2019年7月31日水曜日

リアリティの衰退

 山極寿一・小原克博著『人類の起源、宗教の誕生』(平凡社新書)を読んでいるうちに「ゴリラに学べ!・・身体なきリアリティの幻想」というくだりがあり、著者二人は「現代の人間は視覚以外の五感の機能が低下している。人間の生きる意味は、抽象的な意識の問題ではなく、体を通じて初めて生きる意味も感じられる。宗教の視点でいえば、教義などの要素もあるが一方で身体作法が重視される。体に覚えさせるということで、それは現代の都市生活では日常的にはほぼ失われている」という趣旨の論を展開されていた。

 私は小さな小さな菜園で遊んでいるが、その作業は全くリアリズムの世界だと思う。
 仮にゲームで「野菜作り」をするとすると(そんなゲームがあるかどうかは知らないけれど)、途中で失敗したら再起動すればよいだろうが、リアル農作業で失敗すれば再起動は来年にしかできない。己が年齢を考えれば、失敗できる回数も非常に限られている。

 水やりにしても害虫退治にしても、今日明日必要な対応は明後日では意味がない。
 そういう意味で自戒を込めて言うならば、集まりへの出席にしても、ニュースの原稿にしても、「ゲーム野菜作り」では許されるがリアル農作業ではありえない「一線」というものがある。
 かくしてリアル農作業を身体作法にすれば、都市の民主運動もパワーアップしそうな気がする。
 偉そうなことは言えないが、その本は「人間の生きる意味」について語られていた。

2019年7月29日月曜日

夜景

   26日(金)の夜に天満橋(大川)で「暑気祓い」をした。
 前日が天神祭りでここがあんなに賑わっていた(テレビで観た)のが嘘のように静かで綺麗な大阪の街だった。

 こんな落ち着いて綺麗な街の住人が、あれほど維新に投票したなんて信じられないが、それが現実なのだろう。

 維新のあれこれを分析するよりも、我々の対応を率直に語り合いたい。
 ちょっとした感想を25日にアップしたが、侃々諤々語り合いたいものだ。
 「どんな困難にも打ち勝つだけの地力を高め読者を増やそう」で話を打ち切ってはならないと思うのだが。

 現職で仕事をしていた時も、他愛ない住民運動をしていた時も、何か積極発言をしたらその実践を求められるから発言を控える的な空気を感じたことがあるが、まさかそんなことはないだろう。

 帰路の近鉄沿線には櫓と提灯という別の大阪の夜景がいくつも窓の外を過ぎていった。
 河内音頭の季節である。
 選挙も盆踊りも熱気がなければ盛り上がらない。

   夕凪いで菅公不在の迎え船一日違いの天満大川

2019年7月28日日曜日

おんぶしてないおんぶバッタ

   紫蘇畑がおんぶバッタの楽園になりつつある。
 まだ子バッタばかりでおんぶはしていないが紫蘇の葉っぱは軒並み穴だらけだ。
 私は金持ちなので「金持ち喧嘩せず」と大目にみていている。
 だいたい穴が空いていても紫蘇の味も栄養も変わらないし、おんぶバッタと競争で綺麗な葉っぱを探せばいい。

 土曜日は、高松塚の疑問が引いて、物部氏と渡来人の本を読んでいるが、疲れた。

 そんなことで、いつも同じような写真で申し訳ないが、金曜日に撮影した吉兆虫を添付させてもらう。
   ベランダに出た時など、たまにブーンと頭の上をかすめて飛んで行ったりする。
 私の感覚では、窓の外のケヤキに異常発生?しているような感じだ。
 疲れた時は、群舞を眺めている。

2019年7月27日土曜日

空蝉

   小学生の孫の夏ちゃんが夏休みだというのでやってきた。
 祖父ちゃんが、セミを採りに行こうか、キリギリスを採りに行こうかと誘っても暑いから嫌だと言い、叔母さんの書棚の「ちびまるこちゃん」全集の読破に挑戦するだけだ。
 外には綺麗なクマゼミやアブラゼミが飛び回っているのにと祖父ちゃんは一人惜しがっている。
 2階に上がるとタマムシも群舞しているが、これも祖父ちゃんのスマホの写真で「もういい」らしい。

   夏休みの宿題は?と聞くと自由研究で漫画を描くといって、せっせと漫画を描いていた。
 漫画というと京アニの不幸な大事件があって気が重いが、朝ドラの「なつぞら」が快調だ。 
 最初は例によって女性が主人公のある種いつもの立身出世物語かと思っていたが、だんだん戦後も進んできて、私よりは少し上の世代だが理解のできる同時代になり、新劇のいろんな分裂や東映動画、そしてジブリ誕生に行きつくかのような展開に、その小さな台詞の端々に「そうそう」と共鳴して楽しく観ている。

 さて、わが家の庭の木々にもセミの抜け殻がたくさんついている。
 この土地の住人として自然界から承認を得た気分がする。
 空蝉(うつせみ)という言葉だが、本来は「この世」「現世」のことらしいが、それが仏教思想で「むなしい抜け殻」のように変化したようだ。
 しかし「この世はむなしい」と達観するのは冷笑主義(シニシズム)に通じて、諸悪に対して見て見ぬふりをする立場に立つと思う。
 個人的には花鳥風月や古代の歴史などに没頭したいが、そこに逃げてはいけないと自分自身に言い聞かせている。

2019年7月26日金曜日

高松塚古墳について

   新刊の発売日に「ご注文の書籍が入りました」と書店から電話があってワクワクしながら出かけた。
 小笠原好彦著『検証 奈良の古代遺跡』吉川弘文館。
 選挙後の少々落胆していた気分を吹っ飛ばそうということもあって、一気に読み進んだが、高松塚古墳の被葬者のところで、ムムムと考えた。

 詳細は省くが高松塚古墳の築造時期が7世紀末から8世紀初めであることについてはほぼ定説となっている。
 その上で著者は、壁画の人物群の各種威儀具は「貞観儀式」に記すものと一致する。
 続日本紀大宝元年(701)正月元日条の記述とも共通する。
 人物着用の下着の褶(ひらき)は天武11年(682)に親王以下の着用が禁止されていたが、大宝元年(701)の大宝令で復活しているので、年代の上限は大宝元年(701)になる。
 着衣の襟は左前であるが養老3年(719)に右前にするよう命令が下されているので、少なくともこの表現は養老3年(719)以前のこととなる。
 さらに蓋(きぬがさ)の四隅から総(ふさ)を垂らしているが「養老儀制令」ではそれができるのは皇太子、親王、一位および大納言以上に限られる。
 また副葬品の海獣葡萄鏡は粟田真人ら遣唐使が持ち帰ったものとみなされ、それは慶雲元年(704)以降に副葬されたであろう。

 以上の条件から絞られた候補としては、高い身分の皇子、高位の官人、百済や高句麗の滅亡前後に亡命してきた王族が想定され、具体的には高市(たけち)皇子、忍壁(おさかべ)皇子、弓削(ゆげ)皇子、長(なが)皇子、穂積(ほづみ)皇子、石上麻呂(いそのかみのまろ)、紀麻呂(きのまろ)、百済王善光(くだらのこにきしぜんこう)となるが、7世紀の有力氏族(高官)はそれぞれ氏族の本拠に古墳を築造しているし、高松塚が天武持統陵近くということからも、慶雲2年(705)に没した忍壁皇子が残り、遺存した人骨や歯牙の「壮年以上」にも合致する。・・・と結論付けている。

 そこで私がムムムと引っかかったのは蓋(きぬがさ)と総(ふさ)の色が緑色だということである。
 先にあげた「養老儀制令」では、皇太子は紫の表、蘇方(すは)の裏、頂き及び四角に錦・・、親王は紫の大き纈(ゆはた)、一位は深き緑、・・・である。
 そして養老元年(717)に78歳で没した石上麻呂(いそのかみのまろ)は従一位を追贈されている。
 時あたかも藤原の世が着々と固められていく中で、徐々に冷遇されていった物部氏が総力を挙げてこの古墳を造ったとは考えられないか。
 私の意見の多くは白石太一郎氏の説によっている。
 古代史は不思議だらけでああ楽しい。が、もう一つ解らない。

