《・・・「独白録」は、昭和21年の3月から4月にかけて、松平慶民宮内大臣、松平康昌宗秩寮総裁、木下道雄侍従次長、稲田周一内記部長、寺崎英成御用掛の五人の側近が、張作霖爆死事件から終戦に至るまでの経緯を四日間計五回にわたって昭和天皇から直々に聞き、まとめたものである。・・》と。なお寺崎英成御用掛は元々外交官であったが、ワシントンの大使館勤務中に米国人グエンドレン・ハロルドと結婚したので外務省中枢からは遠ざけられていた。
さて昭和20年2月、天皇は各重臣と個別の会談を行ったが、そのときのこととして、次のようにある。
🔳 私に[は]「ニューギニア」の「スタンレー」山脉を突破されてから(18年9月)勝利の見込を失った。一度何処で敵を叩いて速やかに講和の機会を得たいと思ったが、独乙との単独不講和の確約があるので国際信義上、独乙より先きには和を議し度くない。それで早く独乙が敗れてくれゝばいゝと思った程である。
その当時木戸と相談して、重臣を一人一人秘密裏に呼んで、前途の見透に付て、意見を求めたが、確たる意見を持ってゐる者は一人もない。岡田と牧野とは比較的穏当な意見であったが、結論は云はぬ。近衛は極端な悲観論で、戦を直ぐ止めたが良いと云ふ意見を述べた。私は陸海軍が沖縄決戦に乗り気だから、今戦を止めるのは適当でないと答へた。・・・🔳
本日言いたいことはここである。この時点で勝利の見込を失っていて、「戦を直ぐ止めたが良い」と言った近衛文麿の意見のとおり「ご聖断」を下しておれば、オキナワ、ヒロシマ、ナガサキ、そして本土空襲の大悲劇は避けられたのである。
それを躊躇させた陸海軍首脳の責任は大きいとはいえ、明らかに『昭和』天皇には戦争責任があった。明後日は8月15日。

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