2019年2月14日木曜日

あったかもしれない?島



















 たかが小説であるが、どうしてこう頭がくらくらして胃袋が熱くなるのだろう。
 時代がほぼ自分の青春と重なるからだろうか。
 小説後半の頃、私はヤマトで”沖縄を返せ!”とシュプレヒコールをしていた。だが小説のようなウチナーの心はほとんど知らなかった。
 どこまでが事実でどこが創作なんだ。教えてほしい。
 
 あまり大きくない字で541ページは長編だろう。
 私はメールのチェックも忘れて読みふけった。
 
 12日には早朝から「奈良公園壊し」に抗議する行動にも持参し、往復の電車の間中も読みふけった。
 午後から参加した歴史講座も開始直前までも読んだ。
 最終章近くは帰ってから家で読むのが待てなくて、帰路のイオンの通路のソファーで読み終えた。

 小説は、その時代のアメリカ政府と日本政府の薄汚さがこれでもかと暴かれている。
 そんなことのすべてがあったかもしれない。
 こんな人間がいたかもしれない。
 私自身主人公たちと小説の世界を一緒に激走した記憶が湧いてくる。

 しかし真藤さん、その後の沖縄は翁長知事を選んだし、デニー知事を選んだぞ。
 青春とは体力や齢ではなく心なんだと思う。
 直木賞受賞作品真藤順丈著『宝島』、ハウツーものにはない熱いめまいを貴方にもくれることだろう。
 
   夢にまで出るのはごめん痛快小説

1 件のコメント:

  1.  私のブログを読んでも、掲載した本のカバーの写真を見ても、なんのこっちゃと分からないでしょう。
     それでも、「戦後」の記憶のある人、ベトナム戦争の時代を知っている人なら、この痛快小説に引き込まれることは間違いない。

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