2019年7月25日木曜日

参院選結果のちょっとした感想

 最初に断っておくが、これはただの一共産党サポーターの感想である。
 ◆ 全国的には ◆
 テレビや新聞の見出しでは「自公が過半数」とまるで安倍政権の大勝利のように感じられるが、冷静に見ると、自民党は単独過半数を割り込んで△1156、+2の公明党、+2の維新と組んでも参議院の3分の2を割り込んだのだから、この選挙結果は「市民と野党の勝利」と言っていいのでないだろうか。
 特に32の一人区で「自民10敗」を生んだのは「市民と野党の共闘」の成果以外の何物でもなく、それぞれ生まれも育ちも家風も違う人々が団結を強めた経験は未来に向かっての貴重な土台になった。
 その縁の下で表裏なく努力を続けた共産党はよく頑張った。
 共産党の選挙区選挙でいうと、埼玉で21年ぶりに当選し、徳島・高知選挙区の野党統一候補になった松本氏は野党比例票の合計を上回り、高知新聞が「野党統一がもっと早く決まっていれば勝利も」と報じるほどだった。
 比例票は、何年の選挙と比較するのかで様子が変わるが、3年前の2016年参院選と比較すると、
     今回の票と率   2016年参院選票と率  差引
共産党  4,483,411  8.95%  6,016,195 10.7%  △1,532,784 △1.75%
自民党  17,711,862 35.4%  20,114,788 35.9%  △2,402,926 △0.5%
公明党   6,536,336 13.1%     7,572,960 13.5%  △1,036,624 △0.4%
維新会   4,907,844  9.8%     5,153,584  9.2%    △245,740 +0.6%
 また、直近の選挙であった2017年総選挙と比較すると、
     今回の票と率   2017年衆院選票と率  差引
共産党  4,483,411  8.95%    4,404,081  7.9%    +79,330 +1.05%
自民党  17,711,862  35.4%  18,555,717 33.3%  △843,855 △2.1%
公明党    6,536,336  13.1%    6,977,712 12.5%  △441,376 +0.6%
維新会    4,907,844   9.8%     3,387,097  6.1%  +1,520,747 +3.7%
立民党  7,917,719  15.8%  11,084,890 19.9%  △3,167,171   4.1%
・・・と、なっている。つまり、2016参院選、2017衆院選、2019参院選とみると、自民党と公明党は一貫して低下しており、政治的にはその分を維新が肩代わりしているように見える。
 そして共産党は、かろうじてではあるが低下に歯止めをかけたように見える。
 ただ、比例区50議席の51番目が共産党であったから、あと177,605票で自民党を1減らし共産党が5議席になっていた。
 全国の市町村数1,741で割れば1自治体で102票だから、ほんとうに「あと1票、あと2票伸ばしてください」に応えられていれば、・・とはなんやらの皮算用。ともあれ選挙は恐ろしい。
 ということで、この程度の数字に安住してはならないが、絶望することもないと言ったら厳しすぎるか。

    大阪のこと ◆
 大阪選挙区ではたつみコータローと立民亀石倫子が共倒れしたの感があるが、結論を言えば近い将来の2議席を展望し、数字合わせで悔しがるのは間違いだと思う。
 大阪選挙区は、2013たつみコータロー 468,904 12.79% 当選
        2016わたなべ結    454,502 12.18% 落選
        2019たつみコータロー 381,854 10.93% 落選
・・・と、推移している。
 ただ全国の傾向同様、比例票 334.452 9.64% は、2017衆院選の 316,651 9.1% よりは反転している。
 そこは押さえておいても、大阪で比例票一桁というのは全国にも申し訳ない結果であり、あまり、反転した、前進したなどと言っていては深刻さがあいまいにされる危険性がある。
 言いたいことは、大阪は本気で反省し総括しようということである。

    総括の際に思うこと ◆
 安倍や維新のフェイクもあるし、大阪ではあの吉本と在版メディアの維新肩入れ問題もあるが、そういう他所のことは置いておいて、共産党は共産党として大いに議論しあう必要があると思う。
 その際、確かに自身の地力の強化、あるいはあかはた読者の拡大が肝要であることはその通りだが、一度その結論は別において、あるいは「どれだけ献身したか」的な懺悔は別において、まずは、愉快に「ご苦労さん会」が必要だと思う。「ご苦労さん会をしよう」という大きな呼びかけを皆でしてほしい。
 各地で起こった珠玉の経験を楽しく交流したいとおもっている。
 お互い「体調がよくない」とか「家庭の事情がある」ことも認め合って、楽しい反省会をしたらよい。
 そして夢は大きく、今後の楽しい選挙運動を皆で考え抜いてみたいがどうだろう。
 そういう展望を語る時、私個人としては2016年あかはた元日号の中野晃一先生の示唆が大いに参考になると思う。

201613日日曜日にこのブログに書いた「メッセージの伝え方」は次のようなものだった。
 ◇ しんぶん赤旗元日号のトップ記事は、上智大学中野晃一教授と共産党志位委員長の新春対談で、全体では3頁半もあるものだったが、「立憲デモクラシーの会」の中心メンバーで2015年の市民運動の立役者の一人であった中野氏だけに内容の濃いものだった。
 各所に興味のある話も多かったが、「メッセージの伝え方」という小さくない「中見出し」の部分の対談も新鮮な話題が多かった。中野氏の発言のごく一部を摘んでみると、
  ・・例えば、シールズの皆さんと理念などを議論すると、ではどうやってそれをビジュアル化するのかということを徹夜作業並みの時間をかけて議論する。
 ・・「学者の会」などはおそらく自分たちは正しいメッセージをもっているから、それは伝わるだろうという、ある種のおごりもあるんだと思う。
 ・・もう一つは、伝えたい相手に対する敬意、若者の言葉でいうとリスペクトで、われわれに欠けていた。
 ・・われわれ大学の教員と共産党というのは似ていて、同じようにうっとうしいように思われている(笑い)。常に正しい答えを知っていて説教しているようなところが多分にある。
 ・・メッセージの伝え方について、もっと謙虚にあるべきではないか。・・・・など。
 これは私などがミニコミ紙などを作る時にも大いに参考になる意見だとつくづく思った。
 ともすれば、どこかで読んだ文章をつなぎ合わせたようなお説教口調になっていないか。
 一本調子で政治や社会への不満や怒りの言葉だけになっていないか。
 そういえば、何時かの記事にも書いたが戦争法案の頃ターミナルで、「これは、あんたらのことなんやで」と若者に説教口調で演説をしていた人がいたが、その口調から「ああ、あの演説は若者の心には届いていないなあ」と私は感じた。そんなこともある。
 正月から再認識させられる内容豊富な対談だった。
◇ シールズの皆さんの経験ではないが、選挙戦で政策をどう解ってもらうように手立てをするか、徹夜でなくてもそんな議論と知恵を集約すれば未来は愉快にならないか。

2019年7月24日水曜日

孫の誕生日

   誕生日は親に感謝する日だという意見がある。なるほど卓見である。
 しかし、重いハンディを背負いながら育ってきた孫には文句なしで本人におめでとうを言ってやりたい。
 
 孫はこの間まで「手足口病」だった。健常児なら「誰もが罹る夏風邪」で済む程度の病気でも気を付けるよう医師には命じられている。
 それも重篤にならずにやり過ごしたから、大難小難、大難小難といったところだ。
 
 実は私は結構神仏に親しんでいるが、いわゆる祈祷はしたことがなかった。ただ唯一の祈祷をこの孫の生まれる前に行った。
 そして、重い心臓手術を何回も必要とした孫が生まれた時、正直に言うと私は安産祈願で有名なその仏を恨んだ。なんと狭量かということは自分で解っている。解っているが私はあの寺に参ることは二度とないだろう。

