東京大学史料編纂所編『日本史の森をゆく』(中公新書)の中で小宮木代良氏は『過去の出来事(事件)について、その「事実」に関しての共通認識といえるものが、その社会内で存続しうる条件は、事件後70年目あたりを境目に大きく変化するのではないか』という重要な指摘を行っている。
特に76年前、明治憲法下の帝国軍部と政府は徹底した証拠隠滅(焼却処分)を行ったから、敗戦前の第一次史料が乏しいのは当然だ、その上に当時の朝鮮の戸籍制度が不十分であったため、紙背に徹する思慮がないと朝鮮人虐殺者数が確定しないのは仕方がない。問題は、「確定的な犠牲者数がわからないからなかったことにしてしまえ」という誤りである。
前回も触れたが、日本会議系の右翼の主張は、意図的にこの論法で歴史を修正していることである。小池都知事の態度はこういう確信的な犯罪的行為と言わざるを得ない。
先の山崎雅弘氏はこうも指摘している。『歴史家の中には、過去の歴史を恣意的に歪曲する言説は正当な歴史研究の裏付けを欠いているために「まともに論じるに値しない」あるいは「相手にすると学者としての沽券に係わる」と見なし、距離を置いて傍観する人もいるようです。 けれども、専門家が傍観すれば、一般の人々は「専門家が批判も否定もしないということは一定の信憑性がある事実なのか」と思い、結果としてそれを信じる人の数が徐々に増加していくことになります』
歴史修正主義者たちは系統的に策動している。その一端を担う小池都知事の不当で非道な行いを看過していてよいだろうか。
長くなるので短く付記するにとどめるが、虐殺されたのは朝鮮人、中国人だけではなかった。9月3日、被災者救援のため活動中の南葛労働会の本部から、川合義虎(民青同盟の前身である日本共産青年同盟初代委員長)と、居合わせた労働者9名が相次ぎ亀戸署に逮捕留置され、5日未明、近衛師団の騎兵第13連隊の兵士によって刺殺された。いわゆる「亀戸事件」。
9日ごろには、農民運動社を近衛騎兵連隊の一隊が襲い、浅沼稲次郎夫妻ら8人をとらえ重営倉にいれ、後手にしばったまま梁(はり)につりさげた。堺利彦ら第1次共産党弾圧の被告が収容されていた市ケ谷刑務所にも軍隊がおしかけ、被告たちの引き渡しを迫ったが、刑務所長が拒否したため、被告たちは命びろいした。獄外にいた山川均も追われるが、友人宅を転々と逃げ助かり、士官たちは、吉野作造や大山郁夫ら民本主義のリーダーもねらい、大山は拘引されたが、新聞社が行方をさがしたので、釈放された。そして16日には、アナーキスト・大杉栄夫妻と6歳になる甥(おい)が甘粕憲兵大尉によって絞殺される甘粕事件が起きている。このように大震災時に、驚くべき野蛮なテロリズムに支配勢力が走ったことは、けっして忘れてはならない教訓だ。(2007年9月1日赤旗記事より要約)
今日の健康川柳
夜長しトイレいくたび時計みる
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