2023年12月31日日曜日

歳神さまの依代

   数え年でいうと明日の元日に1歳としをとる。(細かい話は別にして)

 先日テレビの『英雄たちの選択』で、平安時代から続いていた不正確な中国輸入の暦を800年ぶりに日本独自の正しい暦に改暦した渋川春海(1639ー1715)を紹介していたが、それを見ていて感じたのだが、旧暦(太陰太陽暦)では大の月と小の月が年ごとに変わったり、そもそも閏月があったりして、「1年」というものが固定されていなかった。
 つまり、現代の感覚では「数え年など変だ」「なぜ満年齢でなかったの」と感じるが、旧暦では満年齢という発想すらできなかったのではないだろうか。
 なので、そういう歴史の話と照らし合わせると、毎年正月元日に歳神さまが1歳という歳を加えてくると考えた思考方法は決して幼稚ゆえのものではなく、大いに合理的な一案だった。

   「汲古得新」という熟語のことは先日に書いたが、自分の国の文化を語れずに(汲古=歴史を学ぶ・・ことなくして)得新もない。
 重ねて言うが古人は元日に歳神さまが「来てくれる」と考えた。そのためには神の依代(よりしろ)が必要で、門松はその依代だった。・・という文化がこの国にはあった。

 そういう神々との交信を馬鹿にした現代人は、神の道どころか人の道を踏み外しつつないか。・・とわが家では例年どおり玄関先に門松を立てている。(といって松の枝を左右に1対だけ)
 写真の本「天地明察」、天文学や自然科学が好きな方、歴史が好きな方、文学が好きな方に冲方丁の名作。一読をお勧めする。

 本日は大節季、明日になればおめでとう。この1年、拙いブログ(本年は398件)にお付き合いありがとうございました。

 なお別件だが、スマホにはQRコード読み取りアプリを入れられていることだろうが、もし未だの方は入れておいてほしい。基本的には無料。そのお願いの理由は明日。

2023年12月30日土曜日

おだまき

   今年は暖かい年末になっているが、寒い冬のわが家の定番料理のひとつは『おだまき』だ。
 大阪は船場発祥の料理である。

 元は私の実母から妻に継承されたのだが、今では全く妻の得意料理のレパートリーに入っている。

 一言でいえば、うどんの入った具だくさんの大きな茶わん蒸し。
 ほんとうはもっともっと寒い夜によく合う。
 名前の由来は「苧環」。うどんが苧環に糸が巻き付いたようだから。
 「大阪の郷土料理」という解説もあるから、大阪ゆかりの方々で食した経験のない方は是非とも召し上がれ。大阪商家の香りがするでしょう。

2023年12月29日金曜日

美味しい馬さん

   「 めでたくもありめでたくもなし」というお正月だが、私は「おめでとう」という派である。
 だから「元日といっても同じ24時間、何が違う」などと冷たく言い放つのでなく、お雑煮やおせちをいただくし、さらに何か一品、お屠蘇(お酒)の肴(あて)に何かを用意する。その「何か」を何にするか。悩むのも楽しい。

 「一品」では、わがファミリーでは馬刺しが評判が好いが、この間からコープの馬刺しは人気がよく抽選で何回も外れている。・・そして今回も。
 それでネットで買おうとするとびっくりするような安いものが見つかり「これはシメタ」と手続きを進めると、最後の方で「中国内モンゴル産」と出た。
 で急に気分がしぼみ、「日本のお正月は日本産で」などという古臭い意識に乗って高い熊本産を探してゲットした。

 その後、大阪市内に出る用事のついでに鶴橋で途中下車した。
 先日娘が「インバウンドで大阪市内はエライことになっている」と言っていたが、ここもほんとうに様変わりしていた。賑やかで活気にあふれていた。
 韓国からの旅行客と思われる人々も非常に多く、「わざわざ日本に来てチヂミもキンパもないやろ」と私は思うのだが、かえって韓国の都会では消えた古い韓国の郷愁のようなものが残っているのだろうか。

 で、最初の馬刺しだが、ここで下車した理由は「さいぼし(馬肉の燻製)」を買うためで、昔購入したことのあるあたりを探したが「さいぼし」は見つからなかった。
 人情溢れる街鶴橋らしく、女将さんが私を連れて数件の店を案内してくれたが、卸していた店がなくなったということで、鶴橋ではもう「さいぼし」は手に入らないことがわかったが、親切な女将さんのせいで気持ちよく鶴橋を後にした。

