2023年2月28日火曜日

菜の花咲く

   コロナ前に老人ホームのボランティアをしていた頃、音楽会などもよくしたが、音楽療法の方々が童謡や唱歌をプログラムにたくさん盛り込むのに対して少し意見を言ったことがある。

 子どものような話し方をする方だって頭の中ではいろいろ回転していてそれが十分に表現(発音など)できないだけだと思う。だから子ども扱いされたりするのは嫌だろう。もっと、その方々の青春時代の流行歌をチョイスしたらどうかと。

 その後、コロナの上に私自身各種の病気やケガがあったので、感覚としては私自身の老化が急速に進んだ。
 なので今では、介護する方よりもされる方としていろいろ考えることが多くなった。

 さて、写真は早咲きの菜の花の開花である。今週後半には暖かくなるというから菜の花畑になるだろう。
 それを想像するだけでストレートに唱歌『朧月夜』が出てくる。どうしてだろう。

 私は堺の旧市で育ったから、基本的には都会であって、山や小川や畑や田圃などを知らずに育った。
 だから、この詞のような環境ではなかったのだが、この歳になるとまるでそれが故郷の原風景のように感じられるのはどうしてだろう。この詞や『故郷』の詞は「共同幻想」として私の記憶をつかみ取ったのだろう。

 一月往ぬる二月は逃げる。

2023年2月27日月曜日

法円坂官庁街

   土曜日に後期難波宮大極殿のことを書いたが、大阪市法円坂の難波宮遺跡のその場所には大日本帝国陸軍歩兵第8連隊の隊舎があった。

 第8連隊は、〽また敗けたか8連隊 金鵄勲章くれんたい・・と馬鹿にされた唄で有名だった。
 8連隊は大阪商人のぼんぼんで、屈強な農村の部隊に比べて弱かったので・・そう歌われたと専らそう言われていた。
 8連隊に入隊していた伯父さんもそんなことを言っていたから、半分はほんとうだったのかもしれないが、戦史上そうだった(弱かった)とは確定していない。

 司馬遼太郎の本だったかに「他の部隊は食料等を徴発(強奪)していたが8連隊は金を払って買うていた」と、如何にも大阪商人の兵隊だったと書いてあった気がするが、実際はどうだったか。少しほんとうだったと信じたい。

 戦後8連隊の多くの隊舎は官庁等になり、当然労働組合書記局もその片隅にあった。昭和40年代までそういう状況だった。
 そんな話を現職の労働組合のリーダーに雑談で語ったところ、へ~~ということで、イメージもできないようだった。
 もちろん、8連隊の俗謡も知らなかった。

 つまらない内容だが、歴史は語り継がなければ「なかったもの」にされたり「ネジ曲げられたりする」に違いないと再確認した。

 下手に語ると「年寄りの自慢話」みたいに嫌われるから難しいところだが、たまには昔話も聴いて欲しいなあ。

2023年2月26日日曜日

経済制裁のこと

   ロシアのウクライナ侵略開始後1年というニュースと並んで「それでもロシア経済は堅調だ」というニュースが流れた。

 ロシアの統計だけでなく国際通貨基金(IMF)の統計でも「2022年のロシアの実質経済成長率は△2.2%にとどまった」というから、若干期待外れのニュースかもしれないが、ロシア経済の内実はそれほど明るくないとの解説もあってウクライナ支援国側に希望はある。

 それにしても日本は「輸入制限38品目」などと言って大いに経済制裁を課しているように吹聴しているが、それは輸入額のたかだか1%程度でしかなく、有名なカニ、ウニ、タラコなどはオランダ等を迂回して輸入されているらしい。何が(ロシアに輸出入する)中国だ、インドだ、トルコだ・・・だ。

 さて、近頃テレビが面白くないからラジオをよくつけているが、ラジオにはひとつ大いに気になっていることがある。
 それは、パーソナリティーが自分の名を冠する番組をよく進行しているのだが、ある意味テレビ以上に社会問題を「一人称で」語っているのだが。それはそれでよいのだが、その番組の中に通販コーナーが自然な流れのように登場し、パーソナリティーがニュースと同じような「一人称」でその商品を誉めたり感想を言うのが気にかかる。それは私の印象では、CMの常識を格段に超える宣伝効果を持っている。
 「もしその商品に効果がないならパーソナリティー個人が責任をとるのだろうか」と心配するぐらいだ。

 冬の間、そういうラジオ通販を大いに賑わしていた一つがカニだった。「これは安い」「絶対おすすめです」というそのカニはもちろんロシア産。その次のコーナーでウクライナを語っても、国民ひとりひとりが対処できる経済制裁・・つまりロシア産の消費を我慢しよう・・という話を全く聞いたことがないのはムベなるかな。

 ロシアに多くの輸出をしている中国やインドに対してだって、ロシア経済制裁の話を一貫させるならば輸出入制限をすべきだろうがそういう話もない。国連決議に棄権した(弱い)途上国をののしるだけでは何も変わらない。

 外交と、そして返り血を浴びてでも経済制裁しかないと私は思うのだが。

2023年2月25日土曜日

至福の読書

   独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所は、元々は文部省の一機関で職員は国家公務員だったから、著名な歴史学者小笠原好彦先生もそういう国家公務員の時期があったはずである。
 先生の最新の著書を読んでいて、そんなことをふと考えた。

  国の機関、おそらくはそれに倣った地方自治体や多くの大企業でもそうであろうが、人事異動時には辞令交付式がある。国の場合、それぞれの機関のいわゆる幹部職員は会議室などに定められた序列順に並び、そこの長から辞令が読み上げられて交付されるのである。

  幹部職員の中にはそこで辞令を受けたのち夫々の赴任先に飛んでいき、その先で一般職員の辞令を交付することになる。考えてみれば形式主義というか無駄でもあるが、それは奈良時代ごろの律令制からの「決まり」であったし、さらには声を発して文書を渡す言霊の思想でもあった。

 人事の辞令交付を取り上げてみたが、宣命、布告などなどの行政命令もおおむねそれに従っていた。
 そういう経験、実体験は元国家公務員小笠原先生の記憶にもしっかりと残っていたことだろう。・・と、いらぬ想像をたくましくした。

   聖武朝難波宮内裏前殿のことである。
 聖武朝難波宮が発掘調査された結果、内裏の前に謎の「前殿」の跡が見つかった。著名な建築史家が監修した復元模型が大阪歴史博物館にあるが、それは、内裏正殿の前に、正殿と同じ桁行九間で、梁行は二間、低い高床、そして壁塗りの建物(前殿)である。

