2021年7月11日日曜日

命か金か

   コロナとオリンピックという問題は、約めて言うと「命か拝金か」ということだと思う。そういう中で、0か100かという単純な議論ではなく、東京、埼玉、千葉、神奈川で『学校連携観戦』が中止になったのは、子どもたちを危険にさらす愚を押し止めたという面で、確かな一歩前進だと思う。

 私は我田引水、牽強付会の議論は好きではないが、問答無用の菅政権下で組織委員会が判断に至った理由は、東京都議会議員選挙の結果であったことは間違いない。事実上の自民党の敗北と、共産、立民の前進という結果のことである。このまま強行すれば衆議院選挙の大敗北は間違いないと震えあがった人たちの判断であろう。

 各種選挙の際、よく「私一人が投票したって」と言って棄権を正当化する議論があるが、前記のとおり、「投票した世論」が子どもたちを守ったわけである。このことはもっと強調されてよい。

 いわゆる「無観客」という決定には、4都県以外の問題や「大会関係者」というあいまいさが残っている。開会式の1万人議論の際の「観客以外のスポンサー関係者(別に1万人?)」が「大会関係者」に呼び名が変わるだけという欺瞞の余地はないだろうか?

 そういう欺瞞の余地を疑うのは、真面目な議論に下世話な話で恐縮だが、IOCの感染予防ガイドラインでは選手にソーシャルディスタンスを求め、ハグやハイタッチも禁止するなど選手同士の接触は最小限にすることを推進し「競技場では選手同士2メートルの間隔を空け、応援の際に声を出したりしないようにいいながら、選手村には単純に一人14個、計16万個のコンドームが配布されるという。故に、政府や都や組織委員会の公式発表を信じるのはまともな社会人とは言えないだろう。引き続く監視と要求行動が大切である。

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