2018年10月17日水曜日

レパ事件の白川静

   朝鮮戦争勃発の1950年(昭和25年)、この国では民主主義を踏みにじるレッドパージが行われた。
 国会議員、新聞・通信・放送および国家機関からの共産党員および同調者の追放である。
 新日本新聞は、私立大学である立命館大学の、日本史教員では北山茂夫、奈良本辰也、林屋辰三郎、岩井忠熊らを名指しした。
 その岩井忠熊立命名誉教授の文章を読んで私は驚愕した。

 大学の学生部長武藤守一教授(故人)の日記によると、教授は何度も中立売署に呼び出され、「大学内部の同僚からの告発によって調べるのだ」と言われた。
 「それにしても同僚を売り大学を陥れようとする奴らの気が知れない」「その教員が20年後のいまでもいるのである」と日記にはあった。

 岩井氏の文によれば、「その教員が白川静氏であったことは当時の教職員の誰にも分かるほど明白だった」とある。(その根拠のような詳細は不記)

 以上の文章は白川文字学等に大きな尊敬を払っていた私には驚くほどショックだった。
 岩井氏は「先輩の業績を誇りに思うことでは人後に落ちないつもりだ」と言って「しかしこの時の白川氏の行動には釈然としない思いが続いている」と文を閉じている。

 偉大な学問と人間性とは異なるテーマだろうか。事実、近代の戦争や兵器は優秀な学者の関与なしにはあり得ない。
 読み切った本ではあるが、益川敏英著『科学者は戦争で何をしたか』をもう一度じっくいと読み直したくなった。少々ショックである。

2 件のコメント:

  1. ブログ記事に驚愕しました。そんなアホな、間違いやろと言うのが感想です。

    白川静回思九十年の私の履歴書のその辺りの時代の処をザーと読み返しました。まず第一、氏は戦前の軍国主義ー戦争には強烈に批判されています。

    氏はずーと立命館で漢文学を学んでいて戦争中は立命館は右翼的だったようで戦後、学校そのものが存廃の危機が有り末川博氏が事態を収拾したようですが、一方、氏の先生はその毛色が有ったようで、氏の先生はいわゆる民主派から排除されたようです。氏は先生の歌が戦前肯定とのことで追放される事を憤って当時の文部省に再審要求をしたとのことです。その歌は「東亜の民族ここに闘えり 再びかかる戦 無からしめ」氏はこれは反戦の歌で民主派の言う「支那事変は聖戦」言う解釈は間違っていると書いています。

    ここらあたりが発端ではないでしょうか。密告、タレ込みの真実は氏の言葉が聞けない今、何とも言えないと思っています。でもなぜ今になって・・・・。

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  2.  本文のとおり、私もショックを受けています。ただし私はそのあたりのことはほとんど知りません。
    また、読んだ文章にも本文のとおり根拠的な事実は記載されていません。ただ、しっかりした媒体に記載された文章で、岩井氏も名前も写真も出しての文章です。少し勉強をして見ます。

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