 詳細は省くが小笠原先生は、内裏正殿(大安殿)の威容を著しく損なうそんな建物はありえない。辞令交付その他の儀式に参列する官吏のための、吹き抜けのいわばテント代わりの日除け的な建物であっただろうと述べられているくだりに、私は先の「国の機関の辞令交付等の儀式の経験知」を想像して一人微笑んだ。

 『古代宮都と地方官衙の造営』小笠原好彦著(吉川弘文館)にはそういう新発見のようなものが豊富にあり、グルメ探訪や旅行に行くよりも何倍も楽しいひと時を与えてくれた。

※このブログ記事、難波宮前殿のことは以前にも少し触れた。今回の記事の「肝」は、その解明にあたっては先生の文部技官(研究員)としての経験が、他所の研究者よりも直感も含めて推理を導いたのではないかという私の勝手な想像にある。

2023年2月24日金曜日

マスクの疫学的有意差

   毎朝NHKBSPで『自転車旅ユーロヴェロ90000キロ』という番組が流れている。
 ネットで確認するとロケは2022年正月からという。
 それを観ていて妻が「ヨーロッパではマスクを着けていない人が多いなあ」と呟いた。
 つい先日はドイツの高学歴と思われる学生たちが一緒に走っていたがそのとおりだった。

 私は『富岳』を使ってのマスクの有用性の実験結果などを認めているが、そういうミクロの実験結果とマクロの国別感染状況の落差に答を見いだせていない。

 ネットに国別の人口100万人あたり直近7日間の新規感染者数があがっているが、2023年2月22日現在のそれを見ると、韓国1398.5人、ドイツ1181.3人、日本936.6人、アメリカ851.5人などが目立ち、あまりマスクを着けていないと思われるフランス、イタリアなどラテン系の国々の方が少なくなっている。
 それを疫学的な結果だとすれば、マスク着用の有意差に疑問符が付く。
 結局山中伸弥教授のファクターXも見つからず、自然界は融通無碍。人間様を笑っているみたいだ。

 ただ、日本も減少傾向は認められているから、やたらにマスク警察みたいなことを言わないようにするのは私は賛成だ。

 この世にリスクゼロはありえない。交通事故が怖いから家から一歩も出ないという選択がナンセンスなように。
 コロナ下で、あれも危険だこれも怖いと思考停止したところがないだろうか。コロナ神経症と呼んでもよいような気がする。
 後ろ向きなことと理性的なこととは違うと思うのだがどうだろう。

 まあ、コロナもマスクも一筋縄にはいかない。

2023年2月23日木曜日

実印という例え

   土曜日か日曜日のABCラジオを何となく聞き流していたら、女性アナウンサーらしき人がメーンの出演者との会話の中でこう語っていた。

 🔳大手の保険会社の方と話していて口座番号か何か?を確認するためにマイナンバーカードを持ってきたら、保険会社の方が慌てて『それは締ってください』と言ったので驚いた。
 『お客様の情報を確認したりしたら会社でひどく怒られるのです』
 『マイナンバーカードは実印みたいなものですから、むやみに持ち出してはいけません』と言われた。と・・・🔳

 「マイナンバーカードは実印みたいなもの」とはよい例えだと私は感心した。
 それだけ重要な情報が詰まっている。
 実印の押してある書類は「実印は盗まれたものだ」と言っても非常に覆し難いものだ。それぐらいの安定性がないと実印にならないから。
 
 そこでマイナンバーカードだが、保険証だから医院に持参せよと言われている。先の例えでいえば、実印を持ち歩けというに等しい。
 私は大手保険会社の外交員の指摘の方が正しいと思うのだがどうだろう。

 労働災害防止の哲学に「人はエラーをするものだ」というのがある。
 「この人のこんなミスで災害が起こりました」は”ない”ということで、「人はエラーをする」ヒューマンエラーを前提にして、エラーをしても事故に至らないように機器や環境を整備せよという哲学である。

 この哲学は全く正しい。事実、個人情報漏洩事件は数々起こっている。
 だからドイツやフランスではマイナンバー=国民総背番号はいわば憲法違反としてつくられていない。

 マイナンバーカードに関わっては、岡山県の某市市長が「マイナンバーカードを取得していない子の給食費は有料にする(他の子は無料)」としたが、これなどは百歩千歩譲っても、「法治国家にあっては目的も手段も正当なものでなければならない」という常識を逸脱している。
 『子供の給食費』のところを他の『何か』に換えてみるとその恐ろしさが判る。

 マイナンバーカードは返上もあるらしい。

2023年2月22日水曜日

追悼


   先日は俳諧についてなどと大それたことを書いたが、今日は、夏井先生に言わせれば散文だ!と叱られるだろうが、これも先日書いた悪友の追悼句もどきの駄文を二句。

   お開きは君がジョッキを倒しとき
 
 酔っぱらうと手元が定まらず、机の上にお酒を撒き散らしてくれた君よ。
 そうなると「さあさあこの辺で」と、それは何時も我々の酒席のお開きの合図でもあった。

   春寒や原稿送ってからにせよ

 憤死は今度の原稿を書いてからだ。早すぎる。お開きの合図もなかったぞ。

 (写真は黄梅)

2023年2月21日火曜日

暮らしと政治

   テレビで有名人がどこそこの税務署でスマホで確定申告をしたというようなパフォーマンスが流された。
 
 その確定申告だが、私は100%%年金収入だけで暮らしている年金生活者である。
 それが一昨年などは入院や手術が続いたため「低所得者」と認定され、医療費控除で税金の還付があったし、いわゆる健保の本人負担は1割だった。
そのため先月、令和4年の確定申告の計算をしたところ、医療費が約10万円で「少額の追加納税が必要だが申告不要の範囲内」になった。
 昨年は入院や手術もなく本人負担1割だったので医療費がこれで済んだが、普通に2割負担であれば医療費が20万円だったことになるので来年が怖い。
公租公課でいえば所得税よりも健保負担割合が怖い。

 だから、せめて年金が減額されず健康が大きく損なわれなければと願うのだが、年金は、2004年に自民党と公明党の政権が導入したマクロ経済スライドのせいで、この11年間(13~23年度)で物価は8.1%上がったが年金は0.8%増に抑えられ、実質の年金額は7.3%も減らされた。

