2018年4月1日日曜日

キャリアのことなど

   森友事件のおかげで行政官庁のキャリアとかノンキャリアという言葉がよく話題になるようになったので少し感想を書いてみたい。

 キャリアというのは国家公務員の上級職(Ⅰ種採用)試験を合格して採用された者を指すが、私の感覚でいえば、行政職(総合職)以外の研究職や専門職は上級職合格者であってもあまりキャリアの匂いがしない。個人的な感想だが、事務次官コースとは最初から外れている場合が多い。

 そのキャリア中のキャリアである上級職の行政職合格者の大半は東大法学部卒であり、これも、他の大学卒業者で事務次官レースに残る者は珍しい。ないことはないが。
 キャリアは基本的には本省で働くが、若いうちは研修的経験のために地方局の幹部ポストなどを渡り歩いたりする。

 本省の中でもキャリアというのは特権階級のようなもので、〇〇課でいえば課長一人ぐらいがキャリアで、圧倒的には上級職採用以外のノンキャリアが仕事をおこなっている。
 外から見た感想でしかないが、ノンキャリアはキャリアである上司が在任中に仕事上のミス(バッテン)(キズ)が付かないように細心の注意を払っている。
 本省内部のキャリアとノンキャリアはこのように人種差別があった時代の別階層の人種?のようにも感じる。戦前はトイレも別々であったが、それに近い感覚は今もある。

 ビジネスマン、サラリーマンなら研修で「ほうれん草」を叩きこまれたはずである。「報連相」は「報告、連絡、相談」で、組織として仕事をする上で徹底される言葉である。
 低いレベルながらも、私も職員研修の講師のときには常々強調した。
 
 本省のキャリアのポストの仕事と課題は国会議員からの問い合わせやマスコミからの問い合わせに如何に迅速・的確に答えられるかにあるように思われる。
 だからキャリアはノンキャリアである部下に常に的確な「報連相」を求める。
 そして直接「報連相」を求められるノンキャリアの課長補佐や専門官等は、どんなに複雑な事案であってもA4数枚にまとめて「報連相」を行うのが常であるが、そのA4数枚は公文書ではなく単にペーパーと呼ばれたりする。

 だからお判りのとおり、近畿財務局内で「安倍事案」と呼ばれていた「〇政事案」を、本省のキャリアが知らずに、地方局や本省のノンキャリアだけで実行したなどということは絶対に信じられない。
 官邸のノンキャリアである谷査恵子夫人付け秘書官が同じ経産省出身のキャリアであり、官邸では上司に当たる今井首相秘書官、そして昭恵夫人に「報連相」をせずに独断で行動したなどということも同じである。

 さて、官庁は文書主義が大原則である。政治家やマスコミと話した内容も直ぐに文書にして「報連相」をしておく。それは担当者の「身の安全」のためにも徹底されている。
 「探したがない」とか「廃棄した」というのはほとんど嘘である。

 なお話題の決裁文書だが、ルーティンワークのようなものなどは、例えトップの名前で発出された文書であっても部下に専決させているものが多い。
 大きな規模の組織で専決があるのは当然であって「虚偽」や「不正」には当たらないと理解している。
 それでも何かのときには最高責任者が責任を取るというのが、任命責任であり官庁の掟のようなものである。そういう意味で森友の「責任者」を私などは生理的に受け付けない。

 反対に、専決させていない重要な文書は普通には印鑑を用いず、花押つまり手書きサインで決裁される。
 その種の文書は「てにをは」まで徹底してチェックが入るから、そういう「〇決裁」と呼ばれる決裁文書の持つ意味は非常に重い。(電子決裁の状況は不知)

 感想の最後を言えば、「キャリア=(イコール)悪人」という単純な話を私は肯定しない。
 一般論を言えばキャリアは頭の回転は速いし、テーマの周辺にかかる知識も豊富である。
 だから、仕事を見ていて感心したキャリアの人もいる。
 反対に、受験勉強だけでここまで来たのかと人間性に疑問を持った人もいる。
 そういう意味では、ノンキャリアの中にもつまらぬ人間はいるし、民間にも同じような人はいる。学者や医者や司法界だって同じだろう。十把一絡げの断定は好くない。
 それに、ノンキャリアにも民間にも学歴や試験に関わらず仕事のできる人、人格の優れている人がいるのも至極当然である。

