一般に鬼子母神(きしもじん)は安産・子安の神仏として有名だが、特に日蓮聖人が重視したことから、法華信徒の守り神として現在でも厚い信仰を集めている。
経典では、鬼子母神は千人の子を持っていたが、その末子をお釈迦様が隠し「千人のうちの一子を失うもかくの如し」と諫めたので改心したという。
その説話に因んで、鬼子母神の祭事では千個の団子を供えたらしく、その千個の団子(千団子)にも似た鈴なりの実を持つ木を「せんだんご→せんだん(栴檀)」といい、古名を「あふち(楝)」と言ったという説もある。(他に「千珠(せんだま)」説などもある)
その楝(おうち)だが、明治29年に発表された歌『夏は来ぬ』の4番に登場する。
作詞は佐佐木信綱で、こうである。
楝(おうち)ちる 川べの宿の
門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
夕月すずしき 夏は来ぬ
私は無学なものだから、最初にこの歌詞を見たときに「楝」の読み方も意味も解らなかったことを思い出す。
ところが今では、わが家を出た直ぐの遊歩道が楝の並木路になっていて、毎日のようにその下を歩いている。これもまた「縁は異なもの」と言えようか。
そして先日から楝が満開で、その道は素晴らしい芳香に包まれている。
先日来の記事で、匂いのきつ過ぎる木々のことを書いたが、楝については「過」もなく「不足」もない。
ただし、この芳香のことを「栴檀は双葉より芳し」と言ったのではなく、諺の栴檀は白檀のことである。事実、楝の若芽に芳香はない。
楝の並木路の近くでは卯の花も咲いている。
そう、お察しのとおり、あと必要なのは時鳥(ほととぎす)である。
時鳥の「聞きなし」ほど多様な鳥もいないし、その聞きなしに係る民話の種類も多い。そして、その民話の多くに暗い陰があるのも特徴的だ。
奈良県北部のそれは、兄のために良い芋を残して自分の分を食べた弟を兄は疑い腹を裂くと屑芋しかなかった。兄は後悔してホトトギスに姿を変え「弟(おとと)かわいや、ほーろん(本尊?)かけたか」と毎日八千八声ずつ鳴くというもので、激しい鳴き方、口内の真っ赤な色と合わさって、「鳴いて血を吐く・・八千八声のホトトギス・・」の河内音頭となる。
全国的にも、「芋首食たか」「包丁立てた」「弟腹(おとはら)突(つき)った」「ぱっと裂けたか」と同種の聞きなしと民話がある。(山口仲美著「ちんちん千鳥のなく声は」)
縁は異なもので、この記事を書いている22日の深夜にホトトギスの声を聞いた。理屈抜きで感動した。妻にそう言うと妻は「私は2日前の夜に聞いた」と鼻の穴を膨らませた。
自慢気に忍音聞いたと妻は言ひ
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