大阪市内は夏祭りの真っ最中である。それは道路に立てられている「〇〇神社夏祭 氏子中」の幟で判る。
上本町(六丁目)から馬場町までバスに乗って見ていると・・・、
先ず上六の東北には東高津宮の幟が目についた。
ここは元々父母や兄姉が戦前まで住んでいた街である。東高津宮の鳥居には寄進者の一人として父の名が残っている。
上町筋の西側は生國魂神社の幟がずーと続く。
生國魂神社は大阪中心部の神社でその氏地?で私は何回も勤務した経験がある。
そして生國魂神社の氏地?と重なって高津宮の幟、北大江神社の幟が立つ。
高津宮は落語「高津の富」で超有名。
北大江神社は労働組合の事務所が氏地?にある。
東側は玉造稲荷神社の幟。落語「東の旅」つまり浪速から伊勢参りの出発点。
その日はバスを降りてから平和行進を歩いたが、天満橋を西へ土佐堀通を通るとエル・おおさかの東に坐摩(いかすり)神社の行宮がある。秀吉以前は此処が本宮であった。ここに鎮座石があるのでこの地を石町という。
その後、天満の天神さんの天神祭りの神事で有名な鉾流橋まで行った。
ここ天満の地での勤務経験もある。
歴史的には「氏子中」や「氏地」というのは厳密にはおかしいかもしれないが、今では一般にその土地の神、その土地の子で通っている。
ある日のある一瞬の見聞記だが、いったい大阪市内にはいくつ神社がありいくつ夏祭りがあるのだろう。
7月末にその大阪の夏祭りの最後を締めるのは住吉さんであり、その行宮(御旅所)が堺のど真ん中にある。
住吉を出発した神輿が大和川の川の中を練って堺に渡るのが復活したのは嬉しい。
それで夏祭りは終わるが、翌日からあちこちで秋祭りが行われる。
まあ一年中どこかの神社で祭があり、一神教の社会から見るとわれわれは異常なお祭り民族らしい。
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