という本を読んだことがある。
講義を受けている小笠原好彦先生はこの先人のことを「あだ名は井上皇帝」とおっしゃったのを覚えていたが、そのあだ名どおり父は侯爵井上三郎、父方の祖父は桂太郎、母方の祖父は井上馨で、陸大一期上には東条英機、同期には山下泰文という人物であった。
その本の中に「美濃部達吉博士の思い出」という小さな章があり、2.26事件の前年の昭和10年に天皇機関説事件(右翼の言いがかり)が起き、貴族院議員であった父井上三郎は貴族院でなされた博士の「弁明」の演説を聞き、「美濃部先生が滔々と自説を述べ、学説を一歩も曲げなかったので、議場は粛然として先生の去るのを惜しんだ」と家庭で聞かせてくれたと書いてあって、新鮮な驚きを覚えた。
総力戦研究所のエリートも、貴族院議員の陸軍少将井上三郎も、軍部の暴走を知っていた。しかし彼らの声は表には出てこなかった。悪く言えば、誰もが声をあげなかった。そして、日本人310万人、中国人等は2200万人と言われる死者が生まれていった。
15日の敗戦記念日を経て、「微力であっても無力ではない」、「口を閉ざすことは加担することに繋がる」と改めて噛み締めた猛暑の8月であった。
光貞(みつさだ)→こうてい→皇帝。
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