2018年4月9日月曜日

土俵

 多くの人々は大相撲を神事というよりも、周辺に神事の性格を残しつつも基本的にはスポーツとして観戦していると思う。それが常識だろう。
 主たる性格が神事であるなら日本相撲協会が公益財団法人であること自体が不当になることは当然だ。

 さて私の卒業した堺市立大浜中学校にはその昔れっきとした土俵があり相撲部があった。
 中学校で立派な土俵があった理由は知らないが、今にして思えばちょっとした特徴だった。体育の時間にそこで相撲の授業もあった。懐かしい。

 ところで読者の皆さんは、高校野球のメッカが甲子園なら『アマチュア相撲のメッカ』と聞くと何処だと思われるだろうか。
 これが堺市の大浜公園相撲場で、もちろん土俵がある立派な建物だ。大浜中学校の校区であるのはいうまでもない。
 ここではいろんなアマチュア相撲大会が開かれ、全国大会はもちろん世界大会も開かれている。
 アマチュア相撲の国際連盟は「SUMOUをオリンピック競技種目に」という運動もしている。
 大阪府下にこんな殿堂のあることを知らない大阪人もいるのが少々残念。

   で、ここまで言えばお気づきのとおり、「全日本女子相撲大会」も「世界女子相撲選手権大会」もしっかりある。
 堺市議の山口典子氏は日本女子相撲連盟の顧問も務めておられる。

 土俵は神聖とか女は穢れているなどという寝言をいう人はこういう素晴らしい現実に対して無知でしかない。

 ちちんぷいぷい等の番組でも京都両洋高校女子相撲部の奮闘が取り上げられていたのを知っている人は多いだろう。
 7日のテレビでは奈良興福寺ゆかりの宝蔵院流槍術でも女子の初級が生まれたことを報じていた。

 時代は大きく進歩している。
 誰であっても過去を引きずりながら今を生きているのであるから古い抜け殻をお尻にくっつけているものだが、そこに安住して考えることもしないで「伝統だから」などと知ったかぶりはしない方がいい。

 そんなことを言っている人間で(私よりも)年中行事を大事に行っている人は少ないのでないか。
 それに「それなら宝塚に男も入れろ」的な反論が成り立っていると思う思考水準がお粗末だ。
 歴史を学ぶ意義は今をよりよく生きるためである。
 「伝統」という言葉に甘えて内省と自己改革をサボってはいけない。

 紛れもない事実は、穢れない?男も全て母なる女から生まれたのである。ただ一人として例外はない。人間の属性をもって穢れなどと言うのはほんとうに止めにしなければならない。
 穢れの観念を肯定すれば身分差別も肯定しなければならなくならないか。
 
 日本相撲協会はいい加減にしないか。周辺に神事の伝統を大事にするのはいいが、穢れ理由の土俵上の女人禁制は絶対にないと私は思う。

2 件のコメント:

  1.  中学校の同級生が大阪でも有名なK大学の相撲部で活躍しました。同窓会で会った時など日本の大学の相撲部と日本相撲協会の繫がりの中でその保守的な体質を話してくれたことがありました。
     貴乃花部屋騒動の後も協会の隠ぺい体質や、差別体質は変わっていません。今回の宝塚市の女性市長も土俵の下で挨拶させるなら「断る!」ぐらいの姿勢を示してはどうか、と思いますが、ただ「伝統行事だ、神事だから」VS「時代の流れ、民主化せよ」だけでは解決しないような気もします。私なら「女性市長ですが体格的にも問題ありません!違いは女性だという事です。こんな可笑しいことはないのでは?」とウイットを交え批判するぐらいの余裕があった方が相撲協会の頑なな姿勢を崩すのでは、と思ったりします。ちょっと問題発言ですかな。

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  2.  私は神事の側面を否定しません。高校の相撲部などでも神社の祝い事などに呼ばれて四股を踏んだり奉納相撲をしたりということもありました。しかし現在の大相撲は外国人にも門戸を開いたプロスポーツの側面が主となり、それゆえに公益法人にもなり、また八百長が非難されるのでしょう。だから伝統を大事にしつつ時代に見合った自己改革を期待するものです。
     死んだような歴史を伝統だと言ってしまえば、相撲はそもそも興行ですし、やくざと二枚看板であった側面もあります。もっと素直に「日本の伝統から生まれた立派なプロスポーツ」として成長してほしいものです。

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