 無職の身で偉そうなことを言う気はないが、テレビのボーナスのニュースなどを観ると、年金生活者にももう少し暖かい政治にしたいと思っている。

 こんな「よ党」や「ゆ党」を地方政治でも許してよいわけはない。
 統一地方選挙、賢い選択が求められている。

2023年2月20日月曜日

氷の僧

   お水取り(東大寺二月堂の修二会)の前行である試別火(ころべっか)が今日から始まる。
 月が替わるといよいよ本行が始まり有名な「お松明」も登場する。

 さて、二月堂の階段の南の下に滝行のための龍王之瀧があり、その前に大きな芭蕉の句碑が建っていて・・
 『水取や 籠りの僧能 沓乃音』 と刻まれている。

 貞享二年(1685年)、芭蕉が参籠したときに詠んだ有名な句であるが、野ざらし紀行には『水とりや氷の僧の沓の音』と書かれている。
 
 はて、籠りが正しいのか氷りが正しいのか。
 俳句にはほゞほゞ素人の私は、長い間、芭蕉の詠んだ「籠りの僧」を聞き間違えた者が「氷の僧」と書き誤ったものが流布したとばかり思っていたが、今般、深沢眞二著『芭蕉のあそび』(岩波新書)を読んで、それが全くの誤りであることを知って驚いた。
 つまり、答は野ざらし紀行のとおり「氷の僧」が正しくて、ということは、二月堂下の大きな句碑は大間違いだということだった。(「籠り」と書かれるには理由もあるがとりあえずは今日のところは割愛)

 著者曰く、芭蕉は子規以降の近代俳句の人ではなく俳諧師である。俳諧は笑いの文学である。そこには、「しゃれ」「もじり」「なりきり」「なぞ」が詰め込まれ、謡曲をはじめとする先行文芸のパロディも含まれている。・・ということらしい。だから、近現代俳句のフィルターから見てはいけないという。

 では「氷の僧」とは何か。
 その世界では権威ある尾形仂氏の『日本詩人選 松尾芭蕉』では、「二月の奈良の寺院で寒夜森厳の行法にはげむ僧のイメージを、「氷の衣」「氷の蚕」「鐘氷る」などのことばにならって感覚的に言いとったものだろう」・・「現実の氷や寒さというよりも行の≪凍りつくようなきびしさ≫の感覚的・象徴的な表現」「魂を氷らせるような沓の音」だったという。

 それに対して、旧暦2月、今の3月の奈良は春であるからこの感覚はおかしいという批判もあるようだが、私は今のように観光行事化する前に、しんしんと降りつもる雪の中でお松明を見た経験があるから、お水取り=氷るように寒い夜という感覚も否定しがたくよく分かる。

 しかしこの著者(深沢氏)は「そんなことではない」と、俳諧の常識を次のように教えてくれている。
 当時の「しゃれ」の常識として、『水鳥』に掛かる言葉としては、かけ樋、二月堂、敗軍、作ル田、蓮池、生田川、竜骨車、昆陽の池、氷がある。
 それぞれの理由は、季語で水鳥と氷はともに冬、敗軍は平家物語、生田川は大和物語、昆陽の池は千載和歌集で氷やオシドリと結びついていて、蓮池は画題の「蓮池水禽」、・・そうして水鳥の同音異義語が「水取り」、その「水取り」から「かけ樋」「作ル田」「竜骨車」、もちろん「二月堂」となっている。
 さらには、沓はオシドリの形にそっくりなことから、昆陽の池、水鳥そして冬に結びついている。

 整理すれば、A 水鳥や・・氷の・・沓・・ と B 水取りや・・僧の沓の音 という二つを掛詞「水とり」をかなめとしてまとめている。

 Aが和歌・連歌の伝統に沿った連想関係の雅。Bが現実的で俳諧的な連想関係で俗。その上に、尾形氏指摘のような「氷の僧」という非現実的な印象深い表現が生まれた。
 付記すれば、これは芭蕉が宗因流の俳諧から学んだ手法でもあった。俳諧とはそういうものであった。

 ・・・この本を読んで、五七五の真似事などを詠もうとしていた私は「そんなこと知らんがな」とガ~~ンときた。目から鱗と言うべきか。
 
 ある大学の先生が「東京の先生は正しいことを言っているだけで良いからいい」「関西に来たら正しい講義を面白くしゃべることができないと評価されない」と言っていたことを思い出す。俳諧とはそういうものであったのだ。
 そうか、そうであるならば、関西人はみんな芭蕉の弟子なんだ。
 この本の帯には、「芭蕉だって笑ってほしいに違いない」とあった。

 私の好みからいうと、この種の技巧はあまり好きではない方だが、知っていることと知らないこととは大きな差がある。
 昔の人よりも現代人の方がエライなどとは思わない方がよい。
 ちょうど朝ドラでも和歌における本歌取りを詳しく語っている。

2023年2月19日日曜日

コロナはつづく

   ここ1週間ほどはてんてこ舞いだった。
 テレビの情報番組などでは卒業式にマスクを着けるかどうかなど、まるでコロナが終わったかのような雰囲気だが、孫の凜ちゃんのクラスは全員が濃厚接触者で学級閉鎖になってしまった。

 なので、凜ちゃんの病院の予約等々急遽変更が余儀なくされたりして、わが家はSOSへの出動なども多かった。

 登校するな、外出も控えろというのは凜ちゃんにはストレスで、理屈を言えば家族以外の接触もするなということだが、そうも言っておられず、わが家から出動したり、わが家への退避をさせたりとてんてこ舞いだった。

   それまでの寒波が嘘のように治まった日には、例によって凜ちゃんの好きな焚き火をした。

 もちろん、焼き芋と凜ちゃんがアップルパイと呼ぶ焼きリンゴを作った。今回は失敗はしなかった。

   最後の写真は今後のために購入したステーキカバー¥3500というのは真っ赤な嘘。性能は全く遜色ないが百均の材料ステンレス製で作った自家製¥350ナリ。
 焼き芋カバーにしておくのはもったいないと自画自賛。

2023年2月18日土曜日

ご長寿ウォンバット

   地上のコアラといわれているウォンバットの『ワイン』の長寿がギネス記録に登録されたというニュースがあった。
 
 「おいおいおい、外にもっと報じるべきニュースがあるだろう」と毒づいていたら、「長寿の秘訣は旺盛な食欲」だと解説があって、瞬時に黒柳徹子さんを連想した。私自身外食の際「ご飯少な目に」という癖が付いていることを少し反省。15日の昼には焼肉定食の店に入ったが、大中小の小と言って出てきたご飯をさらに減らしてもらった。ああ。

 長寿ということでいうと、先日何回目かの脳のMRI検査があった。以前に指摘されていた動脈瘤の発育?具合の確認だった。
 主治医からは「今後も定期的にMRIで追跡しましょうか」という話があった。
 少し変な質問だったので「どれぐらい大きくなったら処置するのか」と尋ねると、「もう歳だから手術はできない」という。・・・・・??
 「それなら最終ステージを告知されるだけだから、これ以上のMRIでの追跡はけっこうです」と丁重にお断りしてきた。

