大阪湾や瀬戸内海の各地で時々「海苔が不作だ、牡蠣やイカナゴが不漁だ」というニュースが聞こえてくる時があるが、その原因が海水が綺麗すぎて、栄養不足で・・と解説される時があるので複雑な心境になる時がある。
というのも私の小さい頃は大阪湾には「汚わい船」が毎日出掛けて行って、沖合に「糞尿」を捨てていたからだ。だから海水浴場の砂浜にも「いちじく浣腸」の容器が流れ着いていた。そしてその頃、漁場は豊かであった。(決して汚わい船を復活せよと言っている訳ではないが)
さてこの17日、大阪湾に鯨が来たとのニュースがあった。今回は1年前の「淀ちゃん」みたいに死にかけて流れてきたのではなさそうだ。
淀ちゃんは淀川沖で死んでしまったが、大阪市長は錘を付けて和歌山沖海底に沈めてしまった。
大阪市立自然史博物館は「極めて貴重な骨格標本のために欲しかった」と悔しがっていたのが記憶に残っている。
鯨が来たということは大阪湾が豊かになってきた証かもしれないが、「汚わい船」の記憶のある私などは「その理由は??」と知りたくなる。
歴史的には大阪湾に鯨が来たことは珍しくなく、それを祝ったり捕り逃がして悔しくて、堺の出島の漁師が住吉大社まで鯨踊りを繰り出したという。
その鯨踊りは、古くは明治13年頃、同42年、昭和6年、そして昭和29年に復活し、さらに度々「堺まつり」でも披露されている。
私は昭和29年の「南蛮行列」でのそれを見たが、その時は「鯨神輿」も出ていた。
写真はネットにあった「すみよし探歩」のもので住吉大社に到着した「鯨神輿」だが、平成23年のものらしい。私の見た昭和29年のはもっともっと素人作り臭いものだった。
大阪市立博物館が「貴重な標本にしたかった」と言った「淀ちゃん」を、一顧だにせず廃棄処分した維新の松井市長(当時)は、維新の学術や文化に対する軽視の姿勢を如実に表していると思う。
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