 結果、帰って翌日、ネットでチョコチョコとクリックして注文した。
 便利だけれども何か味気ない。この感覚が時代おくれなのだろうか。
 気を取り直してお正月の準備だ。孫の凜ちゃんも「馬さん美味しい」と言ってくれるだろう。

2023年12月28日木曜日

檀(まゆみ)

   派手ではないが寒風に抗して冬空を彩っている檀=真弓(まゆみ)の実。
 古くは記紀万葉の中に出てくる。
 弓を張る、引く、射ることなどから、春だとかヒやイの付く地名などの枕詞にもなる。
 源氏物語にも出てくる。

 丈夫なので弓の材料として使われたという。なので真弓。
 弓というと梓弓に想像が飛ぶ。弓の弦のビュンビュンという音は神聖な感じがして、巫女が神降しなどのときに使用する。

 また「鳴弦」は、宮中でも?今に続く?邪鬼払い・悪魔祓いの重要な儀式・方法。
 この真弓の写真を見ながらビュンビュンという音に想像を飛ばし、歳の終わりに、来る歳の除災招福を祈念することにしよう。

2023年12月27日水曜日

食用菊

  「お刺身のつまのアレはタンポポらしい」と妻が言った。
 「そんなアホな。あれは食用菊や」と答えたが、過日ラジオ深夜便で奥本大三郎さんが、ということを話の導入部にして「・・・だからタンポポは食用になる」と話を展開されたらしい。(聴き間違いだったらごめんなさい)

 戦時中はタンポポの根っこで代用コーヒーが作られたということは知っているし、タンポポがキク科であることも知っているが、そして博識の奥本大三郎氏の話らしいから、私の知らない世界では刺身にタンポポを添える文化があるのだろうか。
 そこで安直にネット検索してみたら、正体は食用菊で間違いなく、それを通称「刺身タンポポ」という文化が一定あるらしいことがわかった。あれは菊で間違いない。

 さて若い頃仕事で全国を飛び回ったが、そんな折地元の市場で買い物をしたりするのが好きで、山形ではプラ容器にいっぱいの食用菊を数個土産にした。
 山形ではお浸しのように二杯酢でパクパク食べていた。味というよりも菊の香を楽しむ感じかもしれないが、・・・だがそれ以降、あまりパクパク食べた記憶はない。
 関西人にしては菊をたくさん食べた方かもしれないが・・

 話は戻って、いくつかの本によると、そもそもセイヨウタンポポは明治初期に野菜として輸入されたという。
 花は天ぷらに酢の物に、若葉はあえ物おひたし炒め物汁の実、根はきんぴら等々、「栄養面でも野草の王様」ともあった。
 ほんとうに刺身にタンポポを添えても100%勘違いにはならないかもと、考えを新たにした。

2023年12月26日火曜日

国家公務員の大先輩

   『 汲古得新』という熟語を見つけた。まあ文字からして温故知新とほゞ同義と思われた。
 「汲」は水をくむ以外に相手の気持ちを知るという意味もあり、「汲古」で昔のことを調べるという意味がある。
 「得」はえる、うる、とる。そして知るとの意味もある。
 「新」はあたらしい。・・で、やはり温故知新と変わらない。・・が、汲古得新の原典は見つからなかった。

 人生のめぐりあわせというものは全く妙なもので、日本史など全く興味のなかった私だが、生駒山の東に転居してから、古都奈良の寺社や遺跡などに親しむと同時に、奈良大学の故水野正好先生の話を聞く機会を度々得た上に、後には平城京などの発掘の経験豊富な小笠原好彦先生の講義を学ぶ機会を得て、近頃は古代史の書籍の逍遥と、自分なりにああでもないこうでもないと愚にもつかない仮説を立てて見たりすることを趣味にしている。

 今般その小笠原先生から、事前に申し込んでいた写真の新刊書を送っていただいた。
 内容の要点は講座で学んだはずのものだが、情けない記憶力ゆえ、実際の感覚としては初めて学ぶ感じで読みつつある。
 中国の古典もそうだが、歴史は決して古臭いものではなく、千年以上昔の人間も現代人と変わらないと思うことが多い。それこそ汲古得新だ。

