しかし、”無常”を”無情”と勘違いしている人もいるが、そも”諸行無常”は仏教の根本思想である。
そこに時々の人類の知恵が反映するはずがないと考えるのは、病的に悲観的過ぎるだろう。
一昨日、南北朝鮮は65年ぶりの終戦協定に向けて一歩を踏み出した。
今後いろんな紆余曲折があるだろうが、歴史的な画期であることは間違いない。
南北会談当日は一種の到達点のお披露目である。
その日に向けて数限りないダンドリ(水面下の交渉)が積み重ねられてきた結果である。
その段取りを”外交”というのではないか。
私は安倍晋三が好きではないが、日本の惨めな外交力が世界中で笑いものになっていることには心が痛む。
”日本の誇りを取り戻す”というコピーにシンパシーを感じる人は今こそ「安倍は退陣せよ」と主張すべきでないか。
冷笑の言葉を探しまくって嫌味を言うのを”引かれ者の小唄”と言う。
直近の「北は核実験の準備をしている」という外相発言など”日本の圧力”で北が頭を垂れてきたと蚊帳の外で慰め合っているのは恥ずかしい。
なにはともあれ東北アジアの平和の時計が進んだことに、義母と小さな缶ビールで乾杯した。
帰ってからフォークルのイムジン河を聴いた。
太陽の諫め線上の衝撃波
止められぬ底流二人ハグしたり
確かに「ダンドリ」=外交という事で云えば安倍首相や河野外相の外交力はあまりにも情けない。拉致問題も誰かに頼って「あんじょう云うといてな」とお願いするのみだ。昨日のETV特集でイラク派兵に反対し裁判を起こした元自民党箕輪登氏が「軍隊(戦争)とは血を流す政治、外交とは血を流さない政治」と語っていた。
返信削除金委員長は中国習近平とすり合わせ、文大統領はトランプとすり合わせて4月27日があったことは明々白々だ。
返信削除そういう水面下のいろんなやりとりが外交だろう。
世界中から物笑いになっている安倍晋三におもねて「まだまだ信用ならん」などと慰め合っているコメンテーターの惨めさよ。
まだまだ紆余曲折はあるだろうか、これを第一歩だと歓迎できない人士の精神は病のレベルに無いだろうか。