2023年2月13日月曜日

平群の丘のパネル

 
   12日の朝日歌壇・永田和宏選にこんな歌が続けて採られていた。

  ヤマトタケルも歌に詠みたる平群の丘に太陽光パネルが(京都市)日下部ほのの

  パネルなら二百ワットも発電し役立った筈なる日向ぼこ(横浜市)一石浩司

 テレビのプレバトで夏井いつきさんが「作品の解釈は読者に任される」というのを幾度も聴いたことがあるが、その伝でいくと、先ず二首目のパネルには否定的な性格はないだろう。
 それを独り占め?できている日向ぼこがほのぼのしている。

 問題は一首目の歌だが、単純に読めば「そんな田舎の丘陵にもSDGsに向かうパネルが」というかもしれないが、また、この二首が続けて採られて掲載されているからにはそれが素直な解釈かも知れないが・・・

 古事記ではヤマトタケルが死の床に臨んで、有名な「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし」と詠んで、続けて「命の 全けむ人は たたみこも 平群の山の 熊白橿が葉を うずに挿せ その子」と詠んだ「平群の山」で「へぐり」と読む。ヤマトタケルは臨終に懐かしい故郷を詠ったのだ。

 その平群の地が近年話題に上っているのは、大規模な太陽光発電のパネルの設置ということで、無茶な乱開発が進み、自然と安全を守れと、大規模な住民運動が裁判闘争を含めて盛り上がっていることだ。
 私は京都市の作者はこういう情報を知っていて、これほどまでに古事記にまで歌い上げられている地にまで、金儲け主義の乱開発の手が・・とパネルを否定的に詠んだものと確信するのだがどうだろう。

 とすると、朝日歌壇の限りではそれは伝わり辛いなあ、特に、続く二首目の歌に引かれて誤解が広まらないだろうかと、心がざわついている。
 なお平群は、亡くなった義母の故郷である。


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