2025年6月13日金曜日

コメ騒動と米作文化

    11日のブログに「輸入米議論に欠けているもの」というのを書いた。
 テレビニュースなどが「備蓄米や輸入米がいよいよ店頭に出てきた」「何円だ」「コメが店頭に出てきて嬉しい」みたいな画面と音声を繰り返すのを見ていて、さらには「放出した備蓄米の穴埋めは輸入米の拡大でいいのではないか」というパフォーマンス大臣の発言まで肯定的に取り上げられ、事実として「内閣支持率が上がった」と報じられたのに大いに違和感というか、「そんなに単純に乗せられていいのだろうか」という気持ちから、問題のバックグランドである水田稲作と農村というものが果たしている気候温暖化対策効果に一言も触れないマスメディアはそれでよいのかという気持ちを込めて書いたところだ。
 このブログ記事を読んだKさんがフェイスブックで私の意見を一考に値するという趣旨で書いてくれたが、12日付け朝日新聞朝刊の山際寿一「科学 季評」で「米作 私たちを形づくる文化」というのが掲載され、私の視点もまんざら間違いではなかったように感じられ、少々孤独感がほぐされた感じがする。
 山際寿一氏の文章の一部をつまんで紹介する。
 🔳 有機農業の価値は環境のみならず人の心のつながりも強化してきたのだ。
 🔳 食糧自給率が極端に低い日本では、せめて主食のコメは有り余るほど生産して非常事態に備え、国際戦略の主力として活用すべきではないだろうか。
 🔳 コメという「商品」の生産・流通・消費の循環を図る上で重要なことがある。米作文化の継承だ。
 🔳 米作は地元の人々の力の源泉であり、その姿は総合的な景観と文化の複合により守られている。
 🔳 インドに発した仏教は「一切衆生悉有仏性」を説き、これが日本に渡り「山川草木悉皆成仏」となったという。
 🔳 この「コメ騒動」を契機に、私たちのこころのふるさとを形づくってきた米作とは何かを考え直すべきなのではないだろうか。
・・・農村であれ都市も漁村でも、そういう文化を重ねてきた日本人にしては、なんと底の浅い議論?に一喜一憂しているのかとテレビを見ていてため息をついている。

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