 近頃は歳相応に、近い世代の訃報も増えてきた。コロナも含めて種々の発病や老化を怖れて縮こまるのも詰まらないから、できるだけ世のため人のために前向きになろうと思う。

 先日『ビニロンのヤッケ』の記事に、モンベルの辰野勇氏の同級生の方からコメントを頂いた。アバウトで同世代である。彼の人たちの元気に負けていられない。元気を頂いたコメントだった。ブロガー冥利に尽きる。ブログ記事の継続をあれこれ理由を付けて止めなくてよかった。

 故益川敏英先生は「二足や三足のわらじを履けんようでは一人前ではない」と語られていた。はい。

2023年2月17日金曜日

気球に笑う人々

   アメリカもアメリカなら中国も中国で、さらにひどいのは日本も日本だ。
 誰かが嘘を言っている。例の気球のことである。把握している事実(証拠)を出して議論すべきが民主主義でないか。

 アメリカはスパイ気球だと言い、中国は通常の観測気球だと言う。証拠を出せばわかることを出さない奴が嘘を言っているはずだ。

 日本だって、2019年にも2021年にも見捨てていたのが何時何をもって脅威になったのか。「証拠は軍事機密だから明らかにしない」の発言には背筋が凍る。この発言の方が気球より怖い。

 ウクライナ以降、「このままでは国民の生命さえ守れない」とさえ言えば何でも通る風潮は、多くの方々が指摘する「戦前」ではないか。

 証拠のない嘘を見破らなければならない。相手が中国だってアメリカだって。

 私自身は大きな二つの嘘に騙された痛恨の経験を忘れていない。「フセインは大量破壊兵器を持っている」「原発は兵器でなくて絶対に安全だ」。
 ・・・そして元首相は国会で119回嘘をついたと国会事務局が指摘しており、そのせいで現場の国家公務員が自死に追い込まれた。もう、みんな済んだ過去の話だとでも・・・。

 「真夏の東京オリンピックは快適な気候だ」という嘘は「馬鹿が★」で済んでも、「戦闘機で撃ち落とす」という話には冷静さが必要でないか。
 そういう指摘がマスコミから聞こえてこないことに私は怒っている。

 ※ 以上の記事をアップできるように用意していたところ、朝日16日夕刊に小さく主見出し「気球 意図せず侵犯か」袖見出し「米紙報道 〔風の影響〕見方も」として、ワシントンポストが複数の米政府関係者の話として、中国南部の海南島で打ち上げられたときから約1週間、気球を追跡していた・・風の影響で米本土に到達した可能性もある・・」と掲載した。
 まるで明日にでも中国軍が日本に攻めてくるかのような日本政府発表とのこの落差は何だ。
 人工衛星かなんかで気球の打ち上げ当初から偵察していたのはよいけれど、気球が流れてきたのは許せないらしい。
 国際詐欺事件ではないけれど、証拠のない話には乗ったらあかん。
 

2023年2月16日木曜日

声をあげる

   「春になって、これまでよく鳴いていたツグミの声を聴かなくなった。きっとあの鳥たちは口を噤(つぐ)んだのだろう」という理解(誤解)からツグミという名がついたというのをどこかで読んだ。

 春といってもホントにもうすぐ統一地方選挙である。
 私のザクッとした印象だが、共産党の支持者は真面目だから、コロナ下で三密を避けようとして一番活動量が減ったのではないかしらん。

   冬鳥ツグミの北帰行が噤んだと誤解されたように、そのことで政治の批判意見が減ったなどと評価されてはならぬ。
 窓の外の電線にとまったツグミから、そんなことをチラッと考えた。

 維新の牙城大阪府議会、市議会で絶対に共産党の議席を後退させてはならん。圧倒的に多い小選挙区でも頑張るしかない。
 そして、府知事には「たつみコータロー」の挑戦を支援し、市長には私は勝手に北野妙子を応援する。大阪の皆さん、口を噤んだと誤解させてはなりませんぞ。

2023年2月15日水曜日

角がある

   漢字は難しい。旧字があり各種異体字がある。それに俗字もあるし、あえて誤用したものまである。

 昔、国鉄や近鉄や八幡製鉄などが多く「鉃」を 使用していたこともあり、近くの小学生が漢字のテストで✖を受けて困ったという話もあった。

 それに比べれば昔からあった異体字に「鬼」の角(つの)(第一角のテン)をとった旧字で鬼子母神と書いているお寺も少なくない。
 「テンのひとつくらい」と言うなかれ、「冨田」さんに「富田」さんと書いて怒られたという話もある。

 「テンのない鬼」を使用しているお寺(鬼子母神)には「改心した後は鬼でなくなったから」という説明がよくあるが、元々はテンのない旧字もあるから、そういう旧字をただ引継いだだけかもしれない。

 先日、二月堂の下の鬼子母神のお守りを求めたら、ここのははっきりと角があった。古いお寺だが、細かいことは気にせず標準字体で・・ということかもしれない。

 角川の新字源では「田」の部分は大きなお面で、神霊に扮した様とあるし、白川静の常用字解では「大きな頭」とあって、一部の甲骨文字に酒を振りかけて清めているというのがあるが、両辞書ともに角(つの)という字源はない。
 そもそも鬼に角を付けたり虎の皮を穿かせたのは丑寅の鬼門という陰陽道だから、「鬼子母神は角がとれた」というのは後付けだろう。ヒンドゥー教や仏教にも根拠はないと思う。
 角のあるなしよりも、自分に引き付けて他人の苦しみを考えろという仏教説話で十分だ。

2023年2月14日火曜日

聖バレンタイン

   2月14日は聖バレンタインが処刑された日であるが、われわれ異教徒たちはそんな歴史を考えようともせずに「愛の日」を祝っている。
 この島国ではそんなことは日常茶飯事のことだから誰も何も言わない。
 「異教の行事だからチョコレートはいらない」という声も聴かない。
 そういう融通無碍というか寛容性というか、多神教的なところは私も好きだ。それに、チョコレートも大好きだ。

 先日、娘から「少し早いけど」と言ってチョコレートを貰った。ベルギーの PIERRE MARCOLINI の上等なものだから、食べるのがもったいなくておいているうちに妻にいくつか食べられてしまった。
 PIERRE MARCOLINI には訳があって、ここのパッケージなどのデザイン画の作者が娘の親友なのである。

 彼女の腕が冴えている間は、回り回って上等のチョコレートが娘からおすそ分けされてくるだろう。
 おお、聖バレンタインさま、異教徒の商業主義や同調主義を許したまえ。

2023年2月13日月曜日

平群の丘のパネル

 
   12日の朝日歌壇・永田和宏選にこんな歌が続けて採られていた。

  ヤマトタケルも歌に詠みたる平群の丘に太陽光パネルが(京都市)日下部ほのの

  パネルなら二百ワットも発電し役立った筈なる日向ぼこ(横浜市)一石浩司

 テレビのプレバトで夏井いつきさんが「作品の解釈は読者に任される」というのを幾度も聴いたことがあるが、その伝でいくと、先ず二首目のパネルには否定的な性格はないだろう。
 それを独り占め?できている日向ぼこがほのぼのしている。

