2018年4月6日金曜日

岡本太郎

   先日来、太陽の塔の48年ぶり内部公開のニュースがテレビで報じられている。
 私は近頃、縄文文化を読んだり考えたりしているが、そのニュースを見ながら「たしか表紙が火炎土器の岡本太郎の文庫本が本屋にあったな」と思い出した。文庫本ではあるが1000円以上していたので買わずにいた。
 そこで今般アマゾンで検索し、ピッタリのものではないが「神秘日本」と「日本再発見」という2冊の本を買い求めた。

 岡本太郎のことは以前からテレビで紹介されてきたし、そこそこ解っていたつもりだったが、といっても「シュールな芸術家」という程度の理解で終わっていた。
 今回2冊の本をパラパラと読んだだけだが『人を見かけで判断してはならない』ということを大いに反省させられた。
 この人は目玉をひん剥いて「芸術は爆発だ~!」などと言っているだけの≪おかしな≫人ではない。
 それどころか、本人は民俗学者と言われると怒るかもしれないが、非常に実証主義的に思考を積み重ね、その上に文化や芸術を考える文化人であり哲学者のように私は感じた。

 『神秘日本』の各章の初出は1962年~1964年というから、今から考えると貴重な記録ばかりだが、それでも岡本太郎は「昨今(昭和30年代)の近代的経済主義的功利主義」を怒り、落胆している。
 
 火炎土器など縄文土器についての感想はこのブログでも少しだけ書いたことがある。
 「縄文文化」の本を読むとその装飾は出産、誕生を表わしているとの説もあるが、後の弥生式土器に比べて「どうしても装飾せずにはおられない」作者たちの情熱を私は感じる。
 裏返せば恐怖なのだろうか、喜びなのだろうか、信仰なのだろうか。
 「日本再発見」以前に岡本太郎を発見して少し満ち足りた気持ちになっている。

 その理由の一つは密教についてである。
 私は密教について考えては見たが判らないことばかりだ。ほんとうに仏教なのか、まじないなのか…
 ただ岡本太郎が密教美術、特に曼荼羅について感じたことを読むうちに、それは宗教の究極の表現方法なのかとボンヤリと理解することができた。
 なので少しだけ楽しい。

 閑話休題
 私にとっては育ての親のようだった大先輩の訃報があった。
 元国公労連委員長内山昻さんである。
 マルクス、不破哲三と並んで個性的な字であったが、内容は常に新鮮で的確だった。

    専属の植字工ありと伝説の癖字溢れる大先輩逝く

1 件のコメント:

  1.  「閑話休題」をフェースブックにアップしたら何人かの方々から「いいね!」をいただいた。ありがとうございます。

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