ヒトからヒトへの新型肺炎に感染したバス運転手のニュースでは「16日に奈良公園へ1時間ほど立ち寄った」と報じられている。翌週にそのあたりを歩いた私には遠い話題ではないので少しばかり関心もある。
ただ、テレビでは「マスクをしろ、手を洗え」と注意喚起が繰り返されているが、そういう話を聞くたびに「一番大切なことに触れられていないのでは」という違和感を感じるので、少しだけ書いてみる。「ストレス-脆弱性」理論のことである。
「ストレス-脆弱性」理論とは、「精神障害の労災保険認定基準」の基底をなしている理論だが、私は多くの感染症に通じる原則のように感じている。
簡単に説明すると、精神障害は、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で、精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方である。
ストレスが非常に強ければ、個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければ、ストレスが小さくても破綻が生ずる。
精神障害を考える場合、あらゆる場合にストレスと脆弱性との両方を視野に入れて考えなければならない。・・というものである。
少し広げていえば、「業務に起因する負荷が大きければヒトは病気になる」から「業務上の疾病」と認定される可能性があるという普通の話でもある。
もう少し一般論でいうと、街中の空気にも、ドアや吊り革や机やすべてのモノは細菌やウィルスに満ちている。それでも街中の全員が発病しないのはみんなそこそこの免疫力、抵抗力を持っているからと言える。
高齢者が入院した場合などに例えば水虫などの症状が出るのはよく知られた話である。
言いたいことは、(個体側の脆弱性=体力の低下=抵抗力の低下)とストレス(ウィルス等外的要因)との関係性の下で多くの病気は発症する・・ということだ。
ニュースでは、運転手は8~11日に大阪から東京へ、12~16日に東京から大阪へと、中国・武漢からのツアー客を乗せていたというから、過重労働も疑われるし、個体側の抵抗力の低下も想像される。ただ、その業務の話は材料不足なのでこれ以上は立ち入らない。
で結論を言えば、マスクも手洗いもいいが、一番大切なことは体力の低下を如何に防ぐかではないか。
少しでも風邪気味だとか、お腹の調子が今一つという場合はさっさと休む。さっさと休める余裕のある業務体制とそれが当然視される職場風土が大切ではないか。
暖かくして、美味しいものでも口にしながらリラックスする・・それでいい。
ゴーンの時代以降、この国ではリストラという名前で人員削減、人件費削減が「善なること」と歪めさせられていないか。
ヒトは何のために生まれ、人生を過ごすべきか。
そんな問いがないままマスクをしてもこの国に明るい未来はやってこないのではないか。
久しぶりのブログを拝見しほっとしました。体調がまだ戻っていないのかなと心配していました。ご自愛くださいね。
返信削除ケンタさんお気遣いありがとうございます。メールでご心配をいただいたスノウさんもありがとうございます。
返信削除体調がすぐれないと、こんな他愛ない記事でも「書こう」と思うまでには相当な気力がいるものだと実感しています。
徐々に軌道に乗せるために少しずつ努力するつもりです。