 一例をあげれば、孝謙上皇と道鏡の政治を改革しようとした藤原仲麻呂は近江守であったが、孝謙側のクーデターに対してとりあえず近江の国庁めざして逃走したが、孝謙側騎馬隊が先に勢多橋を焼いたため国庁に辿り着けなかった。
 仲麻呂は近江守ではあったが自ら近江の治世には熱心でなかったことが仇になったのではないか。なぜなら、近江の実情に通じていたなら、湖西に逃げるのでなく、勢多橋南の供御瀬の浅瀬を渡って国庁に辿り着け、大いに軍勢を再建できていただろう…というようなことは、高級官僚ではあるが、国家公務員の姿勢の問題として現代にも通じている。
 ただそんな話は歴史の少し側道のようなことで、講義の中で知ったがこの本には書かれていない。

 この年末年始にゆっくりこの本の読書を楽しみたい。
 興味の湧かれた方には一緒に読み進めませんか。

2023年12月25日月曜日

広島焼きでメリークリスマス

   メリークリスマス。
 今日だけは世界中にはクリスマスどころでない子どもたちの居ることの指摘はそれだけにして、夏ちゃんファミリー、凜ちゃんファミリー全員集合でクリスマスパーティーができたことをありがたく記録しておく。

 今年、広島に行った夏ちゃんが、そこで学んできた「お好み焼き(広島焼き)」を皆に振舞うというのがメーンイベントだったが、悪戦苦闘の末ではあるが立派に所期の目的を達した。

 大阪のモダン焼きよりも格段に美味しく出来上がった。
 広島では「広島焼きではない」「これがお好み焼きだ」というが、名前は大阪のが「お好み焼きだ」と私は思うが、これはこれで立派な料理だった。それをこの歳になって初めて孫に教えてもらったことになる。

 宗教行事はいざ知らず、クリスマスは老人のお祭りだ。子や孫が集まってくれて、こんなに楽しいことはない。メリークリスマス。

2023年12月24日日曜日

潮湯

   冬至の柚子湯につかりながら思い出した。

 先日テレビで『大阪43市町村築年数の古い銭湯ランキング』というのがあった。
 冒頭、私は妻に「きっと堺の潮湯が出るぞ」と宣伝したが最後まで登場しなかった。
 バカヤロー、安物のテレビ番組め!

 安物テレビの代わりに書き留めておくと、南海本線湊駅近く、堺市堺区の『湊潮湯』は大正12年創業。・・・このタイトルのテレビ番組でこれを外すか。
 そしてもっともっとニュースバリューがある。・・・ここは関西で残っている唯一の天然海水の潮湯である。

 元々堺の大浜には潮湯が沢山あったというが、臨海工業地帯の造成=海の埋め立て(1960年前後)でそれぞれ廃業していった。
 その上に、天然海水だからパイプに小さな貝が詰まったり、そもそもパイプその他が真水と違って腐食が激しい。メンテナンスも馬鹿にならない。
 湊潮湯も「もう廃業しようか」という話は何回も起こった。

 で、そんなことなんであんたが知っているの?
 
 実はここを経営している三姉妹の一人は同級生である。
 だから、悪たれ同級生たちもよく行っていて、時々は番台の同級生と鉢合わせもあった。
 小学生の間はそれも好かったが、中学生になると・・・、で、「昨日は見られた!」というような悪たれ同士の会話もあった。

 もう一度言うが、こんな古くて特徴のある湊潮湯を外すか? TVO。
 興味が湧けば一度体験に行かれたい。

2023年12月23日土曜日

他人ごとでないダイハツ

   「人身事故さえ想定される自動車産業のモラルはないのか」というような「正論」と「怒り」はひとまず横において、 
新聞やテレビの情報しか知らないが、私はダイハツの「第三者委員会」に拍手を送りたくなった。
 多くのこの種の報告に漂う「上っ面」だけの報告ではないものを感じたからだ。

