2019年7月20日土曜日

朝日新聞『子と生きる』

朝日新聞『子と生きる』は、朝日新聞が先日から連載している企画もので、障害のある子や障害のある親のいろんなケースを追いかけていて私には多いに参考なっている。

ダウン症の長男を出産したAさんの場合の記事では、
義母は「初孫で跡取りなのに。息子を返して」と間接的に離婚を求めた。仕事に理解があった実母も「そんな(福祉の)仕事についたから、こんな子がうちに」と嘆いた。ネットで「ダウン症」と検索すると「生まれてしまう」という表現がはんらんしていた。
 病院にいる息子に冷凍母乳を届けた帰り道。山桜と野の花が見えた。障害の有無とは、サクラとタンポポの違いだと思ってきた。「でも世間ではサクラと折れたタンポポ。喜んでもらえない命をつくっているこの社会は汚すぎる」。何度も自死の衝動にかられた
 夫の胸の中で泣いたあの夜から間もなく、同じ障害のある子を育てあげた職場の先輩を訪ねた。「絶対に大丈夫」と笑顔で言ってくれた。女性は、出産後、初めて体の力が抜けた。「私が振り回されている価値観は狭いのかもしれない。息子と一緒に歩こう」。もう一人の自分に言われた気がした。
 と、あった。

 中国地方に住む医療職の女性(28)は2年前、長女の産声を聞き、顔を見て、困惑した。夜泣きをしない。力がなく、おっぱいを自力で飲めない。「もしかして」。生後3カ月、詳しい検査でダウン症だと診断された。
 夫も医療職。障害や病と向き合う人は身近だ。それでも心のどこかで「向こう側、支援を受ける側に入ったんだ」と複雑な感情がわいた。親しい友人には障害を伝えたが、「夜泣きってつらい」「走って転んで危なかった」などの会話に入れない。我が子はいとおしくて仕方ないのに、さみしさを感じてしまう。
 だが、親の会に通い始めた半年後には開き直った。「マイナス思考は時間の無駄」。比べることを手放した。長女は大きな病気もせず健やかに彼女のペースで成長している。歩けるようになり、アニメの歌に合わせてダンスする。
 ただ一つ、頭の片隅から離れない思いがある。「先には死ねない」。長女の誕生の瞬間、命の始まりから、「終わり」を考えている
 と、あった。

 ゴチック部分に悲しく共鳴する自分がいた。
 「これが21世紀の経済大国の恐ろしい現実だ」で済ましていいのだろうか。
 「弱者」ではない「普通」っていったい何なのだろうか。
 どんな弱者も支えあう社会は夢想だろうか。
 
 安倍自公政権が推進している「新自由主義」、早い話が「自己責任論」は社会政策・経済政策として残酷なだけでなく、非常に心が荒んだ未来日本に突き進んでいる。
 そういう問題の深さは私には消費税どころでないほどの重大事項のように思える。
 重度障害児の親が安心して「先に死ねる」暖かい社会にみんなでしていきたい。
 そのためにも、今次選挙では「比例は共産党」を、「選挙区は共産党の候補者と野党統一の候補者」に私から最後のお願いをする。

 このブログ記事のテーマはなかなか文字にできなかったが、選挙戦の最後の最後にようやく文字にすることができた。
 意のある所を汲んでほしい。

2 件のコメント:

  1. 月並みな言葉で申し訳ないが、、、目指す社会に一歩でも近づくために、この参議院選挙、何としても共産党の躍進をと願います。でも、涙がとまりません。

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  2.  ひげ親父さん、コメントありがとうございます。

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