 そんなことで私は二度と祈祷などはしないと固く心に決めた。
 自然は人間の意識の外のものである。
 それ以上の願いをすれば叶わなかったときに恨みが残る。それは本意でない。
 だから神仏には感謝と小さなお願いに止めることにしている。
 そも仏教はこの世界と人生についての哲学であり鬼神を語らないものではなかろうか。

 母親(私の娘)も強くなった気がする。
 艱難は汝を玉にするのだ。
 凜ちゃん、おめでとう。
 
 閑話休題
 選挙結果について、大いに笑いながら語り合いたいですね。「よし、次はこんなことをしてみよう!」という感じでね。

2019年7月23日火曜日

吉兆虫が飛んでいるが

日曜日の夜は「たつみコータロー及ばず」が入ってからはテレビを消した。
 その後、悔しくて眠れなかった。
 正確に言えば、力を出し切らなかった自分自身の阿保さ加減への後悔で眠れなかった。
 
 参議院選挙結果については冷静な頭で考えてから落ち着いて書いてみたい。

2019年7月22日月曜日

蛙の話

   アイヌの文化についての本を読んでいて、フッと読み止まったところがある。

 アイヌでは蛙はオワッ(鳴声に由来)とかテ(跳ねるもの)と呼ばれ、もし家に入って来たときはすかさず炉の熱灰をかけて殺すというくだりでのことである。
 著者によると、「アイヌにとって湿地帯は嫌悪される土地であり、故にそういう地獄(湿地帯)の住人たる蛙は忌み嫌われるのだ」とあった。
 昔話にも、「残酷な村長が地獄に落ちて蛙にされた」「性悪の女が神に罰せられて蛙に生まれ変わった。だから蛙の手には女の手のような模様(刺青)がある」とあるらしい。

 私は2019年4月28日のブログで次のように書いた。
 纏向遺跡から人為的に傷つけられた蛙の骨が12匹分発掘された。
 最古の世界宗教ともいわれ、東西の古い信仰に影響を与えたゾロアスター教では蛙は「悪の創造物」とされ、信徒は熱心に蛙を殺した事実から、それは神饌(お供え物)というよりも、「さらし首」的なものではなかったかと。

 材料が少なすぎてこれ以上のことは解らない。
 別の縄文の書物では、北海道東部の続縄文やオホーツク式土器には蛙の表現は写実的であると、蛙に対して肯定的であったように感じられる。なので余計に解らない。

 ともあれ現代では両生類は地球環境劣化の一番の犠牲者のようでもある。
 毎年観察に行っている奈良公園吉城園のモリアオガエルも今年は少なくなっていた。
 義母は子供のころ、蛙を捕まえてはお尻に麦わらを刺してプーッと膨らましたうえでパンと叩いて殺して遊んだと、遠い記憶の昔話をした。それらがみんな昔話になってしまった現代人は本当に幸せになっているのだろうか。
 蛙は小さなストラップになって財布につけられ、「出て行ったお金がまたカエル」程度のお守りに成り下がっている。

2019年7月21日日曜日

それでも地球は回る

 今年は梅雨入りが遅かったし梅雨明けも遅いようだ。
 と、この原稿を書いている向こうでは「特別警報だ」「避難せよ」というニュースが流れている。
 自然界は何か怒っているようだ。
   それでも確実に夏がやってきて、先日は私の大好きなオオスカシバと対面したが、そんなときに限ってカメラを持っていなかった。残念。

 その代わりではないがこの頃はタマムシがわが家周辺を群舞してくれている。
 群舞というのは恋の季節ということだ。
 そして恋の競争は写真のとおりキビシ~イ!

 書物ではタマムシはエノキに飛んで来るとあるが、私のタマムシ観察のフィールドはケヤキである。
 というほど大層なものではなく、2階の窓やベランダでボーっと眺めているだけだが。

   カナブンも奇麗だし奈良公園のルリコガネ(フンコロガシ)も奇麗だが、やはりタマムシは別格の感じがする。

 人間界もジェンダーフリー(従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること)などで美しくなったがなかなかタマムシには追い付かない。

 今日は参議院選挙の投票日。投票に行って明日の日本を少しでも美しく輝かせたい。

2019年7月20日土曜日

朝日新聞『子と生きる』

朝日新聞『子と生きる』は、朝日新聞が先日から連載している企画もので、障害のある子や障害のある親のいろんなケースを追いかけていて私には多いに参考なっている。

ダウン症の長男を出産したAさんの場合の記事では、
義母は「初孫で跡取りなのに。息子を返して」と間接的に離婚を求めた。仕事に理解があった実母も「そんな(福祉の)仕事についたから、こんな子がうちに」と嘆いた。ネットで「ダウン症」と検索すると「生まれてしまう」という表現がはんらんしていた。
 病院にいる息子に冷凍母乳を届けた帰り道。山桜と野の花が見えた。障害の有無とは、サクラとタンポポの違いだと思ってきた。「でも世間ではサクラと折れたタンポポ。喜んでもらえない命をつくっているこの社会は汚すぎる」。何度も自死の衝動にかられた
 夫の胸の中で泣いたあの夜から間もなく、同じ障害のある子を育てあげた職場の先輩を訪ねた。「絶対に大丈夫」と笑顔で言ってくれた。女性は、出産後、初めて体の力が抜けた。「私が振り回されている価値観は狭いのかもしれない。息子と一緒に歩こう」。もう一人の自分に言われた気がした。
 と、あった。

 中国地方に住む医療職の女性(28)は2年前、長女の産声を聞き、顔を見て、困惑した。夜泣きをしない。力がなく、おっぱいを自力で飲めない。「もしかして」。生後3カ月、詳しい検査でダウン症だと診断された。
 夫も医療職。障害や病と向き合う人は身近だ。それでも心のどこかで「向こう側、支援を受ける側に入ったんだ」と複雑な感情がわいた。親しい友人には障害を伝えたが、「夜泣きってつらい」「走って転んで危なかった」などの会話に入れない。我が子はいとおしくて仕方ないのに、さみしさを感じてしまう。
 だが、親の会に通い始めた半年後には開き直った。「マイナス思考は時間の無駄」。比べることを手放した。長女は大きな病気もせず健やかに彼女のペースで成長している。歩けるようになり、アニメの歌に合わせてダンスする。
 ただ一つ、頭の片隅から離れない思いがある。「先には死ねない」。長女の誕生の瞬間、命の始まりから、「終わり」を考えている
 と、あった。

 ゴチック部分に悲しく共鳴する自分がいた。
 「これが21世紀の経済大国の恐ろしい現実だ」で済ましていいのだろうか。
 「弱者」ではない「普通」っていったい何なのだろうか。
 どんな弱者も支えあう社会は夢想だろうか。
 
 安倍自公政権が推進している「新自由主義」、早い話が「自己責任論」は社会政策・経済政策として残酷なだけでなく、非常に心が荒んだ未来日本に突き進んでいる。
 そういう問題の深さは私には消費税どころでないほどの重大事項のように思える。
 重度障害児の親が安心して「先に死ねる」暖かい社会にみんなでしていきたい。
 そのためにも、今次選挙では「比例は共産党」を、「選挙区は共産党の候補者と野党統一の候補者」に私から最後のお願いをする。

 このブログ記事のテーマはなかなか文字にできなかったが、選挙戦の最後の最後にようやく文字にすることができた。
 意のある所を汲んでほしい。

2019年7月19日金曜日

世間は狭い

   右の写真は、昨日のブログを見てほしい。
 長谷川義史さんから暖かいエールが送られた大阪のたつみコータローだ。

 さて、共産党は参議院比例代表で7人の当選を目指しているが、新聞論調ではまだ5名と言われている。
 比例票には死票がないから、「共産党」あるいは共産党の「比例の候補者名」を友人、知人に広めてほしい。どちらであってもオール共産党候補者の票にカウントされる。その一票一票が社会を変える、未来を変える。

 「比例7人はそこそこ行くんちゃうん」は全く根拠がない。
 共産党の参議院選挙の中心的柱は比例区だ。
 その比例区が伸びていないという報道がある。
 どうか、初心に帰って「比例は共産党」を広めてほしい。

