例えば「うんち」と氏は述べ、「うんちは食べかすが排泄されているようにみえるが、その主成分は自分自身の消化管の細胞の残骸である。それが日々捨てられている」という。
生命に降り注ぐ矢を放置すれば、例えば細胞膜の酸化、老廃物の蓄積、たんぱく質の変性、遺伝子の変異をもたらし、放置すれば生命という秩序は崩壊する。
それに対して生命側は「丈夫で長持ち、堅牢で強固」という対応をするのでなく、常に傷つく前に、十分正常なままの自分自身を分解し、壊し、捨て、その代わり新しい細胞が日々新生されるという方法で更新し続けている。この絶え間ない分解と更新の流れを氏は「動的平衡」と呼んでいる。
中世、鴨長明は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」と、「かつ消え」という分解を「かつ結て」という合成に先んじて詠んでいるイメージが「動的平衡」と氏は語る。
新陳代謝ではない。細胞自身も、アポトーシスという自殺プログラムによって新しいものでも積極的に破壊することに意味がある。そうして我々は生きている。
いわゆる新陳代謝というか、細胞は日々捨てられ生まれ変わって、結果、数か月だったか、そうすると身体は全く新しい「自分」に代わっているという話はもう50年ほど前に聞いていたが、今回の話で新鮮だったのは、まったく丈夫で新しい細胞を壊すメカニズムだった。
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