 問題は一首目の歌だが、単純に読めば「そんな田舎の丘陵にもSDGsに向かうパネルが」というかもしれないが、また、この二首が続けて採られて掲載されているからにはそれが素直な解釈かも知れないが・・・

 古事記ではヤマトタケルが死の床に臨んで、有名な「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし」と詠んで、続けて「命の 全けむ人は たたみこも 平群の山の 熊白橿が葉を うずに挿せ その子」と詠んだ「平群の山」で「へぐり」と読む。ヤマトタケルは臨終に懐かしい故郷を詠ったのだ。

 その平群の地が近年話題に上っているのは、大規模な太陽光発電のパネルの設置ということで、無茶な乱開発が進み、自然と安全を守れと、大規模な住民運動が裁判闘争を含めて盛り上がっていることだ。
 私は京都市の作者はこういう情報を知っていて、これほどまでに古事記にまで歌い上げられている地にまで、金儲け主義の乱開発の手が・・とパネルを否定的に詠んだものと確信するのだがどうだろう。

 とすると、朝日歌壇の限りではそれは伝わり辛いなあ、特に、続く二首目の歌に引かれて誤解が広まらないだろうかと、心がざわついている。
 なお平群は、亡くなった義母の故郷である。


わからない

   殺人未遂といってよいのかどうか知らないが、被害者の宮台真司氏の名前はあちこちでお目にかかっていたが、じっくりと氏の主張を読んだりしたことはなかった。

 そんな折、書店の棚に、キリスト教を批判しているような氏の著作があったのを見つけていた。
 その後、大手マスコミではあまり報道されていないが、自殺した犯人の家(実家の別宅)がエホバの証人の活動拠点で、母がその信者であるというニュースがあったので、「だとしたらあの本を読んでみなければ」と思いたった。

 しかし、書店には行ったが見つからず、「著者が宮台真司でキリスト教を批判しているような新書がこの辺にあったはずなのだが」と店員に探してもらったら、「こんな題名の本がありますが、宮台真司さんは著者ではなく推薦者です」といって見つけてくれた。
 表紙に著者の名前よりも大きく宮台氏の名前があったので、てっきり著者だと思い込んでいただけだった。

 清涼院流水著『どろどろのキリスト教』という題名なのでてっきり反キリスト教なのかと思ったが、著者はクリスチャンで中身はキリスト教の歴史のダイジェスト版といったところだ。
 そして中身でもエホバの証人が異端として糾弾されているわけでもなく、さらには犯人がエホバの証人信者だとすればこのような加害行為は教義に背くことだし、私の間違った勘だったのかもしれない。

 だが、元首相銃殺事件は「宗教二世」である犯人が、母親の背後の統一協会を恨んでの犯行だったし、この件も、もしかしたら母親の背後のエホバの証人=キリスト教を恨んでの宗教二世の犯行だったかもしれない。以上は何の根拠もないが、キリスト教関係と名乗る宗教信者の二世が起こした事件として、全く無視できないような気分でいる。

 私は、キリスト教もエホバの証人も批判しているものではないが、正直、どこか「引っかかっている」。わからない。

2023年2月12日日曜日

おまっ!

   コンピュータ社会に合わせて、戸籍関係にヨミガナ(フリガナ)をつけて、いわゆるキラキラネームを一定制限しようという話が法制審議会の部会で進んでいる。

 その報道の中で、頼朝の朝(とも)や和子の和(かず)も「名乗り訓」だと知った。元祖キラキラネームだったのだろうか。

 そういえば、元々日本語の漢字には音訓があり、音にしても漢音や呉音や唐音があり、文字にはひらがな、カタカナがあるし、万葉仮名や713年(和銅6年)の「瑞祥地名」の勅令のような「当て字」の文化もあるから、時がたてば頼朝のように定着するかもしれない。

 キャラクターの名前などをヨミガナにするのは私自身は好きではないが、「あの時代の日本の親はこのようにアホだった」という歴史の史料に載るだけだろう。以上のとおり、私は一定の制限も認めるが、他人がつけるにはけっこう容認派でもある。
 名簿を読み上げる学校の先生は大変だろうが、言葉は時代と共に変化し、ある意味崩れていくものだと思っている。

 NHKの幼児向け番組が枚方市で公開録画をして放送された。それの録画を孫の凜ちゃんはよく観ている。
 そこで、場所が場所だからか、「・・・でおまっ!」というセリフが何回か出て、直ぐに凜ちゃんは「おまっ!」を連発するようになった。子どもの心をとらえたというべきか、このように言葉は流動してゆくものだろう。
 数年前の流行語があっという間に死語となり、数々の新語・流行語が生まれている。

 「オマッ」は「オマス」が縮まったもので、「オマス」は「でゴザイマス」「でアリマス」の大阪弁であることは言うまでもない。念のため明治生まれの親の世代の船場言葉ではそれが「ゴワス」だったが、そんな言葉は聞かなくなって久しい。

2023年2月11日土曜日

今日は何の日

   大阪市此花区の名前の由来は百人一首の序歌〽難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花 にあるが、この歌には木花の佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)=サクヤビメが隠されている。
 建国神話では、天孫ニニギはオオヤマツミの娘サクヤビメと結婚し、サクヤビメは海幸彦、山幸彦ら3人の子を産んだ。
 山幸彦は兄に借りて失った釣り針を求めて海中のワタツミの宮殿へ行き、王女トヨタマビメと結ばれた。
 トヨタマビメはウガヤフキアエズを産んだが、出産の折、本来の姿である大鰐となったことを夫に見られたので恥じて海の国に帰った。
 ウガヤフキアエズは母の妹のタマヨリビメと結婚してカムヤマトイワレビコを生んだ。
 カムヤマトイワレビコは高千穂を経って東征し、ついには大和の畝傍の地で天皇に即位し建国が成った。時に紀元前660年2月11日のことであった。

 以上は神話であるから多々矛盾しておろうがそんなことはどうでもよい。
 問題は、昭和20年の敗戦までの大日本帝国ではこれを「神話」ではなく「歴史的事実」として教育し、異論を暴力でもって弾圧し強制したことである。

 今日は、そういう教育や学術の統制の近代史を振り返り、歴史の修正や反動を許してはならないと決意する日でなければならない。
 そうでないと、死んで天国や浄土・極楽に行くと考える奴は売国奴だ。靖国に行くのだ!との強制が復活する。
 「そんなあほな」と考えるなら、そんなあほなことが昭和20年までどうして実在したのかという近代史を考えてほしい。
 故半藤一利さんの本などは非常に判り易い。

 どなたか、「建国記念の日」にふさわしい年月日とその理由を考え出していただけないでしょうか?