 共産党が正味当選を目指している7名というのは、北から順に、紙智子(現 北海道、東北)、梅村さえ子(新 栃木、群馬、茨城、埼玉)、小池晃(現 東京)、しいば かずゆき(新 千葉、神奈川、山梨)、井上さとし(現 東海、北陸信越、京都)、山下よしき(現 大阪、兵庫、奈良、滋賀、和歌山)、二比そうへい(現 中国、四国、九州、沖縄)だ。

選挙区ではない。比例区候補者
   ただ、この外にも14名の候補者がいて、大躍進すれば当選する可能性がないわけではないが、基本的には「共産党」という票の名代(みょうだい)あるいは黒子として奮闘している候補者がいる。
 まったく私利私欲がなく大義名分のために身を粉にして奮闘している。頭が下がる。

 そんな中の一人が京都を中心に奮闘している「佐藤ちひろ」さんだ。
 うかつにも私は知らなかったが、彼女は京都の労働行政OBの佐藤眞治さんの娘さんだった。
 それがどうした、知人ならどうなの、ということだが「世間は狭い」と感じただけのことである。
 もう少し早く知っておれば、それなりの紹介の仕方もあったのにと思っている。

 比例は「共産党」と書いてほしい。
 選挙区は、京都・倉林明子、大阪・たつみコータロー、兵庫・金田峰生 を当選させてください。
 滋賀・かだ由紀子、奈良・西田一美、和歌山・ふじい みきお は野党統一候補です。
 鳥取・島根・中林よし子、福井・山田かずお、徳島・高知・松本けんじ はいずれも共産党員の野党統一候補です。 
 どうか友人・知人に気軽に広めてください。

2019年7月18日木曜日

長谷川義史さんからのエール

   長谷川義史さんがツイッターで、素敵な作品も添えて次のように述べられておられる。

 『「弱いものいじめの政治を終わらせたい」と言う たつみコータローさん、この人に国会に行ってほしいと思います。』

 ちちんぷいぷいなど在版テレビ局が排除しないかと勝手に心配するが、堂々と所信を述べられる氏の立派な姿勢にただただ感服している。

 私たち一人ひとりも氏に倣って勇気を出して考えを発信していきたい。
 選挙戦は事実上あと3日。
 比例は「共産党」、大阪選挙区は「たつみコータロー」。どうか友人知人に広げてください。
 


2019年7月17日水曜日

お金には紐

 思い起こせば長い職業生活の中で一時期、予算や会計を担当したことがある。
 基本的に不得手な部門で苦労したが、ほんとうに上司、同僚、部下に大いに助けてもらってどうにか遂行できた。
 
男の痩せ我慢粋に見えたよ
   その時心掛けたのは、長く出入りしている馴染みの業者の社会的儀礼の範囲だとしても、李下に冠を正さずで、手帳一冊、カレンダー一枚貰わないということだった。
 相当多額の購入決定の際に、決定ののちに大手業者からこういう話を聞いたことがある。
 「実はどうにかならないものかとお宅の本社の偉いさんに相談したが、長谷やんは労働組合の幹部経験者で不公正な入札など絶対にない。口利きでもしようものならそのことでいっぺんに外されるぞ」と偉いさんから叱られたと。
 ああ、物わかりの良い「能吏」でなくてよかったと、その時は変にうれしかった。

 一般に贈収賄の際、このお金には別に色はついていませんからという話があるが、札束に色はついていなくても必ず紐がついているものだ。

 「トコーソー」などと言いながら東京に比べて格段に緑の少ない大阪市内で、近頃大阪城公園の樹木1200本が伐採されていて、そこに白ナンバーのダンプカーが出入りしているが、ダンプに書かれた造園業者は維新の府議や維新の大物に近しい業者であると写真をつけてネット上に告発されている。そういうものである。

 現下の選挙で喧しい(かまびすしい)「身を切る改革」なるキャッチコピーの宣伝文句の連呼の裏で政党交付金(2019年分で317億円)はもらいっぱなし(ちなみに政党交付金は1995年から約四半世紀支払い続けられている)。
 文書通信交通費は自分の政治団体に寄付をして、「領収証があるから透明だ」という。

 さらに原発ムラをはじめとする大企業からの政治献金ももらいっぱなし。
 某政党を支援する某大宗教団体機関紙もその種大企業の広告がいっぱいある。
 難しい社会現象も金の流れを見ると正解が解ると言われている。正鵠を射ている。

 共産党は不当な政党交付金は制度発足以来1円も受け取っていない。
 大企業の政治献金も、広告(料)も一切受け取っていない。
 「政党交付金はもらって世のため人のために使ったらどうだ」という意見も聞くことがあるが、私はこの頑固なやせ我慢が好きである。
 紐付きの金員に一切無関係である爽やかさは何事にも代えがたい。
 あかはた新聞購読料で支えたいと思う所以もここにある。

 心ある皆さんには、今度の参議院選挙では、この徹底してやせ我慢の共産党を支援してほしい。
 比例区は「共産党」と政党名を書いてほしい。
 比例票に死票は一切ない。一票一票が当選者数に反映される。
 選挙区(複数定数区)は共産党の候補者(近畿では京都・倉林明子、大阪・たつみコータロー、兵庫・金田峰生)を、一人区は市民連合と野党の統一候補(滋賀・かだ由紀子、奈良・西田一美、和歌山・ふじいみきお)を書いてほしい。

 みんなの良心を集めて清潔でまともな政治を取り戻したい。

2019年7月16日火曜日

絶滅危惧歌 堺小学水泳歌

   小学校の還暦同窓会だった。
 年齢が還暦というのではなく。卒業してからの年月が60年で干支が還った同窓会だった。
 締めに近い頃、みんなで校歌と『堺小学水泳歌』を合唱した。

 『堺小学水泳歌』は大正2年に制定されたもので、堺の小学生は学校から大太鼓に合わせてこの歌を歌いながら大浜、石津、浜寺等の海水浴場まで歩いて行って水泳の授業を受けていた。(いくつかの文献にはそうある)

 ただし、徐々に市民プールなどを使用することになったり、もしかしたらこの歌が何となく戦前の富国強兵の残り香がしたからだろうか、同世代の当時の堺市民に聞いても「そんな歌知らん」というのが圧倒的だった。

 だから私たちは、そういう中で実際の海で水泳の授業があり、この歌を歌った希少種のようだ。
 否、希少種というよりも、1957年(昭和32年)に本格的に堺泉北臨海工業地帯の造成が始まって順に海水浴が禁止されていったから、実際の行進でこの歌を歌った経験者は我々がほぼ最終ランナーであろう。客観的に言ってそうなる。70歳以下の人は絶対に経験していない。
 つまり我々は希少種というよりも、絶滅危惧種であり、この歌は絶滅危惧歌である。
 レッドデータリストのつもりで掲載しておく。

 堺小学水泳歌(大正2年制定)
  八重の荒波蹴破りて
  南洋呂宋に国の名を
  あげて帰りし英雄の
  血潮湧き立つあゝ我等
  海に鍛えや泳げよや
  我等の友はちぬの海
   (ほんとうは5番まであるが省略する)

 大太鼓は行進時だけでなく、水泳時の「休憩!あがれ!」の合図などもこの大太鼓だった。
 昔はもっとすごかったらしいが、私たちの場合も6年生の最終日の仕上げは300mの遠泳だった。
 え~んやこ~ら、え~んやこ~ら と声を出しながら沖合を泳ぐのである。
 力尽きておぼれかけたら先生の乗っている伝馬船に引き上げられる。
 この授業のおかげで私は海の河童になった。
 東には御陵さん(伝仁徳天皇量)の森、西には海の向こうに淡路島がはっきり見えていたころの(旧)堺の昔話でした。

2019年7月15日月曜日

GAFAにデジタル課税

   フランス議会は7月11日、デジタル課税法案を可決した。イギリス、イタリア、スペイン、オーストリア等も同様の実施を目指している。
 対象は、GAFA(ガーファ)、グーグルG、アマゾンA、フェースブックF、アップルAが代表選手のためこう呼ばれる巨大なIT大手で、その国の法人税等の課税の前提となる「支店」等を置かずに課税逃れをしている基本的にはアメリカの大企業である。
 フランスの場合は、世界で約910億円、フランス国内で約30億円以上の売り上げのある約30社前後の企業に対して収入の3%を課税する。
 私はその代表4選手の売り上げにかすかに貢献している。

