2017年7月22日土曜日

折鶴のバッジ

 『やすらぎの郷』では中島みゆきの歌がよく流れるが、〽ファイト!闘う君の唄を 闘 わない奴等が笑うだろう と繰り返される場面は印象的だった。
 元々、人生では、理不尽がいっぱいの世間に流される方がよほど楽であって、そうではなく、身をよじって諦めずに闘え!という歌詞はある意味とても厳しいが、「そんなことは理想だ」と冷笑する奴等にふるえながらものぼってゆけというメッセージは、まるで、よい意味で宗教の説く「人の道」のような気がする。

国連軍縮担当上級代表
中満泉氏
   そも、「原発は要らない」というと「時代遅れの理想主義だ」と冷笑された時代があった。核兵器の禁止も「非現実的だ」と馬鹿にされた時代があった。
 しかし、だからと言って理想を捨てれば、人は人でない只の守銭奴にならないか。そして歴史を俯瞰すると、昨日の理想は、今日の明日の現実になるのだ。
 それでこそ、限りあるこの世に生を受けた「人生」ではないのか。

 マスコミは例によって、どちらかというとスルーしているが、7月7日、人類史上初めて「核兵器は違法だ」とした核兵器禁止条約が、国連「交渉会議」で国連加盟国の3分の2を上回る122カ国の圧倒的多数の賛成で採択された(オランダが反対、シンガポールが棄権)。
 その条約の人類史的画期性もさることながら、別の側面から見ると、いくつかの「大国」間の談合で国際社会が動く時代は終わった。
 国際社会でも民主主義が動き始めた。
 大新聞が軽視するところで、歴史が確実に回転し始めたような気がする。

 この会議には、政府代表とともに『市民社会』も正式に参加して議論が深められたのももう一つの特徴で、日本の『市民社会』としては、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)、原水爆禁止日本協議会(原水協)とともに日本の政党では唯一日本共産党(志位委員長代表)も参加していた。

 カナダの市民社会の代表として発言したカナダ在住の被爆者サーロー節子さん(85)は、「この瞬間がくるとは思っていなかった。心と知力を尽くしてくれたことに感謝したい。核兵器廃絶に近づく壮大な成果で、この日を70年間待ち続け、喜びに満ちている。核兵器の終わりの始まりだ。核兵器は道義に反してきただけでなく、今では違法となった。世界の指導者はこの条約に署名すべきだ」と強調した。

 採択後40人近くの政府代表が歴史的な壮挙をたたえあい、拍手がタブー(☜これは知らなかった)の国連会議の常識を打ち破り、発言が終わるたびに大きな拍手が湧いたという。
 国連の中満泉(なかみつ・いずみ)軍縮担当上級代表は「この条約締結は、核なき世界の追求へ生涯をささげてきた全ての人々の希望のともしびとみなされるべきものだ」と強調。
 参加国は、核兵器廃絶というこれからの大きな課題を確認し合ったが、唯一の戦争被爆国の日本政府は会議に不参加。安倍政権の(この条約で否定された)核抑止力論にしがみつく極右的体質を世界中にさらした。
 世界中が理想を捨てなかったからこそ実現したこの現実を噛み締めたい。


   なお条約前文の掉尾は、『・・核兵器完全廃絶の呼び掛けに示された人道の諸原則を推進するための市民的良心の役割を強調し、またその目的のための国連、国際赤十字・赤新月社運動、その他の国際・地域組織、非政府組織、宗教指導者、国会議員、学術研究者、ヒバクシャの取り組みを認識し、 以下のように合意した。』との文言で飾られている。

 そして、中満泉国連軍縮担当上級代表や核兵器禁止条約国連会議の議長を務めたエレン・ホワイトさん、ルイス・ギジェルモ・ソリスコスタリカ大統領も胸につけていたのが被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の折鶴バッジ。

 被爆者の苦労を忘れず、人間の理想に向けての理性を信じて、私も胸につけていきたい。

    炎天の胸に輝く折りし鶴

2 件のコメント:

  1. 確かに報道の量は少ないですがじわじわと浸透してきているように思います。いや、私たちが此のバッジをつけて知らしめていくことが大切なように思います。

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  2.  日本の真夏にオリンピックをしようという非常識な人々がいるが、日本の夏はいくら夏服だからといっても御免蒙りたい。とすると毎日バッジを取り換えなければならないことになるから、となると帽子かバックにつけるのが一番かとなる。
     折鶴バッジ、広がってほしいなあ。

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