2019年2月11日月曜日

建国記念の日(洞村と神武天皇陵)

   建国記念の日というと、私は高校生時分に寝ずに読みふけった住井すゑ著『橋のない川』を思い起こす。
 小森部落の誠太郎が親戚のいる路(みち)部落に行くというと祖母のふでは「それがええ。路は立ち退きになるというさかい」と言い、「来年は京都で即位式があるやろ。路を立ち退かしたら峰山さん(畝傍山)がまるまる神武ご陵になるさかいな」と解説する。
 小説の路部落は現実にあった洞(ほうら)村のことで、即位式とは大正天皇の即位式だった。
 
 これを機会にと村の改善を考えた村の指導者、それを後押しした融和運動の指導者の指導と重ねて、神武天皇陵を飾り立てたかった政府が強行した”村まるまる”の強制移転だった。
 政府の側からいえば、「初代天皇の神地、聖跡を見下ろす神山に穢多村があり、その土葬墓が存在するのは言語道断、恐懼に堪えざること」と正直に文書に残っている。
 事実、移転反対者には警官が説得に当たり、土葬墓の移転に際しては「一片の骨さえ残すな」と警官監視の下に掘り返された。

 そも神武天皇の和名カムヤマトイワレヒコは6世紀の継体天皇の王宮イワレタマホノミヤからして6世紀に創作された神話上の天皇という有力な説があるが、約200年後の8世紀に編纂された記紀によると、その陵は、日本書紀が「畝傍山東北陵」と書き、古事記は「畝火山之北方樫尾上」と書いている。
 ということは、少なくとも記紀の上でさえ現在のような「畝傍山の下」ではなく、「尾根の上」となる。
 なので、幕末段階では普通に記紀を読んでそれは畝傍山中の「丸山」だと多くの人が考えていた。

 しかし、幕末から明治維新のあわただしい状況下で「丸山」に隣接する洞部落を全村移転させる時間的余裕もなく、やむを得ず麓の小さな土饅頭二つを神武天皇陵だと決め、橿原神宮を建て、その後洞村を全村移転させ、さらには昭和15年、紀元2600年に大々的に用地買収と整備事業を行い、日本史でいえば”ついこの間”作られたのが現神武天皇陵である。そして建国記念日とそれにまつわる”歴史たる神話”である。

 神話が滑稽だと笑うつもりはない。神話は所詮そういうものである。神武天皇が127歳の長寿は微笑ましい。
 しかし、神話を適当に摘んで「事実」だという先には独裁政治や戦争の顔が見える。
 歴史を学ぶということはそういう視点を養うということだろう。
 安倍内閣の下で進められる天皇の代替わり行事もそういう理性的な目で見ることが大切だと私は思う。
 本日は神話という蜃気楼の上に建てられた楼閣の日である。

   混ぜるな危険神話と歴史と

2 件のコメント:

  1. 混ぜるな危険!確かに為政者にとって都合のいいものを混ぜて圧政に使われてきたものですからね。言い得て妙です。

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  2.  天皇が代替わりをすると新天皇が神武天皇陵にあいさつに来ます。でも旧洞村の方々に謝罪の言葉はないでしょう。橿原神宮、畝傍御陵に行かれたら、決して古代史だと勘違いせず、近代史を見ているのだと理解をお願いします。しかし、・・・橿原神宮のヤタガラスのストラップは可愛い。

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