2017年5月7日日曜日

5月5日は孫の日ではない

    5月5日、老人ホームの義母と端午の節句の話をした。
 会話と言えるほどのキャッチボールはほとんどできなかったが、それでもポツポツと、昭和30年代まで家で粽(ちまき)を作って知り合いに配っていたこと、・・
 包んだのは今風の笹の葉でなく葦(アシ)=茅(カヤ・チ)の葉で、紐は藺草(イグサ)だったこと、・・
 そして「こんな風に包みますねん」と、普段は食事もおぼつかない手を、奇跡的なほどに動かしてくれての熱血講義だった。

 さて、昭和4年発行の『年中事物考』という本の「端午の節句」の章によると、「ちまきは茅卷(ちまき)の義(ぎ)で、古(いにし)へ、ちまきを作るには茅(かや)(ち)の葉で卷いたからで、今でも之(こ)の古義(こぎ)の傳(つた)へのまゝ拵(こし)らへたのを見かける」とあった。
 昭和4年に既に「古義」と書かれていた茅=葦の粽が奈良の義父母の世代までは残っていたこと、それを実体験者の生の言葉で聞いていることに感動を覚えた。

 思うに、茅(葦)というのは単に「手近にあった」からというような単純なものでなく、「茅の輪くぐり」の例を挙げるまでもなく、ある種の神聖性があったからだろうと思われる。
 これに関して、故福永光司氏は、道教の経典に近い書物である『抱朴子』(4世紀初頭晋代成立)には「山中で幽霊に出会ったときは茅(ちがや)を投げろ」と書いてあると指摘し、江南道教の聖地が茅山(ぼうざん)であることも無関係ではないと示唆されている。
 義母のさりげない話は、実は屈原の故事にも重なるとても奥が深いものではなかろうか。

 さて、これはしばしば書いてきたことだが、弥生時代の道具を博物館で見ると、昭和30年代までそこかしこにあったものとほぼ同じものが少なくないので驚かされる。
 民俗学や文明史で見ると、この国は昭和40年ぐらいを境に別の国になってしまった。
 だから未来の人々から「日本の伝統文化はあの時代に消滅したものが少なくない」と批判されるのは我が世代のような気がする。
 ビートルズやツイッギーを語り伝えることも大切だが、親の世代までのあれこれを語り伝えることはそれ以上に大事だろう。

 5月5日は子供の日であって孫の日ではない。
 なので老夫婦で庭仕事などをして過ごした。

    老親に活力呼びし粽かな

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