2021年8月31日火曜日

アフガンからの連想

   アフガンは山一つ越えると、谷一つ越える と、言葉も顔つきも全く」違う民族がモザイクのように住んでいる。中国雲貴高原の少数民族も同様だ。

 日本列島人(主に縄文人)の文化のルーツを考える場合、骨格、血液型、遺伝子、言語、遺物などなどからこれまでいろんな説が唱えられてきたが、結局ピタッとした答えは見つかっていない。わかったのは、近隣の有名な民族とはあちこち相当違うということだった。

 そこでアフガンだ。(アフガン自身とは話は外れるのだが)・・・現存する大きな民族のどこかにルーツがあると考えるより、その昔のアジアは今のアフガンのように、雲貴高原のように、種々雑多な民族がいて文化があったのではないか。もちろん相互に影響はしあいながら、そのうちのアジア極東の主流派が日本列島内で大きくなり、原日本人(縄文人)になっていったのではないか。

 だいぶ以前のテレビだが、椎名誠がシベリアの少数民族の村に行った折、「どこから来たのか」「日本から来た」「うそっ!隣村から来たんだろ」「嘘じゃない。日本人だ」「またまた、隣村の人だろう」というやりとりが非常におもしろかった。

 そんなもので縄文人のルーツはシベリアの少数民族、弥生人のルーツは元江南・現雲貴高原の少数民族あたりに親戚はないだろうか。(写真はネット上で見つけた千葉大学極東少数民族地域研究部門のイテメリン族)


 この話はあまり論理的なものではなく、どちらかというとアフガンの熱に浮された「印象」のようなものである。ただ、アイヌ問題などを少し横に置いての話だが、ほぼ同じ文化の民族が一つの国家を構成しているのは世界的には「標準」ではなく「例外」に近いのでないかと考える。そこを押さえておかないと、国際問題を見る眼がオンチになるように思う。

 ニュースを見ていても、アフガニスタン人がいてアフガニスタンという国家が普通にあるように報道されているのに違和感がある。アフガニスタン民族という民族は存在しない。

 秋めいて雀蛾は一直線

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