孫の夏ちゃんが来て、祖父ちゃん(つまり私)と遊歩道にあるヤマモモを採りに行った。
ビニール袋がほぼ一杯になるほど採って、夏ちゃんは大いに満足した。
「曾祖母ちゃんにも分けてやって」と言ったら、ほんの少しだけ分けてほとんどを持って帰った。ケチンボだ。まあ、それだけ気に入っているようで、それもいい。
少しだけといっても20数粒を、翌日、ホームの「曾祖母ちゃん」に持参した。
普段は、はっきりとわかる朝食のおかずでも「これはなんや」というのに、これを見た途端「ヤマモモか」と反応した。この辺の違いが面白い。
お金で買うおやつなどとは無縁であった「曾祖母ちゃん」には、山で採ったこんなものが懐かしいおやつだった。
途中で「もうええわ」と言いながらも何回も手を出した。
味も懐かしそうだったが、きっと記憶の奥のそれを採っていた経験(シーン)が懐かしかったのだろう。
梅雨空に山桃の実や枝たわわ
ホームの部屋の複数の男性スタッフはヤマモモを知らなかった。
食べてみて「美味しいですね」と感動していた。
「駅前にもいっぱいできているから採ってみたら」と扇動しておいた。
妻と趣味の合う女性スタッフは「今日いっぱい採ってきてヤマモモサワーを作るんだ」と意気込んでいた。
ヤマモモのおかげで少しだけいつもより話のキャッチボールが弾んだ朝だった。
今年こそ「ヤマモモ」ジャムを作ろうと思っていましたが雨と雑事に追われ採りに行けず、その代わり今年は梅酒を2瓶漬けました。
返信削除ヤマモモジャムよりも梅酒の方がよいかも。
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