 先日娘に「孫のプレゼントは何がよいか」と尋ねたら、少し離れたショッピングモールの玩具売場にある玩具の写真をメールしてきたのでそこへ行くと、既に売り切れていて、他の玩具売場にもそれはなかった。
 ネットで購入してもいいのだが、数百円の送料がバカバカしく感じたので、大阪に出たついでに松屋町(まっちゃまち)を歩いたが、近頃の松屋町は花火、景品用の品々、人形等が主で、意外なことに結局その玩具はなかった。

 翌日、最後にここならと近鉄百貨店の玩具売場とトイザラスに行くもなく、最後の最後にイオンの玩具売場に「取り寄せてくれ」というも、バンダイのこの玩具は取扱いしていないということだった。
 いったい世の中はどうなっているのだろう。

 で、家に帰ってきてパソコンでポチッとクリックすると、定価よりも安いそれが、あまり高くもない送料で、その翌日の朝にはアマゾンから届いたのだった。
 正確に言えば、アマゾンを通じてビッグカメラから送られてきた。
 「私の言うように最初からネットで買っとけばよかったのに」とは妻の言で、送料よりもガソリン代の方が上回った感じがする。

 私はアマゾンを褒めるよりも、通常の日本の会社の疲弊に心が重くなった。
 デジタル課税も悪くないし、日本企業でもタックスヘイブン(課税逃れ)をしている企業への課税も悪くない。
 その税収で中小企業を応援しないと、日本の産業、商業が空洞化するだろう。
 自公政治を続ける先には、多国籍グローバル企業に食いつぶされる社会が待っている。
 今こそ、大企業から1円の献金も受けていない共産党を伸ばして中小企業を守る時だ。

2019年7月14日日曜日

最低賃金について

   「最低賃金は全国どこでも直ちに時給1000円以上に引き上げ、1500円を目指す」と共産党は選挙公約で述べている。
 ところで今春、共産党を応援する集いを開いた折、「中小企業の疲弊は深刻なものがあるから、最賃を引き上げたら余計に苦しくならないか」という話が仲間から出た。
 その一方、地域最賃の格差が若者の故郷離れ(で過疎化)を加速しているという指摘もあった。

 そんなこともあり「たつみコータロー」の演説でもそこのところを注視して聞いてみると、「最低賃金大幅引き上げのカギは中小企業支援策だ」と、大阪経済の土台ともいえる中小企業支援に力が入っていて、私は「いいぞ!」と心の中で叫んだ。

 安倍自公内閣は、中小企業の賃上げ支援策である「業務改善等助成金」を2014年の35億9千万円から、2019年は6億9千万円へと5分の1にまで減らしている。
 中小企業1社あたり200円でかつ種々の条件を付して「使い勝手」も悪いと言われている。

 共産党は、税制も含め予算の仕組みを変え、中小企業の賃上げ支援をとりあえず1000倍の7000億円に引き上げ、社会保険料の事業主負担を減免させると言っている。
 私は一律免除はあまり賛成ではないが、大幅軽減には賛成だ。フランスでは2019年に2兆6千億円の社会保険料軽減が行われている。

 賃金アップは国内の消費購買力を引き上げる王道だ。
 消費購買力が上がればモノが売れ、経済が循環する。
 この理屈は眼が曇っていなければ誰も否定できない正論だろう。
 8時間働けば普通に暮らせる社会に!
 比例は「共産党」、複数区の選挙区は「共産党の候補者」に、一人区は「市民と野党の統一候補」に力を貸してください。

2019年7月13日土曜日

3万年前の丸木舟

   3万年以上前の先人の旅をなぞって台湾を出発した丸木舟が沖縄県の与那国島に到着した。
 日本文化の重要な一角を占める江南(揚子江)とつながるルートが証明されたことになる。
 魏略等に「倭人は自ら太伯の後裔だと言っている」と書かれているのを実感させられた。(それほど単純に肯定しているわけではないが)

 テレビニュースでは「到着後先ずしたことは入国手続きだった」と面白おかしく語っていたが、それを聞いて私はジョンレノンのイマジンを連想した。
 レノンは、Imagine theres no countries 「国境のない世界を想像してごらん」と歌っていたが、そもそも自然の地球に国境などなく、丸木舟はどこにもそんな壁を見たわけでもなく、そういえば国境自身が想像の産物ではないだろうか。と。

 文化という意味では以上の観点が重要だが、同時に政治で言えば、この日本列島に生まれ住まう農民、漁民や商売人が安んじて暮らせる政治が第一だと私は思っている。
 政治は、そういう広い国際感覚と地に足をつけた経済を同時に語る政治でなければならない。
 それを何もかも一緒くたにして「グローバリゼーションだ」と語っている人間には嘘がある。

 と考えると、・・文化の面ではアジアの国々を蔑視し、片方ではトランプの言いなりになって主権も金員も生業も投げ出している安倍自公政権には退場してもらう必要があると強く思っている。

 先日トランプが大相撲をジャックした折、日頃「アメリカによる押し付け憲法」などと叫んでいた日本会議の櫻井よしこや金美鈴がミーハーのようにトランプに握手を求めていたが、私は彼ら彼女らの言う「愛国心」の底が見えた気がした。
 あえて言うが、実際の行動でも主張している政策でも、本当の愛国心は日本共産党にあると私は考えている。

 目前の選挙の争点としてはあまり論じられていないが、外交無策の自公政権を許すと、本当に「有志連合」多国籍軍の一員となって日本国民が戦死することになるだろう。
 外交のできない小人物こそが戦争をもてあそぶのだ。

 軍拡の自公政治を退場させるため、比例は「共産党」、複数区の選挙区は「共産党の候補者」、一人区は「市民と野党の統一候補」に力を貸してほしい。

2019年7月12日金曜日

公務労働者 うつむかないで

 選挙になると「身を切る改革」などという扇情的なスローガンを叫ぶ政党や候補者がいる。
 その中身は何だと問うと「公務員を減らす」「人件費を減らすのだ」という。
 しかし労働基準監督も、職業紹介も、労災給付の審査決定も、みんな公務員が担っている。
 気象台も、法務局も国家公務員が担っているし、圧倒的な教員も、生活保護や児童相談所なども地方公務員が担っている。

 「スマンで済んだら警察はいらん」という漫才があるが、「法律さえあれば皆んな救われる」と言うのは寝言になる。
 千差万別のケースを法律の主旨で解き明かして判断し執行しているのが公務員である。
 そういうセーフティーネットがしっかりと確保されていてこそ国も地方も発展するのだ。

 「日本すごい」というようなテレビ番組で日本社会の安全性が喧伝されるが、それは単なる警察力だけでなく、日本の公務全般がそれなりに安定的に機能している表れだ。
 公務労働者は、公務の仕事に自信をもって「公務に人と予算を」と声を上げようと私は言いたい。

 安倍内閣は2020年度から5年間でさらに30927人の国家公務員を削減する計画を6月末に決定した(厚労省では△3394人)。総額人件費10%削減計画も引き続く。
 これでは職員の健康も国民の生活も底が抜ける。(もう相当抜けつつあるが)

   「身を切る改革」で言えば、一番声高な維新の議員の皆さんは、政党交付金や文書交通費などのお金を自身の後援会等に寄付し、つまり領収証の上も下も事実上同じ名前でマネーロンダリングを図っている。(写真は一例で、こんな領収証がいくつもある。東議員が政党支部(代表印は東)に寄付した領収証である)

 「領収証をもらって寄付をしたから資金は透明だ」というのは詐欺というよりも犯罪に近い。
 こんな詐欺師まがいの言う「身を切る改革」などに惑わされてはならない。
 正しい答えは「小さな政府は高くつく」である。
 とまれ、政党交付金は平成31年分だけで共産党以外の政党は計317億7300万円受け取っている。これを毎年受け取っていて何が身を切る改革だ。共産党は受領を拒否している。

