暦の話は話題が尽きないが、そのうちの一つに和風の月の名がある。
いうまでもなく10月は神無月である。
なぜ神無月というようになったのかというのには諸説あるが、最もポピュラーなものが「この月には全国の八百万の神々が出雲大社に集まるので神さまが不在になる」というもので、よって出雲だけは10月を神在月と呼ぶ。
世間一般には新暦10月が神無月ということで十分通っているが、出雲大社の方では旧暦10月(新暦ならほゞ11月)に神在祭が営まれる。
八百万の神々も何時旅立つのがよいのか悩ましいことだろう。
こういう話を書いたのは、10月21日の日本建築の記事に対して、出雲大社の大きさ(高さ)についてコメントをいただいたからである。
で、話をそちらに戻すことにする。
天禄元年(970)源為憲撰『口遊』(くちずさみ)に、「雲太、和二、京三」というのが出ており、これも諸説あるが、当時の高層建築のことというのがほゞ定説となっている。
順に出雲太郎・出雲大社、大和二郎・東大寺大仏殿、京都三郎・平安宮大極殿である。
当時の大仏殿の高さは15丈・45.5mであったから、出雲大社はそれよりも高かった。
天正8年(1580)の史料にも16丈・約48mとあるから話は整合する。
そして平成12年(2000)の鎌倉期神殿跡の発掘調査で、コメントにいただいた3本の巨木を束ねた直径3メートルの金輪の柱(根本)が発見されている。
雲太は間違いなくそうだったのであろう。
テレビを観ていると、現代でも、日本人が知らないうちに世界各国でタワーや超高層ビルが建てられていて、それを見る度に「国譲りの代償に壮大な神殿を要求した」記紀神話を連想する。
現代の高層建築は、私の感覚でいうと、成熟した文化国家というよりも成金趣味のように感じられるが、それはあくまでも「個人の感想」である。
単なるコメントに応えていただき、有難うございます。「国立国会図書館デジタルコレクション」で調べたらありました。「口遊一巻・源為憲撰」の居〇(拠のような字)門三曲(意味は分かりませんが)とあり雲太、和二、京三と書かれてその解説で「今〇雲太謂出雲國城築明神殿 在出雲郡」とありました。時間があったら、もっと調べれば面白いのでしょうが。
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