労働組合の産業別組織の近畿の役員をしていた頃、某組織の役員と護国神社の前でばったり会ったことがあり、その方から、父君か兄君が戦死されていたので、敗戦記念日にはどうしてもお参りに来たくなるのだと伺ったことがある。
その方は立派な研究者(学者)でもあったから、魂の問題は単純には割り切れないものだと痛感した。
という大前提を押さえつつ、先日あった政治家の靖国神社参拝と自衛官の集団参拝及び靖国神社での研修について一言書いておきたい。
靖国神社は他の一般的な神社とは全く異なり、戦前は旧陸軍・海軍が管理して、天皇のために戦死した者を祀る施設であった。
そして、朝ドラで話題になった「総力戦」のために、軍国主義を徹底して押し付ける「装置」であり、事実、死んで浄土や天国に行く奴は国賊だとまで喧伝した。仏教徒もキリスト教徒も行く先は靖国とされた。
その基本的性格は戦後も変わらず、同神社の付属組織遊就館では今も過去の侵略戦争を美化し、さらにその上に、その侵略戦争を指導したA級戦犯までも合祀しているのである。
人間の感情は、自尊心や優越感をくすぐる「おだて」、罪悪感やうしろめたさを打ち消してくれる「かばい」、そして外部から攻撃され何かを奪われているという「被害者意識」に非常に弱いといわれている。オリンピックのニュースはそれを証明していないか。「慰霊鎮魂」の感情はなおさらだ。
そういう施設に政治家や自衛官が参拝するというのは、庶民の素朴な「慰霊鎮魂」の感情を利用して、戦前的な思想誘導の夢をもう一度というものである。
それゆえに、かつて日本軍に蹂躙された国々も批判するのであって、その批判を真摯に受け止めることは自虐でも何でもない。
自民党の次期総裁選が話題になっているが、党内最大派閥の安倍派の票を取り込もうと、より右寄りな主張をしたり、軍事おたくのような議論が無批判に「政局報道」として垂れ流されるのを、私たちは看過していてはいけない。
(写真はネットにあった文春オンラインの写真だが、建国記念の日の橿原神宮でもこういう風に街宣車で乗り付けて示威行動をする)
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