2017年7月7日金曜日

老農中村直三

   何かの巡り会わせのようなことがあるものだ。
 奈良公園の中を南北に横切る幹線道路を走ると、県庁東の交差点の北東に石碑がある。
 「いつも通りながら思うのだが、あの石碑は何やろな」と妻と話してきた。
 だいたい芝生の緑地の前には低い柵がある。普通に考えれば立入禁止だろうが、その奥の石碑も案内板も緑地の外からでは全く読めない。
 「あの案内板は案内する気があるのやろか」とも話していた。

 先日、奈良大学の公開授業に行ってきた。
 テーマは「老農中村直三と大和の農業発展」であったから、結構地味なイメージだったので、正直、あまり期待もせずに参加した。
 老農の「老」は、経験者の敬称であり、老中とか元老とかに通じるように、決して年寄りということではない。
 Wikipediaで「老農」を検索すると、「おもに明治時代、農書に基づいて在来農学を研究し、これに自らの体験を加えて高い農業技術を身につけた農業指導者。特に群馬県の船津伝次平、奈良県の中村直三、香川県の奈良専二の3人は明治の三老農と呼ばれ、・・・彼らは、輸入学問であった近代農学とは独立して、近世以前の在来農学の蓄積に基づき、単なる個人の経験の寄せ集めという段階を越えた実証主義的な態度からの技術改良を志向した。一部には、イネの品種間の実証的な比較収量試験を行ったり、メンデルの法則の導入以前から交配によるカイコの品種改良を試みるものもいたという。この老農らによって、1875年頃から各地で種子交換会や農事会など、農業技術の交流を行う組織が形成された。また、老農らによって集約・収斂された在来農学の集大成は明治農法と呼ばれた」とある。


   授業ではいろんな史料に基づいて中村直三を学んだが、授業終了時に先生が、「中村直三の顕彰碑が奈良公園の交差点の北東にある」とぽつりと付け加えられた。ええ。

 昨日も「あの石碑は何やろな」と言っていた昨日の今日である。
 中村直三に「呼び寄せられた」と言ったらオカルトめくか。
 おかげで、普通なら忘れてしまうだろう中村直三・・忘れられない名前として確実に私の頭にインプットされてしまった。

 先人の知恵と苦労に比べて、わが菜園レベルのなんと安直な事よ。


中村直三農功之碑


  くちなしの香りと豪雨のニュースかな

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