 おまけを言えば、「身を切る改革」論で公務職場の非正規不安定労働者化が無茶苦茶に進んでいる。
 職業の安定や労働基準の向上を担う労働行政の現場職員が不安定非正規雇用で悩んでいたのでは、すべての労働者の労働条件が向上しない。
 八重の桜で有名になった会津藩の「什の掟」ではないが、ならぬことはならぬのです。

 偽善的なスローガンを語らず、必要な公務の充実を訴える共産党が一番正直だと私は思う。
 共産党は「国家公務員の定員合理化計画を廃止し、非常勤職員の正職員化を含め、国民生活の安全・安心のために必要な人員を確保することは急務」と堂々と主張している。

 正直な政治を望む人々にお願いしたい。参議院選挙「比例票」は「共産党」と書いてほしい。
 大阪選挙区は激戦だ。たつみコータローの支持を広げてほしい。

2019年7月11日木曜日

小林節氏には驚いた

 憲法学者の小林節(せつ)教授の演説がyou tubeに出ていた。
 小林教授は元々改憲論者で、さきの安保法(戦争法)の際に自民党推薦の参考人として国会で陳述した。
 ただ、そこで「安保法は違憲だ」と語ったという原則的な学者だ。

 それが今次選挙から「私は共産党を応援する」と宣言したのも驚きだし、論理的な話だけでなく「野党が頑張らなくてはならないが、野党の指導者の中で本当に信頼できるのは志位さんだ」「政治を語るに人間性も大切だ」と断言。
 憲法学という政治の舞台の周辺で表も裏も見てきた立場から喝破されたような気がする。

 ああ、時代は大きく変化している。
 全くおべんちゃらでも何でもない小林節(ぶし)を動画で確認してほしい。
 この時代の変化にふさわしく我々は変化(進歩)しているだろうか。反省。
 


2019年7月10日水曜日

有朋自遠方来


   奈良で月例の歴史講座があった。
   妻が「この頃F田はんはどうなの」と聞いたが「もう数か月は来てないなあ」と答えて出かけてみると、数か月ぶりでF田はんが、それも奥さんの付き添いなしで出席してきた。

 脳梗塞の後遺症は主に歩行に出ているように私は思ったが、本人は「普通に歩けている」と私に言った。
 奥さんの付き添いはなかったが、その代わり「長谷やんと会って飲んだら絶対あかんで」と釘を刺されて来たらしい。(注:そんなことは私はわきまえている)
 だいたいこれまでも、F田はんが「もう飲んでもええねん」と誘って飲んできたのに、奥さんには大いに誤解されている。くく。

 で、写真のとおりコーヒーとケーキでボーイズトークをした。
 誰それの調子はどうか、誰それはどうかと、自分のことを棚に上げてヒトの心配をするのも可笑しかった。(皆んなアンタを心配してるんや)

 「歳なのでもうあかんと思ったら終わりやで」と話し合うと、「フェースブックの仕方を教えてくれ」と尋ねてきたので「さすがだ」と頭が下がった。
 時間がかかるかもしれないし失敗するかもしれないが、「やってみよう」というその姿勢が素晴らしい。
 「挑戦する前からもうあかんというのが年寄りだ」とどこかで読んだ。

 途中で寄った古書店では豪華な本も購入されていた。
 言葉では私が励ましたが、それを上回ってこちらが元気をもらった。
 
 大阪選挙区は「たつみコータロー」、比例区は「共産党」を伸ばそうと語ってくれた。
 後遺症に負けず法定ビラのポスティングぐらいは頑張ると言って駅で別れた。
 人生いろいろ、条件もいろいろ、でも前だけは向いておこう。ご同輩。

2019年7月9日火曜日

憲法改正問題の本質

   日本維新の会が参院選公約で「国立追悼施設の整備」を掲げた。
 同党の浅田均政調会長は同日の公約発表記者会見で、その意味について「自衛隊を9条に明記すると、PKOでもかなり危険なところに行く必要が出てきてお亡くなりになる方が出てくるかもしれない」と発言。9条への自衛隊明記で「戦死者」が出る高い可能性を認めた。

 安倍首相は、憲法9条に自衛隊を明記しても「何も変わらない」と繰り返してきたが、首相が口にしない危険な本質を維新が代弁した格好というか連携プレイだ。
 ここだけで言えば安倍首相が嘘をついていて、浅田氏が本音を語った。
 余談を言えば、この主張は靖国派からはボロクソに言われている。「靖国があるではないか」と。

 G20前後にトランプが安倍首相に対して「米軍駐留経費の全額負担」を求めたことが話題になった。
 普天間では、沖縄県民を収容所に放り込んでおいて収奪した米軍基地について、反対に「米軍基地の移設は米国からの土地の収奪だから立ち退き料がいる」と言ったので、新聞論調は「トランプ一流の脅しで結局は金をむしり取られるのだろう」というようなものが多かったが、それよりも、トランプが米テレビ番組で「日本が攻撃されれば、米国は第三次世界大戦に参戦し、米国民の命をかけて日本を守る。いかなる犠牲を払ってもわれわれは戦う。だが米国が攻撃されても、日本には我々を助ける必要がない。ソニー製のテレビで見るだけだ」と語ったことの方が本質に近いだろう。
 ついに維新がトランプを忖度して露払いを買って出たわけだ。
 早い話が米国人の代わりに日本人が死ぬべきだと。

 テレビのワイドショーの少なくないコメンテーターは「選挙に行っても行かんでも何も変わらん」的な誘導をしているが、同じような風潮はナチス前夜にもあったといわれている。
 政権党である自民党が、出所不明のフェイク本を全国の組織や議員に配布した。
 取り越し苦労で済めばよいが、自民党はかつての保守党というよりも極右政党に様変わりしている。
 こんな危険な政権は参議院選挙で退場させるほかはない。
 選挙区と比例区で共産党と、一人区では野党の統一候補に投票してほしい。
 小異を残して大同につくのが大人の生き方であろう。

2019年7月8日月曜日

私も本人

   若い友人から「楽しい動画があった」と言ってツイッターの画面が送られてきた。
 神奈川選挙区の「あさか由香」候補の応援に、「ほぼ本人」とか「やや本人」とか「友人」とか・・・、よく似た衣装・いで立ちの女性がずらりと並んで順に応援の言葉を述べている。
 そのパフォーマンスの創意工夫に笑いながら感心したが、その意味は単なるパフォーマンスではないとも大いに考えさせられた。

https://twitter.com/makabe_takashi/status/1147408151332790272?s=20

 つまり、確かに候補者は前面に立って奮闘しているが、私たち一人一人は「頑張ってください」「お願いします」でいいのだろうか。
 ブラック企業を許さないにしても、平和憲法を守れにしても、公租公課の応能負担にしても、私たち自身が候補者の「ほぼ本人」「やや本人」「友人」なのだ。・・・ということで、何か反省させられた。

   さて、7日には京都選挙区倉林明子候補の街頭演説会に行ってきた。
 もともと看護師から「政治で救える命もある」と府会議員、市会議員、参議院議員になって25年。頼もしい候補者だし、定数2の京都選挙区で自公政治に真正面から挑む唯一の候補者だ。絶対に落とすわけにはいかない。

 スマホの自撮りに失敗したので(だいたい自撮りなどほとんどしたことがない)、私自身は肩の端しか写っていない。反省。しかし、私の顔などどうでもいい。投票箱の前で倉林さんの顔を思い出してくれればいいから。
 京都の皆さん、選挙区は「倉林明子」、比例区は「共産党」をよろしくお願いします。

 倉林さんは会津の出身。私はこの人を見るたびに「八重の桜」で「ならぬことはならぬのです」と台詞を語る綾瀬はるかを思い出す。ちょっと誉めすぎか。

2019年7月7日日曜日

祝世界文化遺産百舌鳥古市古墳群

   7月6日にユネスコの世界遺産委員会は百舌鳥古市古墳群を世界文化遺産に登録することを決定した。
 若いころ「御陵さん」を毎日眺めて暮らしていた堺大好き人間で、その後奈良で暮らしたことで古代史大好き人間にもなった私としてはうれしい限りだ。
 ちなみに、宮本たけし前衆議院議員も実現に向け努力されていた。 

