以前に近所の知人(年長の婦人)から戦争体験を聞いたことがあるが、それは8月15日以降にテレビゲームを遊んでいるかのように機銃掃射を受けた話だった。「笑っている顔が見えた」とも。なぜならそこは樺太であった。
第160回(2018年下期)直木賞受賞作『宝島』も面白かったが、今回の第162回(2019年下期)直木賞『熱源』も負けず劣らず興奮した。
少数民族問題は現代の地球規模の問題でもある。
『熱源』受賞後にも拘らず副総理が「単一民族、万世一系」と宣ったが、コミックも良いが直木賞ぐらい読めよ!と言いたくなった。
歳をとるといいこともある。歴史というものが身近に感じられるようになる。
若い頃は「戦前」というのが遠い遠い世界に感じていた。
しかし敗戦という1945年を基点にしても、今年は75年になるが、このコンパスをひっくり返すと明治元年は77年前ということだからほぼ同じで、明治も大正も昭和前半もついこの間のように理解できたりする。
日本は列強の仲間入りをしようと躍起になり、ロシアでは反乱と革命の前夜が暮れていった。ヴ・ナロードという声やテロルの声をごちゃまぜにしたままで。
そういう時代に、北海道や樺太やそしてロシア、ヨーロッパで生きた人間が『熱源』には書かれている。
特に、アイヌ、ギリヤーク(ニグブン)、オロッコ(ウィルタ)、そして和人、ロシア人、そして祖国を無くしたポーランド人。
そこは彼らの故郷と呼ぶべきか熱源と呼ばれるべきだったか。
小説の中の人物が願ったようには、弱肉強食の摂理を現代人は乗り越えていない。
民族の相違も民俗の多様性も、中央やグローバルの中に絶滅しつつある。
この小説を読んで、私は私で、知っている限りの戦後75年を記録しておきたいという衝動に駆られている。
暖冬も病抜けせぬ齢かな
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