先日、たまたま父親の遺品を見ていたら陸軍大臣名の恤兵金(じゅっぺいきん)の感謝状が出てきた。別に知事名の感謝状もあったから、大臣名のものは相当多額であったのだろう。
そのお金を使って帝国陸軍はアジアの民衆を殺害していったのだから、多かれ少なかれ多くの国民は被害者であり加害者でもあった。
その日付は昭和12年11月であるから、「今次事変」とは北支事変、後に支那事変と日本が呼んだ戦争の端緒、盧溝橋事件(昭和12年7月7日)と思われる。
小さい頃、家には蒋介石政権の青天白日旗と砲弾の大きな欠片があった。叔父の戦利品?だった。
砲弾の大きな欠片は刃物のように鋭利なもので、これは直撃されなくても破片であっても手足や首が切断されると思われた。
それでも朝ドラ「虎に翼」ではないが、多くの青年、壮年が死んでいった戦争だった。
忘れてはならないことは、普通の人間がそんなに人殺しである戦争などできるものではなかった。だから将校たちの思い出話を読むと、生きた捕虜を銃剣で突き刺す訓練が一番効果的な訓練だったと述べている。
ウクライナの軍や兵士をどう思うかということはあるが、私や私の子や孫が、生きた人間を突き殺す訓練などする時代が来ないよう小さな声でも上げ続けたいと思う。
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