 少し寄り道だが、本省帰りのノンキャリアがよくキャリアの横暴を愚痴っていた。何らかのペーパーをもって報連相に及んだが出来が悪く、そのペーパーを紙飛行機にして霞ヶ関の高層ビルの窓から投げられたと一杯呑む度に愚痴っていた。ノンキャリアもノンキャリアだったかもしれないから公平な評価かどうか分からないが、それにしても・それはいくらなんでもの話だった。
 古い体育会系の話として1年生は奴隷、3年生は天皇みたいな話があるが、「それはいくらなんでも」が通っていたのかもしれない。これは寄り道。
 
 私は退職前にキャリアの上司に直接仕えたが、ことあるごとに現場の実情や苦労を話した。そして「貴方が幹部や事務次官になったときはここの現場の一線職員を思い浮かべてほしい」と繰り返し話をした。

 つまらぬことをグダグダと書いたが、「キャリア=(イコール)悪人」ではないということは繰り返しておきたい。もちろん、ノンキャリアを含む国家公務員全般にも言えることだ。「官から民へ」だとか「小さい政府」という論調も同様に承諾し難い。
 それだけに、超法規的圧力を加えた政治家や、彼らのお先棒を担ぐ財務省の一部キャリアが、全ての責任をノンキャリアの部下のせいにするのは断じて許せない。全経済産業省労働組合飯塚副委員長ではないが、腸の煮えくり返る思いは私も一緒である。

 以上の文章はキャリアというものを正確に解説したりしたものではなく、私の職業生活を振り返っての感想である。
 「ああ、ああ、そんなものか」と雰囲気を感じてもらえればそれでよい。
 そして、省庁によって大きなばらつきはあるが、ノンキャリアの多くの職員、そしてキャリアでも地方局の時代などは労働組合の組合員であることが多い。
 そして、国公労連や都道府県国公傘下のその労働組合では、行政民主化、司法民主化などの研究、提言、さらには個々の政策に対する国民目線に立った運動を地道に推進していることも理解してほしい。

4 件のコメント:

  1.  先日の「佐川元国税庁長官」の証人喚問の際、近畿財務局の職員が「自殺」したことについて感想を尋ねられた際、「特に感想は無い」と答弁したことにびっくりしました小生には到底あのようなことは言えないと思いました。ブログは今では毎日楽しみにしています。

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  2.  ちぬの海さん、メールでコメントいただきありがとうございます。一部の官僚のおかげで公務員労働者全体のイメージが歪み官民分断に乗せられるのを危惧してこんな記事を書きました。第二第三の自殺者を出さないためにも国公労働運動のOBたちが何らかの声を上げるべきときではないでしょうか。4月10日には国会内で緊急院内シンポジュームが開かれます。

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  3. キャリア官僚の有様はご指摘のとおりだと思います。
    加計学園問題では、前川次官(前)が暴露しています。和泉補佐官が総理は直接言えないから総理の意を受けた自分が代わりに言うのだと圧力をかけられたと前川次官(前)が証言しています。それと、全く同じ構図が森友学園であり、その役割を今井秘書官がやっているのは誰がみてもはっきりしています。そうでなければ、官庁の中の官庁というプライドのある財務省の局長があれだけ泥をかぶるようなことはしないです。総理の意を受けた今井秘書官が迫田理財局長(元)に圧力をかけて、国有地を不当に安く払い下げたものに間違いないと思います。このことは、麻生大臣、事務次官、官房長には報告されており、了承されているはずです。そして、佐川局長(前)に引き継がれているのに間違いないと思います。国の職員は勇気をもって、不法不当なことについてはどんどん内部告発をすべきと思います。

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  4.  無常さん、貴重なコメントありがとうございます。ただ官であれ民であれ内部告発はけっこうしんどいものだと思います。そのときに、そういう良心を代弁し弁護するのが労働組合ではないでしょうか。その労働組合が、官も民も総じて苦労している時代です。そういう時代にOBたちは何かできることはないかと心を痛めています。よくいろんな場面で「声を上げることが大事だ」「語り続けることが大事だ」と聴くのですが、その割にそういう声がなかなか届いてきません。『不言は不実行』だと思います。これからも力をお貸しください。コメントに感謝。

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