 報じられているところでは第三者委は次のような指摘をしている。(私の興味の湧いた部分のみを私流の解釈で記すが)
 1 無茶にタイトな期間で開発された過去の結果だけが、そこで生じていたであろう矛盾を検討されることなく成功体験として、以降の硬直的なスケジュールとなった。
 2 成功体験(の結果)に至らないことは許されず、失敗すれば厳しく叱責される風土になった。
 3 だから「問題」は現場で抱え込み、集団や上司で解決することにはならなかった。
 4 現場は人員不足で余裕がなく「自分や自分の工程さえよければよい」という社風になった。
 5 ということで、「日程」に何が何でも合わせるために認証試験の不正が常態化していった。

 どうだろう、「ダイハツはヒデーナ!」という評論で済ませられるだろうか。これは貴方の職場にはかすりもしない問題だろうか。
 人員不足で普通には「できない」体制、それを「見て見ないふり」をして現場任せにする管理者、そして問題が明るみに出れば現場にむけての叱責と「処分」で「再発防止だ」とする繰り返し。

 ヒヤリハットの法則ではないが、小さな問題は今回のそれ以前に数々起こっていたはずである。それが「法則」だ。
 それを「真面目に」提起した社員は推測だがある意味叱責されていたのだろう。ほんとうはそれを誉めるべきなのだが。

 仕事の現場は人の集まりだし、労働の後ろには人々の人生がある。つまり、経済だけでない、コストだけでない、「コストカットだけが善」ではない。
 働くものが、「わが社のダイハツ問題」を語り合うべきときでないか。 

 なお、「報告」が踏み込んでいない「聖域」は完全親会社のトヨタの責任である。ある意味、完全子会社ダイハツの管理者も犠牲者だったかもしれない。無茶を承知で「日程」や「経費」を押しつけられた結果という側面がなかっただろうか。
 そこにメスを入れないと、次の不正が潜在化するだけでないだろうか。

2023年12月22日金曜日

冬なか冬はじめ

   「冬至冬なか冬はじめ」という言葉は誰が言ったか知らないが的を射ている。
 暦でいえば「冬なか」だが季節でいえばまだ「冬初め」で本格的な冬はこれからだ。
 と言いながら、今年は冬至に厳しい寒波となったが、冬本番はまだ一月ほど先になる。

 実は私の誕生日はそういう冬真っ只中だが、誕生日とは関係なく冬には滅法弱い。

 母が最晩年に私と話をしていた折、「あんたが生まれたとき大雪の日やったなあ」と私に同意を求めるように語ってきた。
 生まれた赤ん坊が「今日は大雪だ」と感じたとでも言うのだろうか。
 冬になると、あのときの頓珍漢な会話を思い出す。

 さて、現在われわれが使っている暦・グレゴリオ暦は基本的には「冬至正月」の亜流だと思う。
 冬至か、春分か、それとも立春か、何を正月にしたいかは人や民族でそれぞれであるが、アジアの旧正月の人々は「立春正月」の亜流ではなかろうか。
 いずれにしても、農耕作業のスタートと重なるし、日脚(日照時間)に太陽や生き物すべての再生・快復を感じたのだろう。

 そんな先人たちの思いを想像しつつ、ゆず湯に入って、美味しいものでも食べることにしよう。

2023年12月21日木曜日

人の道のこと

   この秋に孫の夏ちゃんの運動会を見学したことは以前に書いたが、この小学校では全校生徒を二組に分けての団体戦方式だった。
 
 例えば徒競走では1位2位3位などとなるがそれが団体の得点に反映される。個人としての表彰はない。
 「1位も2位も付けない」でもないし、やたらに結果重視でもなく、倒れた選手を助けに戻る児もいたりして、私などは「時代の流れかなあ」「小学校の運動会はそれでいいのでないか」と肯定的に感動した。

 で、例の裏金問題を見ていて「彼ら彼女らはどんな教育の中で育ってきたのだろう」とふと考えた。

 世の中には「違法」とか「犯罪」とかいう概念がある。もちろんそんなことをしてはならない。
 しかし言いたいことは、明確に違法とされなくても「してはいけない」ことがある。それは法律の世界以上にある。倫理とか常識とか言われる。人の道でもある。
 ほんとうは公教育が諭すべきことだろうが、教員は点数(偏差値)の「成果主義」で統制され対応不十分だ。
 もう一つは本来は宗教の出番ではないかと思うのだが、この世界のことはよくは知らないが玉石混淆。ただ私は心ある宗教家がもっとものを言うべきだと感じている・・というか希望を持っている。