2023年2月10日金曜日

奈良の鹿

   奈良教育大学などが紀伊半島の鹿の遺伝情報などを調べた結果、①奈良公園の鹿は紀伊半島各地の鹿とは別の固有種であり、②消滅した元の鹿から分かれたのは約1000年以上前(1400年前ごろか)と発表された。

 1000年前、1400年前というと、奈良時代であり、春日大社の社殿建立と伝えられる時期である。
 神の使い、神鹿として保護されてきたという文献史料と自然科学的分析結果が一致したことにまるで生きた考古学的な感動を覚える。

 「神の使い」を殺して食ったのは先の戦時中の昭和人だけであるようだ。

   人並みに旅行客の心を読んでお辞儀をしたりスカートをまくったりして鹿煎餅をねだるのは1000年の猿知恵ならぬ鹿知恵だろう(スカートをまくるのはキャーッと言って鹿煎餅を落とすからである)。

 写真は先日、東大寺南大門の近くで撮影したものだが、このように奈良公園の鹿が鎖を噛むのはよく知られているが、その理由は、鹿語が判らないので不明だが、大きくは2つの説があるようだ。

 ①は、1000年以上、人に頼って柔らかい食べ物ばかり食べてきて、本来の能力が満たされないストレスからくる「舌遊び」。動物園のキリンでもそういうことがあるそうだ。

 ②は、北海道では鉄分補給のためレールをなめに来る鹿の鉄道事故対策のため山中に鉄のそういう設備を設置しているように「鉄分補給行動」。
 ・・・どちらも説得力があるが、しか(確)とは判らない。

2023年2月9日木曜日

惜別

   58年前に堺の宿院の職場で一緒になって以来の友人の訃報が届いた。
 コロナ禍でしばらく会えないままの別れだった。
 最後の電話のときには「用もないのに電話してくれてありがとう」というのが終わりの言葉だった。コロナが下火になってホンキで一杯飲もうと思っていたのに。

 時あたかも大阪府知事選目前だが、黒田革新府政実現の折には「お神酒徳利」でよく動き回ったなあ。思い出す。
 それに、ある年の正月には二人とS嬢3人で初詣に行ったりして、・・S嬢は私の妻になったが。
 
 書きたいことはいっぱいあるが、やめておこう。
 共通の知人たちにメールをしたところ、多くの友人たち、ほんとうに多くの友人たちから返信が来たよ。
 葬儀にも行けなかったが、私のスマホ上では盛大な葬儀だった。さようなら。

塞翁が馬

   「禍福は糾える縄の如し」かな。
   2月は税金の季節である。私などはシンプル極まりない生活を送っているが、毎年確定申告をして、ほんの少しの還付金を受けていた。

 わずかな還付金が申告手続きのご褒美のように感じて喜んでいたが、ここ5年くらいを見ると、その原因は介護やそれぞれの入院などの医療費だったから、本来は何も喜ばしいことではなかった。

 そこで令和4年の確定申告だが、入院が一度もなく医療費は約10万円で済んだ。そのため、国税は計算上若干の追加になり、「申告不要」の範囲に収まった。
 これは本来嬉しいことだが、ケチな脳みそは損をした気分になった。

 そう、還付金が生じなかったことは本来めでたいことである。
 確定申告をしない代わり住民税の手続きをしなければならなくなった。また国保などの区分も上がることだろう。それもよい。

 住民税の申告は「早くてもよい」ということなので2月6日に手続きは完了した。少し早く終わりすぎて、これも嬉しいことなのだが、何か頼りなさ過ぎた。
 そこで気分を切り替えて、雛祭りのしつらいを行った。

2023年2月8日水曜日

ふきたんぽぽ

   書店に牧野富太郎の伝記のような本が何冊か横積みにされていたので「もしや」と思って帰ってから調べてみたら、次の朝ドラの主人公が牧野富太郎だった。やっぱり。

 本は買わずに帰ったが、牧野富太郎の朝ドラなら興味はある。

 さて、NHK日曜朝の俳句か短歌に「フキタンポポ」いうのが出てきたが、私は初耳だった。

 写真のとおりの花を幾度も見ているから私は妻に「ツワブキのことだろう」と答えたのだが、調べてみるとツワブキはキク科ツワブキ属、フキタンポポはキク科フキタンポポ属で別のものらしい。
 そしてフキタンポポの命名者は牧野富太郎とあった。

 だからこの写真からして、本日のこの記事のタイトルは「ツワブキのタンポポ」ぐらいが正しいが、写真のとおり「きっとこれがフキタンポポだ」と間違っても仕方がないと同情してもらえないか。
 フキタンポポは冬にはフクジュソウのように葉がないまま花を咲かせるらしいから、園芸店でそんな花を見たこともあるような気がする。

 もちろん、フキタンポポはタンポポみたいな綿毛になるから牧野富太郎もそう名付けてのだろうが、ちょっとツワブキには失礼だったのではあるまいか。

2023年2月7日火曜日

鬼のパンツ

   凜ちゃんが熱を出した。一昨日の焚き火とは全く関係ないだろうが時が時だけに・・・。心配も。

 発熱外来もある小児科の医院では検査の結果「コロナもインフルエンザも陰性」ということで一安心。

 祖父ちゃんの作った鬼のパンツ(卵焼き)を食べて元気になってね。


アップルパイ

   孫の凜ちゃんファミリーから日曜の朝に「昼から焚火をしたい」と要望があり、通常の朝の買い物にさつま芋を買い足した。
 焼き芋だけでは少し面白くないので、大きなアサリ、ウインナー、バナナ、リンゴも用意した。

 焼き芋は消炭の中に埋めたのだが、少し焼き過ぎになった。まだまだ修行が足りないと反省。

 ウインナー、バナナ、リンゴは、アルミ箔で包んで写真のように竹ひごの串に刺して焼いた。

 写真は凜ちゃんが火吹き竹で吹いているところ。心臓や肺の力が弱いのだが、ようやくここまで来たのが嬉しい。

 凜ちゃんが焼きリンゴを食べて「アップルパイ」と言ったのには驚いた。食べ物の語彙と感覚だけは増えつつある。アップルパイ? 学童の施設で覚えたのだろうか?家庭では教えていないはず。

 そしてほっぺたに手をやって「ボーノ!」と言ってくれた。
 祖父ちゃんは、準備した甲斐がある。
 嬉しいので缶ビールを1本飲んだ。

2023年2月6日月曜日

寛容の着地点

   駅へ向かう遊歩道に新しく写真のようなステッカー?が地面に貼り付けられた。
 バイクは通行禁止だからこれは自転車運転者に向けて注意というか指導をしているものだろう。
 全くの想像だが、接触等の事故があったのかもしれない。あるいは「住民の声」??

