答はオクラなのだが、戦時中はこれによく似たヒマがたくさん植えられていたという。
さて、私が小学生の頃は「ひまし油」というと「虫下し」のために飲まされたものだった。
同じ「虫下し」の「マクリ」とともに嫌な思い出であるが、それは寄り道。
航空機燃料の「ひまし油」を少し検索してみると戦後もエンジンオイルの一部に使われているというのがあった。
私が初めて乗った自家用車は、廃車寸前のスバルR2という空冷エンジンのクルマだった。
空冷エンジンは、ガソリンとは別にオイル(潤滑油)を入れてそれを混合して燃焼させるもので、早い話がバイクのエンジンのようなものだった。
冬の朝にエンジンを始動すると街中が白い煙に満たされるほどひどいものだったが、あのオイルの中に「ひまし油」も混ざっていたらしいとすると懐かしい気分になる。
折角だからスバルR2のことをいうと、名車スバル360の兄弟のようなもので、エンジンが後ろについており、前がボンネットだった。今から考えると衝突したらイチコロだったような気がする。
その代わり、前にエンジンがないから空気口を開ければ外気が直接入って来たし、床にも空気口があり、地面を見ながら走れたからクーラーなど必要なかった。
90歳の隣人の思わぬ質問でいろんなことが思い出された。
ヒマに似るオクラは健康優良児
昔、雨の日にスバルに乗せてもらった時、水溜まりの上を走ると床から水が吹きあっがて吃驚したことを思い出しました。
返信削除懐かしい話をありがとうございます。その後自動車もブラックボックスの塊になり、その分なにか可愛げがなくなったように感じます。
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