(詩) 竹 矢 来
京 土竜
岡山県上房郡 山村の五月
時ならぬエンジンの音がこだました
運転するのは憲兵下士官
サイドカーには憲兵大尉
行き先は村役場
居丈高に怒鳴る大尉の前に
村長と徴兵係とが土下座していた
「貴様ラ!責任ヲドウ取ルノカ!」
老村長の額から首筋に脂汗が浮き
徴兵係は断末魔のようにケイレンした
大尉は二人の案内で一軒の家に入った
「川上聡一ノ父ハ貴様カ!
コノ国賊メガ!」
父にも母にも祖父にも
何のことか解らなかった
やっと理解できた時
三人はその場に崩れた
聡一は入隊一ヵ月で脱走した
連隊捜索の三日を過ぎ
事件は憲兵隊に移された
憲兵の捜索網は二日目に追い詰めた
断崖から身を躍らせて聡一は自殺した
勝ち誇った憲兵大尉が
全員をにらみ回して怒鳴った
「貴様ラコノ始末ヲドウ付ケテ
天皇陛下ニオ詫ビスルカッ!」
不安げに覗き込む村人を
ジロッとにらんだ大尉が一喝した
「貴様ラモ同罪ダッ!」
戦慄が村中を突き抜けて走った
翌朝青年団総出の作業が始まった
裏山から伐り出された孟宗竹で
家の周囲に竹矢来が組まれた
その外側に掛けられた大きな木札に
墨痕鮮やかに『国賊の家』
「あの子に罪や無え
兵隊にゃ向かん優しい子に育てて
しもたウチが悪かったんじゃ」
母親の頬を涙が濡らした
「ワシャ長生きし過ぎた
戦争せえおこらにゃ乙種の男まで
兵隊に取られるこたぁなかった」
日露戦争に参加した祖父が嘆いた
「これじゃ学校に行けんがナ」
当惑する弟の昭二に
母親は答えられなかった
「友達も迎えに来るケン」
父親が呻くように言った
「お前にゃもう学校も友達もねえ
わしらにゃ村も国ものうなった」
納得しない昭二が竹矢来に近づい時
昨日までの友達の投げる小石が飛んだ
「国賊の子!」
女の先生がそっと顔を伏せて去った
村役場で接待を受けていた大尉は
竹矢来の完成報告を満足して受けた
「ヨシ帰ルゾ オ前ラ田舎モンハ
知ルマイカラオレガ書イトイテヤッタ
アトハ署名ダケデ済ム」
彼は一枚の便箋を残して引き揚げた
一読した村長は顔色が変わったが
黙って懐に入れ、夜更けてから
竹矢来の家を訪れた
三日後川上家一同の死が確認された
昭二少年の首には母の最後の愛か
正絹の帯揚げが巻かれていた
梁から下がった三人の中央は父親
大きく見開かれたままの彼の目は
欄間に掛けられた天皇皇后の
写真をにらみつけていた
三人の足元に置かれた便箋の遺書に
「不忠ノ子ヲ育テマシタ罪
一家一族ノ死ヲ以ッテ
天皇陛下ニお詫ビシマス」
村長は一家の戸籍原本を
焼却処分した
村には不忠の非国民は
いなかった
(「ゆりねだより第161号)「ゆり根の会」より転々載
※ 京 土竜
京都の旧制専門学校を出て「立川飛行機株式会社」に1943年4月入社
陸軍軍用機試作設計技術一課の技術者。
1945年4月に鳥取連隊に入隊,満州に渡る。
ハルピンで「玉砕部隊」のはずであったが奇跡的な幸運で9月に帰国。
作品は「赤旗」1989年2月4日付「読者の文芸」に初出(以後推敲4回)。
「詩人会議」同人。
2011年没。
竹矢来強し詩人の置土産
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