 私はこの道を9割は歩行で、1割弱は自転車で通行しているが、私の経験の限りでは自転車が危ないと感じたことはない。
 反対に、生徒や学生が道幅いっぱいに広がって歩行している、しかも少なからずスマホ歩きをしているのには、「くるまは左ひとは右」と大声で指導したいときが多々ある。もちろん、私は常識ある大人であるからほんとうには声は出さない。

 つまり、私の感覚の限りでは、「自転車も通れるように気配りをして歩きなさい」と歩行者に向かって言いたいところだ(念のためいうが私は9割方歩行者なのだ)。

 ただ、わが家に近い歩道橋から下り坂になって十字路になるところは、どうしても自転車がスピードを出すので、ここにこそこんなステッカーが欲しいがここには貼られていない。そのことはさておき。

 長野県であった公園閉鎖問題を想起する。
 私は騒音対策を求めた人を単なるクレーマーだとは思わない。しかし、閉鎖しか答えはなかったのかという疑問は今もある。

 そういえば、街でも「集会所では飲酒をしないこと」という決まりができた。「酒なんか飲まなくても交流はできる」「あとで使う人の身(酒を嫌う人の身)にもなってみたら」という趣旨だったが、私は「もう少し寛容になれないものか」と反対した。コロナ下で議論は深まらず私は少数意見だった。

 あちこちの公園の立て看板には「ボール遊び禁止」「花火禁止」などの文字が並んでいる。
 わが街の公園にそれを立てようという議論があった際、私は「固いバットやボールは・・」と主張し、「大きな花火・・」とも主張し、そういう趣旨になった。
 「夏の夜に中学生が集まって花火を・・」という方もおられたが、私は「夏の世に中学生が集まって花火をしようというのは健全な思春期の表れだ」と屁理屈を開陳した。

 同調圧力、マスク警察ではないが、寛容の着地点は難しい。

2023年2月5日日曜日

スパイ気球?

   アメリカのブリンケン国務長官は3日、中国がスパイ気球(偵察気球)をアメリカ上空に飛ばしたとして、予定していた訪中を急遽取りやめた。
 中国は中国の気球であることを認め、民間の観測用気球が誤ってアメリカ上空にまで行ったと述べている。

 私は気象庁(気象台)に友人も多いので、公平に見て普通の観測用の気球だと感じた。
 こんな気球は、日本でも、気象庁や大学など研究機関が頻繁に飛ばしているもので、本来なら短期間に高層圏まで上って気象等の観測を終えてから破裂して終了するものが、失敗して漂ったものではないかと推測している。

 これが言うようにスパイ気球だとしたら、突出して世界第2位の軍事大国中国の、お粗末極まりない失敗だろう。無論そんなことは考えられない。

 そんなことはバイデン政権でも常識だろうが、アメリカ国内向けに「訪中延期」をしなければ、「偵察だ」「報復だ」「弱腰だ」というトランプ的「世論」を交わせないのだろうと思う。

 それはそれでよいとして、日本のメディアがそういうアメリカ国内の思惑に従って、「スパイ気球だ」「偵察気球だ」と合唱するのは如何なものか。
 この頃の、軍事力増強、敵基地攻撃能力というようなメディアの煽り方を思うと、こんな些細なことの積み重ねが、タモリさんの言う「戦前」に日本を近づけているのではないかと心配になる。

 写真は気象庁の写真だが、観測用の気球などアマゾンでも楽天でも通販で普通に売っている。もちろん製造している会社から通販でも買える。
 ということで、毎日毎日のニュースであっても、冷静に見る必要がありそうだ。

2023年2月4日土曜日

焼嗅がし(やいかがし)

   以前に古書店で手に入れた『27 日本の民俗 大阪』(高谷重夫著 第一法規出版)は、全国47都道府県別のシリーズの内の一つで、昭和47年発行の貴重な本である。
 それでも、大阪府下30地点の調査結果であるから、拾い上げられなかった民俗は多く、そもそも大阪市内は1件もない。
 
 わが家は戦前の船場から出ているが、そんなもので、戦前の大阪市内辺りのことが解らないのだが、府下の民俗から類推できることもある。
 例えば豆まきだが、守口市の項に「福は内、鬼は外、乾の隅へドッサリコ」と豆をまいたというのが採録されていたが、わが家はまさにそのとおり言い伝えられている。

 さて、節分にはイワシを焼いて食べ、そのイワシの頭をヒイラギに刺して戸口に飾る。焼嗅がし(やいかがし)といい、鬼(聞鼻〈かぐはな〉といった鬼)の嫌いなイワシの臭いと棘に刺さると「ひいらぐ(疼く)」ヒイラギ(柊)で疫病を追放する呪法(まじない)である。
 大阪府下ではこれを、ヤグサシといったり、メツコハナツコ(目突こう鼻突こう)といったり、オゴロ(鬼)モチナイといったりしたらしい。農村ではこれがモグラ除けとされていたという。

 相という字のことで書いたが、人は盛んな木を見てパワーを助けてもらった。同じ発想で、冬季に青々と盛んなヒイラギと、これも冬に元気なイワシのパワーで疫鬼を追い払おうと考えたのではないだろうか。
 大声で「福は内、鬼は外、乾の隅にドッサリコ」と豆を撒いたら、ほんとうに家中から邪鬼が払われたような爽快な気分になった。
 ・・・これ、皆さん、笑います?


