お水取り(東大寺二月堂の修二会)の前行である試別火(ころべっか)が今日から始まる。
月が替わるといよいよ本行が始まり有名な「お松明」も登場する。
さて、二月堂の階段の南の下に滝行のための龍王之瀧があり、その前に大きな芭蕉の句碑が建っていて・・
『水取や 籠りの僧能 沓乃音』 と刻まれている。
貞享二年(1685年)、芭蕉が参籠したときに詠んだ有名な句であるが、野ざらし紀行には『水とりや氷の僧の沓の音』と書かれている。
はて、籠りが正しいのか氷りが正しいのか。
俳句にはほゞほゞ素人の私は、長い間、芭蕉の詠んだ「籠りの僧」を聞き間違えた者が「氷の僧」と書き誤ったものが流布したとばかり思っていたが、今般、深沢眞二著『芭蕉のあそび』(岩波新書)を読んで、それが全くの誤りであることを知って驚いた。
つまり、答は野ざらし紀行のとおり「氷の僧」が正しくて、ということは、二月堂下の大きな句碑は大間違いだということだった。(「籠り」と書かれるには理由もあるがとりあえずは今日のところは割愛)
著者曰く、芭蕉は子規以降の近代俳句の人ではなく俳諧師である。俳諧は笑いの文学である。そこには、「しゃれ」「もじり」「なりきり」「なぞ」が詰め込まれ、謡曲をはじめとする先行文芸のパロディも含まれている。・・ということらしい。だから、近現代俳句のフィルターから見てはいけないという。
では「氷の僧」とは何か。
その世界では権威ある尾形仂氏の『日本詩人選 松尾芭蕉』では、「二月の奈良の寺院で寒夜森厳の行法にはげむ僧のイメージを、「氷の衣」「氷の蚕」「鐘氷る」などのことばにならって感覚的に言いとったものだろう」・・「現実の氷や寒さというよりも行の≪凍りつくようなきびしさ≫の感覚的・象徴的な表現」「魂を氷らせるような沓の音」だったという。
それに対して、旧暦2月、今の3月の奈良は春であるからこの感覚はおかしいという批判もあるようだが、私は今のように観光行事化する前に、しんしんと降りつもる雪の中でお松明を見た経験があるから、お水取り=氷るように寒い夜という感覚も否定しがたくよく分かる。
しかしこの著者(深沢氏)は「そんなことではない」と、俳諧の常識を次のように教えてくれている。
当時の「しゃれ」の常識として、『水鳥』に掛かる言葉としては、かけ樋、二月堂、敗軍、作ル田、蓮池、生田川、竜骨車、昆陽の池、氷がある。
それぞれの理由は、季語で水鳥と氷はともに冬、敗軍は平家物語、生田川は大和物語、昆陽の池は千載和歌集で氷やオシドリと結びついていて、蓮池は画題の「蓮池水禽」、・・そうして水鳥の同音異義語が「水取り」、その「水取り」から「かけ樋」「作ル田」「竜骨車」、もちろん「二月堂」となっている。
さらには、沓はオシドリの形にそっくりなことから、昆陽の池、水鳥そして冬に結びついている。
整理すれば、A 水鳥や・・氷の・・沓・・ と B 水取りや・・僧の沓の音 という二つを掛詞「水とり」をかなめとしてまとめている。
Aが和歌・連歌の伝統に沿った連想関係の雅。Bが現実的で俳諧的な連想関係で俗。その上に、尾形氏指摘のような「氷の僧」という非現実的な印象深い表現が生まれた。
付記すれば、これは芭蕉が宗因流の俳諧から学んだ手法でもあった。俳諧とはそういうものであった。
・・・この本を読んで、五七五の真似事などを詠もうとしていた私は「そんなこと知らんがな」とガ~~ンときた。目から鱗と言うべきか。
ある大学の先生が「東京の先生は正しいことを言っているだけで良いからいい」「関西に来たら正しい講義を面白くしゃべることができないと評価されない」と言っていたことを思い出す。俳諧とはそういうものであったのだ。
そうか、そうであるならば、関西人はみんな芭蕉の弟子なんだ。
この本の帯には、「芭蕉だって笑ってほしいに違いない」とあった。
私の好みからいうと、この種の技巧はあまり好きではない方だが、知っていることと知らないこととは大きな差がある。
昔の人よりも現代人の方がエライなどとは思わない方がよい。
ちょうど朝ドラでも和歌における本歌取りを詳しく語っている。