名勝吉城園の場所は奈良県庁の東、県知事公舎の隣であるから、言いようによっては奈良県の中心といえよう。
その吉城園西側の門の上(知事公舎玄関のすぐ横)の留蓋(とめぶた)が不思議である。
留蓋とは、巴蓋、隅蓋ともいい、丸瓦のわかれる部分にかぶせる瓦で、雨水を防ぐとともに装飾性を持っている。
装飾性の中にはマジナイに似た素朴な信仰も多々含まれており、役物(やくもの)とも呼ばれる。
鍾馗様や鬼はよく見られる。
写真を見てほしい。吉城園の西の門の役物だが、私が不思議に思ったのは、一見してこれが何かが解らなかったからだし、あまり優れた装飾性も感じなかったからである。
名称吉城園には似つかわしくない???
吉城園の受付に座っておられる方に尋ねても、後で奈良民俗文化研究所に尋ねても明瞭な答えはなかった。
葉っぱの形からすると菊のようだが、開いている菊の花が取れてしまって(欠けて無くなって)こうなったのだろうか。
それともシンプルに「菊の蕾」という作品なのだろうか?
正直にいうと、私はもしかして菊の蕾を隠れ蓑にした金精様(こんせいさま)?の信仰と勘ぐった。
金精様のルーツは縄文時代からある石棒だし、愛知の田縣神社のように天下の奇祭として現在も有名な寺社も少なくない。
以前に大阪の有名な高津宮(神社)のことを書いたが、そこの裏手にも陽石と陰石がしっかりと祀られていた。
子孫繁栄、豊穣全般の素朴な祈りの対象であるが、さらに言えば、アジアの古代思想の基底をなす道教(の陰陽思想=陰気と陽気が交わって万物(和気)が生じる)の哲学である。
さて、古代の祭祀についての第一人者であった故水野正好先生の講義でこんなことを聴いたことがある。
「古代の井戸から木製などの石棒状のものがたくさん発掘される」「祀りなどの後で井戸に投げ込んだのだろうという学者がいるがそんなアホなことはない」「井戸の上などに飾っておいて水の絶えないことを祈っていたのである」と。
水野先生の話はつい先日古代に行って見てきたように語るので面白かったが、21世紀の今も金精様は「陽」の代表として多くの温泉地で祀られており、そこでは「陰」である温泉が涸れずに湧き続けるよう祈られている。
とすると、吉城園のこの「役物」は「水」を誘い、防火、類焼除けといえないか。
田舎のお屋敷で見受けられる妻壁の「水」という文字や役物の魚の進化系だと考えるとどうだろう。
大阪のおばちゃん風に言えば「知らんけど」、そんなことを考えた。
鶲(ひたき)来て吾は去年と同じまま
民俗学などと構えなくても、先人が何を考えどんな思いでこんなものを作ったのかと考えるの楽しいことです。
返信削除過去が未熟や野蛮で現代の精神世界が高尚だと考えるのは一種の井の中の蛙でしょう。
こんな記事はつまらん阿保らしいと思われたのかも。