2023年2月3日金曜日

節分

   年中行事というのはだいたいが一年に一回しか回ってこないので、孫の凜ちゃんはもう忘れていないだろうかと少しだけ案じていたが、写真のとおり、孫の凜ちゃんも「鬼は外」「福は内」と豆まきをしてくれた。

 鬼とは何ぞや! 
 けっこう本格的な本も何冊か持っているが、小学校5年生(当時)の倉持よつばさんの『桃太郎は盗人なのか?』(新日本出版社)が一番まとまっているので驚いた。

 よつばさんは、本を読んだりいくつかの鬼の博物館を見学して館長さんから話を聞いて、次のように書いている。
① 「オン」という語源から、鬼は「目に見えないもの」である。
② 頭に角があり、トラの毛皮のパンツをはいているという鬼の姿は、陰陽道の考えからきている。
③ 地獄の鬼で、閻魔大王の手下になって、人間にばつをあたえる。
④ 人間の魂・死者の魂。
⑤ 海賊や外国人、国家の命令にしたがわない反逆者。
⑥ 感染症などの病気。
⑦ 地域の人々を守り続けてきた神。

   いやいやコロナ発生前に⑥が書かれているのには脱帽。
 ⑤などを考えると、鬼はとても奥深いし、親近感が湧いてくる。
 貴方は、どんな鬼に豆をまきますか。

 以前に書いたことがあるが生駒山の暗がり峠を奈良に下ってきたところで役行者(役小角)が鬼を捕まえた。故にその村を鬼取(おんとり)という。
 鬼は行者の僕となり、代わりに秘伝の薬作りなどを教わったようだ。大峰の陀羅尼助などもそうだろう。
 生駒市史によると、その街道で妻の曽祖父が、旅行中倒れた人々に度々秘薬を施したとある。
 つまり、妻は、生駒の鬼の後裔に違いない。

 追記 友人がロシア領事館近くに住んでいる。私なら今年はプーチンのロシア領事館方向に向かって「鬼は外!」と大声をあげて豆をまきたいなあ。

 

 

しつらえ

   茶道については全くの無知であるから、その種の上級な「茶室のしつらえ」とは無縁の話である。

 ただ私は日々の生活にあっても季節を味わいながら暮らしたいと思っているので、半分物置みたいになっているが「公式には床の間」をもっていて、とりあえず安物の掛け軸などを季節ごとに換えている。
 安物ではあったが清水公照師の絵などもあって、少々気に入ったものも中にはある。

 そこで、正月も終わり少し区切りを付けたいと思ったところだ。
 大津絵の「鬼の寒念仏」でも季節はピッタリだが、何か気分が乗らず、今回はもう軸を外して、自作の赤鬼そのものにした。昨年制作したものをグレードアップしたものだ。
 掛け軸の代わりに床の間に赤鬼が鎮座しましているのだ。

 写真ではコードを外しているが、これをつなげれば目がらんらんと光るようにした。
 孫の夏ちゃんも凜ちゃんも喜んでくれている。

 心の底から「鬼は外!」と大声で厄災を祓いのけたい今日この頃である。

2023年2月2日木曜日

引っ越しの季節

   年度末が近づいてきた。子どもたちは進級、卒業、入学の春休み。引っ越しの季節である。

 会計年度をはじめ多くの公の機関も年度が更新され、それに合わせて比較的大きな人事異動があったりする。
 たまには嫌な環境から解き放たれる嬉しい人事異動もあるが、未知の仕事と環境が始まる不安もある。
 人事異動の発令の前には「内示」があるのだが、3月のその頃は沈丁花の季節でもある。
 だから、沈丁花の香りが漂うと、昔の思い出は出てこなくても環境の変わる不安感がぼんやりとフラッシュバックしてくる。

 住居を引越ししなければならない人事異動も大変だし、この時期の引っ越し費用も大変だ。「引っ越し貧乏」という言葉もあるが、そういう側面もある。

 労働組合が共済事業として引っ越し関連の斡旋をしているのも喜ばれている。

 昔は(今も?)、会社が、結婚間もない社員や家を新築した社員を遠隔地に配置換えするということがよくあった。
 単身赴任や転居をわざと突き付けて、「会社をとるか家族をとるか」という択一を迫り、会社人間(社畜?)に仕立て上げるというものだった。

 労働法があってさえそういうものだった。いま、例えば労災保険の業務上認定に対して事業主の不服申し立てが現実化している。どこかで大いに労働法とは何かを語るべき時ではないだろうか。

 などということを考えながら、シジュウカラの引っ越しのための新居を建ててあげた。

2023年2月1日水曜日

富雄のひと

   古墳時代、つまりは大王の時代はどこから始まるかという論争がある。反語的に言うと弥生時代の終わりはいつかということでもある。

 奈良の三輪山の西北麓の纏向遺跡は農耕の痕跡がなく、弥生の大集落とは全く違う特徴を持っている。そしてその周辺に、これまでの「墓」とは格段の規模を持つ「古墳」が出現している。
 その中でも初期と思われる「ホケノ山古墳」が「最初の古墳」というか、「最後の弥生墳丘墓」というかで論争がある。

 そして有名な箸中山古墳があり、この辺りから古墳時代は始まっているとの考えに学界では異論がない。
 白石太一郎先生は、箸墓(箸中山)→西殿塚→外山茶臼山→メスリ山→行燈山・渋谷向山と出現した大規模前方後円墳が初期の大王の墓だろうと指摘し、それはおそらく3世紀中葉過ぎから4世紀中葉までの100年間と考えられている。
 ちなみに魏志倭人伝は卑弥呼の死を247年頃とし、晋の起居注は台与?の朝貢を266年としている。

 以上は前書きでこれからが本題に入る。
 渋谷向山古墳のあと三輪山西北麓の「やまと」の地では巨大な古墳は造られず、替わって奈良市北部の佐紀丘陵に佐紀陵山、佐紀石塚、五社神古墳が、その少し南に宝来山古墳が築造された。
 この古墳築造地の移動は更に有名な古市、百舌鳥へとつながるが、その理由は何であったかということについても大いに論争がある。例えば後に移った古市、百舌鳥に関わる「河内王朝説」などである。
 端折って、諸説あるが、政権を担ぐ有力豪族間の勢力の移動ではあるまいか。

 さて、本日の主題は富雄丸山古墳である。
 現在の奈良県でいえば、河川が東から西に流れている「やまと」の地から、河川が北から南に流れている富雄川などの「「曾布(そふ)」の地に巨大古墳の築造地が移ったのだが、曾布は古代「和珥(わに)」という大豪族の地だった。同族には春日氏もいた。よって和珥氏を横において佐紀盾列古墳群を語ることはできない。
 今般のニュースの解説などの中で、富雄の地は佐紀古墳群の地から離れているという議論があるが、富雄の地は曾布の中の地であるし、曾布は元々縣(あがた)のあった所である。

 以前にも書いたが、面白いことに、「添御縣坐神社(そえのみあがたにいますじんじゃ)」という神社が二つあり、一つは佐紀古墳群のすぐ近くの奈良市歌姫町字御縣山にあるのだが、もう一つは奈良市三碓町、そこは富雄の地にあるのだった。
 
 となると、後の天皇家となる王権と姻戚関係を深め「天皇」陵築造の中心を担った和珥氏の首長の墓を検討してみるのが先ずは順当ではないだろうか。
 いずれにしても、魏志倭人伝と倭の五王の間の歴史書の空白を埋める、大注目の古墳である。未盗掘らしいから、歴史書が変わるかもしれない。