 余談ながら、維新の都合で知事と大阪市長が入れ替わったが、「伝仁徳天皇陵をイルミネーションで飾ろう」と主張した松井一郎がこの時点の知事でなくてよかった。

 ただ、この時代の歴史は解らないことが多いので、世界遺産に浮かれずに、巨大前方後円墳についても、「解らないことは解らない」という謙虚な姿勢が必要だ。

 その種の謙虚さが欠けている安倍首相は、G20の夕食会の挨拶で「ここ大阪は、4世紀頃に仁徳(にんとく)天皇により都に定められ・・・」と語ったが、結論を言ってしまえば、それは戦前の皇国史観に通じている。
   だから、職場のOB会で堺を歩いた際、百舌鳥古墳群を「主に5世紀頃に造られた」と話してきた私としては、安倍首相の4世紀頃という挨拶にはいささか違和感を覚えている。

 極右団体日本会議の顔である安倍首相のことであるから、根拠は日本書紀に違いないだろうが、それに基づけば仁徳天皇の享年は143歳となるがそれでいいのか。

 同じく書紀によれば仁徳の父の応神の出生について、母(神功)の妊娠期間は1年3か月余り、夫の仲哀の死亡からでも10か月余り、よって腰に鎮懐石(しずめいし)を挟んで新羅に出陣したというから現代の科学的常識でいえば仲哀の子ではない。応神は万世一系ではない新王朝だが、それを認めるかどうか、日本会議の皆さんからあまり聞いた覚えがない。


   さらに大阪が都になったのは仁徳以前に応神の大隅宮があったのだが、これは陪都として無視するのか。

 一方、年月日が記録されている宋書、梁書の「5世紀の倭の五王」は特定できるのか。できない。
 「武が雄略(ワカタケル)のタケル」という定説?も本当だろうか。「健(タケル)」ではないのか。
 また、古市と百舌鳥の巨大古墳の造営順と書紀等の矛盾を如何に考えるのか。(これについてはこのブログでたびたび書いてきた)

 書き始めるときりがないので書かないが、現在の科学的到達点で「解らないことは解らないと言おう!」と私は言いたい。
 それを、半分神話的な書物を持って現代の一国の首相が解ったかのように語るのは、この国の戦前の歴史を見ると危険でもあると思う。

 先日、イージスアショアの配備をめぐって防衛省を批判した秋田県知事に対して「国賊」というような言葉の攻撃が集まったという。
 私の杞憂(取り越し苦労)と笑わないでほしい。
 歴史を狂信的に語る自公政権はこの選挙で退場させたいと本気で考えている。

 純粋に古代史大好きで大阪大好きな人間は、世界や後世の人々に笑われないように立ち振る舞いたい。
 少し驚ろかれる方もおられるかもしれないが、大阪や京都や奈良でも、古代の天皇の歴史や寺院を含めて、本当に保存し大事にしようといっているのは共産党だ。
 いわゆる保守だという政治家に限って、開発だ観光だといって文化を踏みにじっている。「学芸員が癌だ!」と言った大臣のとおり。

 この選挙で、共産党を伸ばして本当に歴史的な文化を守っていこう。 

2019年7月6日土曜日

安倍首相はタカ派ではありません

 「外交の安倍」などと身内で宣伝しているが、首相はここ2~3年だけでも海外に50兆円ほどバラマイている。もっと大きな数字を挙げている報道もある。
 さらにF35戦闘機105機に1兆数億円とか、ロシアには交渉の度に数千億円の支出を約束している。

   そうであれば、さぞかしG20の会場で世界中の首脳からお礼の洪水かと思いきや、ホスト国代表にもかかわらず99%握手も素通りされ、あまりに無視され続けられた体たらくをスポーツ新聞もため息交じりで報じている。

 その上に、G20並びに各国との首脳会談でも、拉致問題にしろ、北方領土にせよ、イランの原油問題にせよ全く進展がなく、親愛なるドナルドは「安保を続けたければもっと金を出せ」と言って板門店に飛び、米朝韓の電撃的パフォーマンスを世界中に公開した。
 こういう人のことを指して「蚊帳の外」という言葉があったのだろう。

 よって我々は今後彼をタカ派と言うのをやめようか。
 正確には安倍晋三はカモ派と呼ばれるべきだろう。

 とまれ、それは彼のポケットマネーなどではなく、すべて国民の財産である。
 ”類は友を呼ぶ”というべきか。私のような人間が見ていても政府機能は劣化している。
 自称保守でも革新でもいい。
 この参議院選挙でこんな恥ずかしい政権には退場願いませんか。

 選挙区選挙では、大阪はたつみコータロー、京都は倉林明子、兵庫は金田峰雄、滋賀はかだ由紀子、奈良は西田一美、和歌山はふじいみきお、(以上とりあえず近畿のみ記載)を勝たせたい。そして比例票ではブレない裏切らない理知的で紳士的な「共産党」そのものを記載してほしい。

2019年7月5日金曜日

平和行進の日

   4日に森友問題についての私の思いを書いたが、その日の平和行進で、森友問題の時の人、地方財務局のOBたちが実名と顔をさらして「幕引きは許さない!」と告発したメンバーの一人、喜多さんと一緒になった。

 室井佑月さんの『嗚呼、仰ってますが』という有名なコラムで、「森友問題があって、悪くいわれることの多い近畿財務局、そして官僚たち。しかし、ほとんどの官僚や公務員は、真面目に仕事をしてるんだよね。真面目だからこそ、不正に協力しろといわれれば、死ぬほど悩む。番組に出てきたOBたちは、みな良い顔の爺さんたちだった。何十年も誇りを持って仕事をしていた人の顔だ」と評された一人だ。

 平和行進からふうふう言いながら帰ってきたら、ポストに職場の大先輩からのハガキが入っていた。
 当事者(我々)は全く気が付いていなかったが、ミニコミ紙が区切りのいい号数だったことで、「〇〇号おめでとう」とあった。
 「継続するということは大変なことだ」「私も老人会会報でアンテナを張っていると敏感になり楽しくもある」とも・・。
 「ああ、見ていてくれている人は見てくれているんだ」と、嬉しくなった。

 朝日新聞などには、なぜ若者は保守化しているか!というような記事があり、結局、人間関係が希薄になっていると分析しているが、もしかして、それは親の生きざまの反映ではないだろうか。
 親の世代、つまりは高齢者が愚直に社会運動の継続に努力する、相手の心に響くメッセージに工夫する、そんな反省なくして「近頃の若い者は」と言っても何も始まらない。


 平和行進に戻ると、・・・全米市長会議年次総会は7月1日、核兵器禁止条約を改めて支持し、2020年の大統領選の候補者に向けて、核兵器廃絶の交渉で指導力発揮を求める決議を採択した。
  決議の題名は、「米大統領候補すべてに対し、核兵器に対する姿勢を明らかにし、核戦争を防ぎ、外交に立ち返り、核兵器廃絶の交渉を行う地球規模の米国の指導力発揮を誓約することを呼び掛ける」というもの。
  決議は、「1万4000発近く、地球全体の93%の核兵器が米国とロシアによって保有されており、人類と生物にとって耐えられない脅威になっている」と指摘。また、中距離核戦力(INF)全廃条約からの米国とロシアの脱退について「核武装国間の危機を深める兆候になっている」と述べている。 
 その上で、122か国によって2017年に採択された核兵器禁止条約を「歴史的な条約」と位置付け、2020年の米大統領選候補に、核兵器廃絶の交渉開始を選挙運動の優先課題とするよう要求。当選後は、「核兵器禁止条約に反対する米国の姿勢を転換させ、人道上の価値と目標を受け入れる」よう訴えている。