 政治家が裏金作りなどしてはならない。
 テレビなどを見ていると、まるで「記載しなかった手続きが問題」みたいな議論があるが私は間違っていると思う。
 この先のことは判らないが、あまりに酷い者は検察の対象になるだろうが、小者?はお目こぼしがあるかもしれない。
 しかし、彼らはみんな「人の道」を踏み外した者たちである。

 「それでも自民党に政権担当能力」なる議論をする者がいるが、はっきり言うと官僚機構がしっかりしておれば政権交代でこの国は素晴らしく改善される。
 旧民主党はマスコミや話題・人気に乗ろうとして官僚や公務労働者を働かせなかった。私はそう思っている。
 そこを真面目に反省して今こそ落ち着いた政権交代を高らかに訴えるべきときでないか。
 人の道を踏み外した、精神の卑しい者たちを選挙で二度と選んではならない。

2023年12月20日水曜日

16%から思うこと

   毎日新聞が16日、17日に実施した調査結果では、岸田内閣支持率は16%、自民党支持率は17%に落ち込んでいる。私は当然のことだろうと思う。

 反対に、この期に及んでもまだ16%、17%の人が政権や与党自民党を支持するか!という疑問が残るが、それぐらいの人物が多かれ少なかれ「裏金」に繋がって居るものだと考えると、この数字がこれ以上減ることもないのかもしれない。

 話は変わるがわが街では「ゴミステーション方式」でゴミが収集されている。各戸の前ではない。となると、収集日でない日に出す、収集日の対象でないゴミを出す、分別等の決まりを無視したゴミを出すと、ステーションに収集されずに残る。またカラスや野良猫に散らかされる。
 それが各戸ごと収集なら嫌でもわかるが、ステーション方式だと視界からは遠ざかる。もっと言えば、各戸の前でないことをよいことに、残ったルール外のゴミを「見て見ぬふり」をする。ステーションの当番さえ「翌週は次の当番だ」とばかり「見て見ぬふり」をする。

 何を言いたいかと言えば、世の中には社会人としては失格の人間が何%かは居るものだという感慨。とすれば、別の見方からすると、先の16%、17%は、あって当たり前で、まともな社会人ほぼ全員不支持だということにならないか。

 ただ、それがテレビのワイドショー的な、何人がいくら隠していたか、検察庁はどこまで特定するか、会計責任者以外にまで踏み込めるか、その量刑は的な野次馬議論に終わらないことを祈りたい。

 それでも立憲野党が取って代わるような支持率をあげてはいない。そこが今のマスコミの弱点というか限界かもしれない。(マスコミだけの責任ではないが)
 森友にしても、桜にしても、そして今回のパー券にしても全て共産党の機関紙しんぶん赤旗のスクープから始まった。
 もしこの国に赤旗がなかったとしたらと考えると・・・。
 
 勝負所は選挙で立憲野党が政権交代を目指すことだ。

2023年12月19日火曜日

これも霍乱?

  泣き笑い孫から受けし胃腸風邪

   「これ、いま流行ってるんです」「さっきも同じ症状で年寄りが来たとこです」と医師の言。
 風邪などの細菌やウイルスによる感染性の胃腸炎が流行っているらしい。特に乳幼児。
 体の弱い孫の凜ちゃんは一発で罹ってきた。上げたり下げたりでぐったりして、先週初めの受診の後わが家で療養していたが、途中で見事に嘔吐した。咄嗟のことで素手で吐しゃ物などを始末したが、その他鼻汁などの始末と共に感染したのは100%間違いない。母親もそうなった。

 凜ちゃんにうつされたものだから怒りも悲しみもない。病原菌によるものだから静養だけではどうにもならず、私は受診即点滴そして抗生物質の服用となった。

 以前に循環器の医師に「体調を快復させるのには時間が要るが、壊すのは一瞬だ」と言われていたが、ほんとうに一瞬に体は弱り、快復はままならない。これを「歳をとったと言うのか」と考え込む。

