日曜日の朝、少し風が残っていたがクマゼミが一斉に鳴き出した。
「通り過ぎたようやな」と妻が呟いた。
暴風警報解除のテロップが流れたのはそれから1時間以上後のことだった。
生き物の予知能力にはいつもながら感心する。
蝉しぐれを信じて家の周りの落ち葉の掃除を始めた。
生き物の予知能力と書いてはみたが、気象学の進歩も素晴らしい。
小笠原沖の台風がぐるっと回って紀伊半島に上陸して、東から西にわが街上空を通過するなど半信半疑だったが、ほんとうに未経験のことに遭遇した。
1970年代、私は東京大手町の旧内務省庁舎にあった全労働本部にいた。労働省別館、竹橋庁舎ですぐ隣が気象庁だった。ここには全気象本部があり、親しく付き合っていただいた。
地震があると担当職員が椅子なりベッドから飛び起きて「これは震度〇〇」と発表していた時代である。
先日、中央気象台初代台長何某のことをNHKで観た。
軍部が天気予報を独占するのに科学者として身を挺して抵抗し、暗殺一歩手前であった。
その天気予報も1941年真珠湾攻撃の日から敗戦まで報道管制が敷かれ、その間、台風を知らされなかった庶民の犠牲も多数発生した(1942年周防灘台風など)。
秘密保護法ができてしまった。自民党の改憲案には緊急事態法(戒厳令)がある。首相と首相官邸の虚偽答弁や資料改竄は周知になっている。
天気予報のなかった時代を復活させてはならない。
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