 日本のマスコミだけを見ていると世界の真実が見えない気がする。
 元気を出して、参議院選挙で安倍自公政治を後退させ、非核の政府を実現したいと決意を新たにした。
 「比例は共産党」「複数区は倉林、たつみ等・・」「一人区は野党統一候補」で頑張るつもりだ。

2019年7月4日木曜日

選挙で作ろう「真の再発防止策」

 参議院選挙の公示日に当たって繰り返し訴えたいことがある。
 菅原伝授手習鑑に「すまじきものは宮仕え」という名台詞があるが、いくら主君のためとはいえ人の命を軽んじてはならないということだ。

   極右団体である日本会議の信奉者が教育勅語に則った小学校を設立しようとし、維新の大阪府政が強引に基準を変更してそれを認可し、首相や首相夫人が口利きをして国の土地代が8億円も値引きされた森友事件である。

 近畿財務局の内部文書にその経過が記されていたため、大臣らは当初「文書は一切ない」と嘘をつき、それで通らないと思うと今度は文書そのものの改竄を出先職員に命令した。
 そういう違法行為を強要された公務員は種々の重圧で挙句自死を選んだ。公務員の先輩として胸の張り裂ける思いがする。
 時代は菅原伝授の戯曲の時代ではない。
 しかも、それらの張本人(真犯人)たちは全く咎めを受けていない。

   心あるすべての公務員労働者に私は言いたい。
 こんな理不尽な政権を政治を、この先も放置しておいていいのか。
 次は貴方の番かもしれない。自死するか、心を売って違法行為に加担するか。

 普通の民主主義国家に戻そう。理性が横暴な権力を制御する国にしよう。
 そのためには、参議院選挙で日本共産党と、市民と野党の統一候補の当選を目指そう。
 この選挙は、私たちの良心を問うていると私は感じている。

 政治を冷笑しているのは、結局不正に手を貸していることになる。選挙に行こう。

2019年7月3日水曜日

戦後開拓村

 「縄文時代が済んで弥生時代になってから人々は争うようになった」という説があるが、水田稲作にとって水(水利)は決定的に重要になったから、水争いも、その争いを指揮するリーダーも、さらにその上を束ねるリーダーも発生したに違いない。本当にそう思う。

   話は近現代に跳ぶが、奈良県の農業用水の不足は積年の課題であった。
 1927年(昭和2)の奈良盆地大干ばつを受け、奈良県は吉野川(下流は紀ノ川)支流にダムを造る計画を立てたが、当然のように和歌山県は同意せず、下って終戦後、GHQの指示というトップダウンもあり、吉野郡津風呂にダム(津風呂湖)を建設することが決まった。

 そこで立ち退きを余儀なくされた50戸(51戸?)のうち27戸(25戸?)は集団移住を希望したが代替地はなかなか決まらず、1957年(昭和32)にようやく奈良市北部に『戦後開拓村』として移転する地鎮祭が行われた。
 その地は行政地名としては奈良市山陵町(みささぎちょう)であるが、自治会名や共有財産を管理する農業開拓組合等の名称は奈良市津風呂町(つぶろちょう)で、通称名であるが堂々と今も存在している。
 現東大寺学園周辺地域で、わが家からも自転車(ただし電動アシスト)で行ける距離にある。

   なぜ田地を含めて30戸近い農家が集団移住できたのかというと、1954年(昭和29)に廃止された奈良競馬場の跡地が払い下げられたからであった。
 この競馬場のことを検索してみると、『読書箚記(さっき)と覚え書』というブログがヒットした。
 そこにあったのが最初の写真で1948年(昭和23)米軍撮影の航空写真だ。一周1600mの巨大なコースが移っている。この外側に各種の施設があり、写真には写っていない北北東の地(競馬場施設跡)が現奈良市津風呂町である。
 ちなみに右肩のところの古墳が伝神功皇后陵で、墳丘長267m、全国12位の規模だから、競馬場のバカでかさが分かる。

 次の写真は2008年(平成20)つまり現在の航空写真で、今でもそれらしい地形が残っている。左にある楕円形がパドック等の跡に造られた現競輪場だから、それからもかつての競馬場の大きさが理解できる。
 この中を斜めに横切っている道は、かつて義母の介護や孫の看護でそっちゅう走っていた道で、そういえば一面の農地で、その周辺にはいくつもあるような伝統的な農家の屋敷のようなものはここにはない。
 奈良市津風呂町の農家の田地もこの中にある。

 以上の話を「こんなこと知ってる?」と妻に話したところ、「10年ほど前に奈良大学の公開授業で聞いた」というのだが、健忘症気味の私はすっかり忘れていた。
 先のブログによると、この不思議な地形から、今でも年に数回奈良文化財研究所等に「平城京関係の遺跡を発見した」という通報があるらしい。
 奈良は古代史だけでなく、近現代史も面白い。

   すぐそこに戦後開拓村があった

 ※ この記事は天理大学芹澤教授の講義をベースに記述した。

2019年7月2日火曜日

ナマステー

namas te
   「春夏冬」で商い(秋無い)というのは一種の洒落言葉だが、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、南無大師遍照金剛などの「南無」は「西北東」と何の関係もない。
 これは古代、インドの当時の公用語的な位置にあったサンスクリット語などの仏典(お経)を中国語に訳す際、現代の日本が外来語をそのままカタカナで記述するように、namas(ナマス)をそのまま音写(音訳)したもので、敬意を表する言葉で、帰依とか敬礼(きょうらい)、帰命(きみょう)というような意味だといわれている。
 というようなことは、私はまあまあ聞きかじっていた。
 
 ところで先日、インド哲学の関根俊一先生の話を聞いた中で「同じ語源からnamas te(ナマステー)があるのだ」と聞いた時、私は一度になるほどと「南無」が親しく感じられて合点がいった。南無とナマステーが同根の言葉だったとは、そこまでは知らなかった。
 ナマステは、ヒマラヤに登る(登った)話の中で頻繁に出てくるネパール語でもあり、誤解を恐れず言い切れば、「こんにちは」という感じで登山関係の書物では何回もお目にかかっていたものだ。関根先生曰くナマステーとテを伸ばすのが正しいらしい。

 そして私などは、漢字、漢文というと絶対的に表意文字という感じでいたが、こういう音写、いうなれば表音文字的な性格もあるということが浅学の私には勉強になった。
 万葉仮名それ自身は日本人の工夫かもしれないが、表音文字と表意文字の翻訳という作業で中国人やシルクロードの人々が既によく似たことをしていたことになる。

   門外漢の私は、この歳になって初めてそんな低レベルの常識を知って感動している。

   ナマステーと呼び掛けた虹のブロッケン

2019年7月1日月曜日

記憶の底のヤマモモ

   孫の夏ちゃんが来て、祖父ちゃん(つまり私)と遊歩道にあるヤマモモを採りに行った。
 ビニール袋がほぼ一杯になるほど採って、夏ちゃんは大いに満足した。
 「曾祖母ちゃんにも分けてやって」と言ったら、ほんの少しだけ分けてほとんどを持って帰った。ケチンボだ。まあ、それだけ気に入っているようで、それもいい。

 少しだけといっても20数粒を、翌日、ホームの「曾祖母ちゃん」に持参した。
 普段は、はっきりとわかる朝食のおかずでも「これはなんや」というのに、これを見た途端「ヤマモモか」と反応した。この辺の違いが面白い。

 お金で買うおやつなどとは無縁であった「曾祖母ちゃん」には、山で採ったこんなものが懐かしいおやつだった。
 途中で「もうええわ」と言いながらも何回も手を出した。
 味も懐かしそうだったが、きっと記憶の奥のそれを採っていた経験(シーン)が懐かしかったのだろう。

   梅雨空に山桃の実や枝たわわ

 ホームの部屋の複数の男性スタッフはヤマモモを知らなかった。
 食べてみて「美味しいですね」と感動していた。
 「駅前にもいっぱいできているから採ってみたら」と扇動しておいた。
 妻と趣味の合う女性スタッフは「今日いっぱい採ってきてヤマモモサワーを作るんだ」と意気込んでいた。
 ヤマモモのおかげで少しだけいつもより話のキャッチボールが弾んだ朝だった。