16日の朝日新聞朝刊『政治断簡』高橋純子編集委員の文章にはう~んと唸った。
見出しは『畑作は土から 寝言は寝てから』だった。
近頃の言葉でいえば『男前』だろうか。頼りない男が目に余る昨今、『男前』はしばしば女性に冠せられることが多くなった。こういう言葉の変化というのも実に面白い。
書き出しはこうである。
「国会で議論すべきことは他にもたくさんある。〇〇問題一色になるのは残念だ。私は必ずしも安倍政権支持ではないが、野党は対案を出さずに批判ばかり。もっと政策を議論すべきだ」
以上、男もすなる「憂国しぐさ」といふものを、女もしてみんとてするなり。
①議論すべきことは他にもあるという〈嘆息〉 ②私は「中立」だという〈弁解〉 ③野党は対案を出せ、政策論議をせよという〈すり替え〉
――が基本セット。なにげに手軽に高みから知ったげに何か言ったげになれるがゆえに流行中だが・・・
そして、
畑の土が汚染されていることがわかった。もうこの畑で作物をつくるのは無理ではないかという議論をしているときに、いつまで土の話をしているのか、ニンジンをうえるかジャガイモをうえるか議論すべきだ、冷夏への備えも必要なのに、対案を出さず批判ばかりして……などと言い出す者は正気を疑われる。
・・・信頼などどうでもいい、成果さえ上がればいいという立場もあり得るだろうが、それはもう政治ではなくビジネス、それもかなりブラックなビジネスの感性と言わざるを得ない・・・
最終章では、社会学者大澤真幸さんの言葉を引用して、
「現実主義だリアリズムだと言って、可能なことだけを追求するというのは単に、船が沈むのを座して待つということにしかなりません」
・・・いろんな意味でこの国は老いているとしみじみ思う。どうすれば若返れるか……あっ。「やらされモードではなく、死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件」かもしれない。自分の記憶の限りでは。(と、結んでいる)(以上は抜粋)
本文にもあるが、見出し後段の「寝言は寝てから」もいい。
私が意気に感じて「ヨオッ男前!」と天井桟敷から掛け声を挙げたくなった気分も理解していただけると思う。
女だから男だからとすぐに言うのは正しくないが、東京新聞の望月衣塑子記者といい女性ジャーナリストの奮闘が目立つのは頼もしい。
朝日新聞の『折々のことば』に「やらないうちからできないというな」というのがあったが、高橋純子氏の締めの言葉は一人ひとりの市民への訴えになっている。うがった見方をすれば男性記者諸君が氏の頭の片隅にあったかもしれない。
そして思うのだがこの言葉、民主勢力と言われる中の人々も噛み締める必要がないだろうか。
ホバリング鵯は椿に季を惜しむ
ヒヨは盛んに椿の蜜を吸っている。急げ、今年の春は足早に去って行くぞ。
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