2025年6月5日木曜日

晴耕雨読

    ガザやヨルダン川西岸におけるイスラエルの蛮行やそれを支持するトランプ政権を見ていると、理解しがたいことがいろいろある。
 そこでだいぶ以前から内田樹著『私家版・ユダヤ文化論』を読み直しているが、第6回小林秀雄賞受賞作で養老孟司推薦という本ではあるが、なかなかしっくりとは頭に入ってこない。(再読中)
 そこで並行して松本佐保著『熱狂する「神の国」アメリカ――大統領とキリスト教』や橋爪大三郎×大澤真幸著『ふしぎなキリスト教』を読み直しているところだ。
 以前にテレビでイスラエルの現職大臣にインタビューしているのを見たとき、「どうしてイスラエルはパレスチナに侵攻するのか」というインタビューアーに対して、「この地は4000年前から我らの地だ」と答えているのを見て驚いたが、4000年前が正しいかどうかは別にして、旧約聖書に書かれている「出エジプト」や「カナンに入植」「エルサレム遷都」という紀元前1000年以上前の「約束?」が根拠だと思われた。
 これでは近代の国際法や民主主義、人権主義と嚙み合わないはずだ。
 せめて近代的な常識を見聞きしてきたであろうアメリカ国民が、こんな前時代的な「約束?」を超克されることを祈るばかりだ。
 国際情勢を見るとき、どうしてもユダヤ教・キリスト教の理解がいる。私のように縁遠い人間にはしんどいが仕方がない。

2025年6月4日水曜日

僕は よし坊

    また買うてしもた。 この種の本はもうええわ!と思っていたのだが、ラジオで著者が、「この時期に出したんは万博の便乗商法です」とあっけらかんと言うのでその根性に魅かれて手を出してしまった。著者は金水敏阪大名誉教授。
 ところが、パッと見には万城目学著のようにも見える「帯」はぎりぎりセーフ??
 内容は、上方の古典落語に出てくるような「船場(せんば)言葉」というよりも、漫才ブーム、お笑いブーム以降の関西弁に焦点が当たっているが、それはそれでよい。
 言語学的分析というよりも、会話は意味が正確に伝わることと同時に面白い方がよい的な大阪文化論でもある。

 私は東京や全国的規模の集まりの中であえて大阪弁を使う大阪人は嫌いであったが、若い頃5年間東京にいたがごく普通に最後まで大阪弁で暮らしていた。
 東京にも普通に大阪弁話者がいっぱいいた。
 周りからは何故東京弁にひれ伏さないのだ!という疑問があったのだろうが、ひれ伏す方がおかしいと感じていた。
 だからこれは言語学を超えた文化論でもある。

2025年6月3日火曜日

10%年金引き下げ法案

    コメ不足は重要な問題ではあるが、古米だ古古米だというパフォーマンス大臣の手柄話(ほんとうは何の手柄話でもないのだが)ばかりがニュースになる中で、非常に大事な「年金10%引き下げ法案」(修正案)が
、予定よりも2か月も遅れて5月16日に国会に提出されたかと思うと、5月30日には自公と立民の談合による修正で衆院本会議で可決された。
 立民の悪口は言いたくはないが、民主主義をナント心得ているのだと言いたくなる。
 私たちの要求は明快だ。物価が上がっても年金は上げないというマクロ経済スライドを速やかに終了せよ。物価スライドは制度の大常識だ。
 人間らしい生活を下支えする「最低年金」を導入せよ。
 それらの財政基盤のためには、厚生年金保険料の上限を現行の年収1000万円から医療保険並みの年収2000万円に引き上げ、短時間労働者への適用拡大を行え。
 参議院の審議がある。あきらめずに主張していきたい。
 黙っていては真綿で首を絞められる。 

2025年6月2日月曜日

6月朔日

    【1】 6月になった。7月の参議院選挙も目前に迫ってきた。
 落ち着いて社会の動向を見てみれば、自公政権や野党の顔をしたゆ党の政治の危険性は解ると思うが、どういうわけか近頃は「ゆっくりと考える」ということが馬鹿にされ(みんな忙しすぎて疲れているのか?)、短い感情的な表現に真実味があるかのような風潮があるのは心配だ。
 そんな中、6月1日の昼に大阪天王寺で共産党の街頭演説会があった。MIO側の通路、高架橋、ハルカス側のベランダと大観衆?だった。
 こういうのはみごとなオールドファッションかもしれないが、こういうものこそ基本のスタイルでいいのではないか。さて、どれくらいSNSで広がることやら・・・・大切なのはここだろう。

    【2】 何日間か散歩をしないうちに桑の実の季節が通り過ぎていったようだ。
 道路上には「来るのが遅いわい」とあざ笑うように実の痕が残っていたが、手の届きそうなところにはもう見当たらなかった。
 〽山の畑の桑の実を 小籠につんだは まぼろしか は、三木露風が大正10年に書いた「赤とんぼ」だが、小籠につんだのは露風の「思い出」だから赤とんぼの飛ぶ季節とは関係ない。
 しかし桑のことなど何も知らなかった私は、勝手に、桑の実は赤とんぼの飛ぶ秋に実るのかと誤解していた頃があった。
 もっとひどいことでは、若い頃、上越線で群馬に行ったとき、「群馬県にはイチジク畑が多いですね」と言って笑われた。もちろんそれは桑畑だった。

2025年6月1日日曜日

ウオッチドッグ・ジャーナリズム

    ウオッチドッグ・ジャーナリズムという聞きなれない言葉を知った。
 
 日本のメディアの印象では、犬や番犬というと、金持ちや権力者に尻尾を振るポチや、権力側が意図的に流す情報操作の手足を買って出る番犬というイメージがするが、ウオッチドッグ・ジャーナリズムとは、『調査報道で権力を監視する(市民の)番犬たるジャーナリズム』のことらしい。
 こんな言葉を知ったのは、記者会見などで時々お目にかかる、公益社団法人・日本外国特派員協会が、いわゆる裏金報道などを通じて「しんぶん赤旗」を2025年報道の自由賞・日本賞に選び、「民主主義におけるウオッチドッグ・ジャーナリズムの重要な役割を果たした」と称えたからだった。
 贔屓目ではなく、森友や桜を見る会以降も続いた赤旗のスクープは日本の民主主義の宝物だと言える。
 昨今、スマホには勝手にニュースの要約が届けられる。しかし少なくないフェイクニュースとも玉石混交だ。スマホのニュースで世界がわかったように考えるのも正しくない。
 だんだん文字を読むのが辛くはなってきているが、活字を手放すと長いものに誘導される。
 在日外国メディアのジャーナリスト並みの常識を踏み外していないかと常に反省しておきたい。
 写真は記事と直接関係はないが、真実の報道が夜明けを準備するという気持ちを込めて、わが街の夜明けを早朝散歩で撮ったもの。