小学校の還暦同窓会だった。
年齢が還暦というのではなく。卒業してからの年月が60年で干支が還った同窓会だった。
締めに近い頃、みんなで校歌と『堺小学水泳歌』を合唱した。
『堺小学水泳歌』は大正2年に制定されたもので、堺の小学生は学校から大太鼓に合わせてこの歌を歌いながら大浜、石津、浜寺等の海水浴場まで歩いて行って水泳の授業を受けていた。(いくつかの文献にはそうある)
ただし、徐々に市民プールなどを使用することになったり、もしかしたらこの歌が何となく戦前の富国強兵の残り香がしたからだろうか、同世代の当時の堺市民に聞いても「そんな歌知らん」というのが圧倒的だった。
だから私たちは、そういう中で実際の海で水泳の授業があり、この歌を歌った希少種のようだ。
否、希少種というよりも、1957年(昭和32年)に本格的に堺泉北臨海工業地帯の造成が始まって順に海水浴が禁止されていったから、実際の行進でこの歌を歌った経験者は我々がほぼ最終ランナーであろう。客観的に言ってそうなる。70歳以下の人は絶対に経験していない。
つまり我々は希少種というよりも、絶滅危惧種であり、この歌は絶滅危惧歌である。
レッドデータリストのつもりで掲載しておく。
堺小学水泳歌(大正2年制定)
八重の荒波蹴破りて
南洋呂宋に国の名を
あげて帰りし英雄の
血潮湧き立つあゝ我等
海に鍛えや泳げよや
我等の友はちぬの海
(ほんとうは5番まであるが省略する)
大太鼓は行進時だけでなく、水泳時の「休憩!あがれ!」の合図などもこの大太鼓だった。
昔はもっとすごかったらしいが、私たちの場合も6年生の最終日の仕上げは300mの遠泳だった。
え~んやこ~ら、え~んやこ~ら と声を出しながら沖合を泳ぐのである。
力尽きておぼれかけたら先生の乗っている伝馬船に引き上げられる。
この授業のおかげで私は海の河童になった。
東には御陵さん(伝仁徳天皇量)の森、西には海の向こうに淡路島がはっきり見えていたころの(旧)堺の昔話でした。
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