 超特急の上げ下げは泣きたくなるほど苦しいが、これもイクジイの勲章かと思うと笑えてくる。

2023年12月17日日曜日

休憩

   大したこともないが大袈裟に休憩。

2023年12月15日金曜日

年賀状を出す

   年賀状を作成した。15日の郵便局受付初日に投函する予定だ。
 「年賀状は形式主義だ、無駄だ、徒労だ」という声もあるが、一年に一度ぐらい63円で人々の顔を思い浮かべるのも悪くはない。
 何よりもお正月にいただいた賀状を読ませていただくのが楽しい。
 勉強になる言葉や、へえ~という近況報告もうれしい。ペット自慢も子や孫自慢も全く悪くない。

 私の場合は悪筆なので近年はパソコンで作成している。よく新聞の「声」欄などで「自筆でない年賀状は‥もうひとつだ」的な意見が載るが、読みながら肩身の狭い思いがする。
 自筆でない分、文章等に心を込めているつもりだ。事実、お世辞にしても「君の賀状は楽しみにしている」と言われると嬉しい。宛名を印刷した年賀状を部屋に広げると、皆の顔が浮かび思い出がよみがえる。

 ただ私の癖で、蛇足という言葉どおり、要らぬことをし過ぎてマイナスになっていることも多い。
 装飾のことだが、昨年はダイヤモンドとは言わないが、キラキラストーンシールを添付した。郵便局で「これでいけるか?」確認してから作成した。しかし誰からも「ダイヤの欠片をありがとう」という声はなかった。配達途中でとれた?? 投函時の束は相当いびつな厚さであった。そんなこともある。
 今年は私にしてはあっさりした文面になったが、妻と二人で工夫したところもある。はて、何人が反応してくれるやら。

2023年12月14日木曜日

どう使ったかが問題だ

    NHKBSに『クールジャパン』という番組があり、いささかニッポンスゴイ!的な”臭い”はあるが、民放のそれらに比べると冷静に笑ってみていられる。
 その中の、テーマが『自動販売機』の折に、多くの外国人が「路上に自動販売機が置かれていると自分の国では泥棒にあう」と語っていたが、確かに日本ではまあまあ自動販売機は荒らされずに立っている。・・・と褒めちぎられる日本人のモラルの水準も近頃は地に落ちたようだ。桁違いの裏金の話である。
 そのように日本と日本人の評価をズタズタにしているのが、ニッポンスゴイの親玉みたいな顔をしていた安倍晋三一派だというのも社会勉強になる。巧言令色鮮し仁。名言である。

   例のパーティー券裏金事件だが、パーティー券方式そのものが政治資金規正法の脱法行為であるという基本問題をとりあえず横に置いておいても、収入を全て会計報告して、ノルマ超過分を各議員の資金管理団体に寄付すればよいだけのことである。税金問題もないだろう。それを何故組織的に裏金にしたのか。

 ズバリ、使い道を明らかにできない(したくない)使い方をするためであろう。河井夫妻選挙買収事件もその一つ。
 官房機密費も同質だが、米軍基地反対運動や、原発建設反対運動の際、多くの札びらで切り崩しが図られることもあった。職業としてヘイトスピーチを発信し続けた会社もある。選挙になると車内広告だけでもいろいろ計算が合わない雑誌がある。四六時中酒食をともにしている「評論家」がテレビで「解説」している。
 そして地元の「有力者」を可愛がるということも・・・ないだろうか。

 だからこの裏金問題は、「報告」しなかったという事務処理が問題なのではなく、その裏金がどう使われ、それがこの国の民主主義をどう歪めたかではなかろうか。
 一安倍派だけのことではない。ほんとうにこの国を愛するなら、こんな嘘つき集団(政党)を選挙で選んではならない。

2023年12月13日水曜日

ベルギー式ホルモン

   先週、ケンミンショーで三重県亀山の「亀山みそ焼きうどん」を紹介していて、いつものとおりひな壇の人々が「初めてだ」「驚いた」「美味い」と合唱していたが、一言でいえば「ホルモン焼きうどん」に赤味噌を加えたものだった。

 「ホルモン焼きうどん」は兵庫県佐用町や岡山県津山市でも「郷土料理だ」と謳っているが、私が紅顔の青年であった1960年代にも大阪で食べることができた。
 ただ、「ホルモン焼きうどん」とは言わず、「ホルモン」の仕上げにうどんを投入する方式だった。天六の北西にあったその店は「ベルギー式ホルモン」と謳っていた。

