2023年2月27日月曜日

法円坂官庁街

   土曜日に後期難波宮大極殿のことを書いたが、大阪市法円坂の難波宮遺跡のその場所には大日本帝国陸軍歩兵第8連隊の隊舎があった。

 第8連隊は、〽また敗けたか8連隊 金鵄勲章くれんたい・・と馬鹿にされた唄で有名だった。
 8連隊は大阪商人のぼんぼんで、屈強な農村の部隊に比べて弱かったので・・そう歌われたと専らそう言われていた。
 8連隊に入隊していた伯父さんもそんなことを言っていたから、半分はほんとうだったのかもしれないが、戦史上そうだった(弱かった)とは確定していない。

 司馬遼太郎の本だったかに「他の部隊は食料等を徴発(強奪)していたが8連隊は金を払って買うていた」と、如何にも大阪商人の兵隊だったと書いてあった気がするが、実際はどうだったか。少しほんとうだったと信じたい。

 戦後8連隊の多くの隊舎は官庁等になり、当然労働組合書記局もその片隅にあった。昭和40年代までそういう状況だった。
 そんな話を現職の労働組合のリーダーに雑談で語ったところ、へ~~ということで、イメージもできないようだった。
 もちろん、8連隊の俗謡も知らなかった。

 つまらない内容だが、歴史は語り継がなければ「なかったもの」にされたり「ネジ曲げられたりする」に違いないと再確認した。

 下手に語ると「年寄りの自慢話」みたいに嫌われるから難しいところだが、たまには昔話も聴いて欲しいなあ。

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