2020年1月4日土曜日

貴重な資料かゴミの山か

 去年の夏に下鴨の古本市の記事で、聞くともなしに聞こえた女子大生らしい人たちの会話のことを書いた。
 「各分野で戦後の学問をリードしてきた方々が次々に亡くなり、古本市に思いもよらない逸品が出てくるようになった」という楽しそうな会話だった。

   去年の9月に私は参加できなかったのだが『奈良県に自然と歴史がわかる総合博物館を』というフォーラムがあった。大賛成だ。
 嘘のようなほんとうの話だが、遺跡と文化財と自然の宝庫のような奈良県にはその種の博物館が少ないというか、ほとんどない。
 で、先の会話だが、蔵書の場合はまだいいかもしれないが、貴重な昆虫や植物などの標本などは遺族にとってはゴミの山ということになる。
 だから早期に各種大先生の標本等を寄贈していただける博物館が求められている。

 「遺族にとってはゴミの山」というのは笑えるが、専門分野の資料などはそうかもしれない。(笑)

 ちなみに、大阪に橋下旋風が吹き荒れたとき、維新は「大阪府立弥生文化博物館と大阪府立近つ飛鳥博物館が二つあるのは無駄だからひとつを廃止せよ」と迫った。
 考古学界の大反対で阻止できたが、維新にとっては弥生時代も古墳時代も「昔のことだから一緒でいい」という程度の教養の程度であった。
 
 そんな暴論が二度と起こらないように、小中学校からしっかりした博物館で実物教育することが大切だろう。奈良は特にそうだと思う。

 橋下氏的新自由主義というのは、詰まるところ「儲かるか儲からないか」だ。
 奈良県の荒井知事による奈良公園つぶし、遺跡つぶしも同じ発想だ。
 学芸員と考古学者が金儲けの癌だというものだ。実際に大臣も知事もそう発言している。
 今年はこの運動も大事になっている。
 私の実感でいえば、モリアオガエルもルリセンチコガネも野鳥も水鳥も減っている。
 気がついた時は遅いというのは気象環境問題と同じだと思う。

   穏やかな正月なれど気が晴れぬ温暖化の危機を少女が叫ぶ

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