 同じように網ではなく四角い鉄板でそれを食べさせる店は近鉄阿倍野橋駅の地下通路のようなところにもあったから、亀山のそれも、観ていておおよその味の想像はついた。不味いはずはないだろうと。

 数日後妻と買い物に行った折、スーパーの中で「明日の夜は何にしよう」と妻が言うので、「それならホルモン焼きうどんをつくるわ」と手をあげて翌日実行した。
 何も難しいものではなく、ホルモンと野菜を焼き肉のたれなどでフライパンで強く炒め、焼き豆腐とうどんを入れて絡めるように焼き上げただけである。

 妻は「美味しい」と言ったし、私も郷愁の味付けが効いて美味しかった。
 ただ、何をもってベルギー式と言ったのかは今も不明である。

2023年12月12日火曜日

花鳥風月

   大阪で暮らしていた頃は、11月23日の神農さんの祭が1年で一番最後の祭だろうと感じていたが、奈良では今週12月15日~18日に春日若宮(かすがわかみや)おん祭がある。

 しかもこの祭り、保延2年(1136)からというから歴史も古く、各地の祭の原型とも言われていて、田楽や猿楽をはじめ古都に伝わる芸能を次から次へと神に捧げ、神に喜んでもらうというものである。

 その猿楽から洗練されていったのが能で、世阿弥は風姿花伝で「花鳥風月を表現するのが芸能だ」と述べたという(浅学のためよくは知らないが)。
 一般的には花鳥風月とは自然界の美しい景物のこと、風流のこと、雅のこと、それらを愛でる精神‥などといわれたりする。

 若い頃は「花鳥風月を言い始めると人間も終わりだ」などとそういう御仁を冷やかしたものだが、この歳になると金儲けだ、支出だ、誰それはけしからん・・・なんだかんだと言う話は実に詰まらなくなる。
 「長谷やんももう終わりだ」と言われようが、ゆっくりと花鳥風月に心を遊ばせたいものだ。

2023年12月11日月曜日

箸紙の構想

   10日は退職者会の会報の原稿締切日だった。
 その原稿類を正月号に編集するのに、ああでもないこうでもないと作業するので、時間はあってない。そんなもので10日までは気忙しい日々を送ってきたが、とりあえず次の編集者にバトンタッチできた。

 そうすると、年賀状、クリスマスプレゼント、祝箸の箸紙などの準備を本格化しなければならないが、年賀状の通信面はほゞ出来上がった。プレゼントの購入や発注もおおむね終了した。

 そこで箸紙だが、今年は漢字などは抜きで俳句か短歌にしようかと思っている。そこで俳句を一句捻ろうかと思い出したが、『めでたいと言えぬ戦渦に児の居てる』みたいな句ばかりが出てきて、どうもお正月らしくない。
 世界を眺めながら心地よい句が出てこないのは、能力もそうだがそもそも人間ができていないからだろう。

 残りは3週間を切った。結果はどうせ駄作だろうが七転八倒の日が続くだろう。(写真は前年の箸紙)

2023年12月10日日曜日

いぶりがっこ

   友人のUさんが訪れて来てくれた。聞けば元山上(もとさんじょう)・千光寺(せんこうじ)の帰りだと。
 あちこちの山や名所を巡っているらしく、今回は生駒山脈縦走の一環で千光寺周辺を歩いてきたが、そこは元々修行の場である上に近年は(修行が廃れて?)荒れているらしく、これ以上行くと遭難すると思ったとか。
 Uさんの元気な肉体と精神に脱帽。

 さて修験道の祖、役小角(えんのおづぬ)が大峰山・山上ケ嶽で修業をする以前に修行をしていた場所なのでここが元山上。
 また役小角には前鬼と後鬼が仕えていたが、妻の父方の祖先はその鬼の後裔かもという話は以前に書いた。また妻の母親の実家は千光寺に向かう中腹にあり、ちょっと縁の感じる処である。

 というようにUさんは元気がよい。バイクでも遠出するらしい。そんなあちこちのお土産もいただいた。
 その中には本場秋田の『いぶりがっこ』も・・。
 このお正月にファミリーが集う際、いただこうかと思う。
 いぶりがっこ=たくあんの燻製。妻は私と違って歯が丈夫だから見ただけで喜んでいる。