老人ホームの夏祭りがあった。
櫓を組んで、店が出て、テントを張って、施設のスタッフの皆さんのご苦労は大変なものである。
単純に「施設の行事だから行う」というようなスタンスではこうはできないことだと感心する。
ここのスタッフの福祉にかける意識は高いように感じる。
屋台は、幾つかのボランティアグループ、地域社会福祉協議会、親しいキリスト教会等々が担ってくれた。
わが家族会は「千本引き」と「ヨーヨー釣り」を主に担当したが、開会早々から地域のちびっ子たちで大繁盛だった。
ちびっ子に引かれて多数の地域の方々が来ていただけるという意義は大きい。
よく人里離れた土地に老人ホームを見かけることがあるが、「閑静な環境」というよりも「姥捨て施設」扱いでないかとヘンに想像するときがある。誤解なら謝るが、正直なところそう感じる時がある。
ニュータウンの中に堂々と立地し、こうして地域の皆さんが来てくれる施設というのは珍しいかも知れない。ありがたい。
どんなイベントであっても、表舞台よりも裏方や準備作業(&後始末)が大変なもので、ヨーヨーを300個膨らませるのは重労働だし、よく失敗して萎んだり破裂するヨーヨーが水鉄砲になって体中に水をかぶったりしたが、真夏の午後だったのでそれも笑い話になった。
以前の記事に書いたが、今年は駅弁の「番重」(ばんじゅう)を制作し、ヨーヨー釣りを入所者の皆さんに出前した。
入所者の皆さんは車椅子のまゝテントの中や櫓の周りにいるから、地面に広げたプールまでヨーヨー釣りに来てもらうことはできない。
なので夏祭りといっても、入所者にとっては食事以外は圧倒的には「観客」になってしまいがちだが、介助されながらも「自分」で「出前のヨーヨー」を釣り上げた顔は例外なく笑顔であった。
日頃はほとんど笑わない方が、「わあ、何日ぶりかで笑顔を見せてくれた」とスタッフの方々が驚くということもあった。
翌日には、「夏祭り?そんなんあったかいな」ということであってもかまわない。
ベッドの横のヨーヨーを不思議がってくれてもかまわない。
こういう取り組みを、「効果」や「効率」で測ることは適切でない。
いつかみんな、手を取ってもらってヨーヨー釣りをさせてもらう時が来るのだ。
それまでは、準備する側で楽しんでおこうと思う。
夏祭り幼稚園になるホームかな
そこまでして、得られる喜びは大きくなくとも、自己満足ではないか?と思ったりすることがあったとしても、、、笑顔ひとつで報われる、お互いの笑顔を共有するという事が大切なのかもしれません。たとえ、「いっとき」だったとしても。
返信削除介護問題といっても百人百様、正しい答えなどありませんが、私が当事者になったとき、「いらんことせんといて」「寝といて寝といて」と消え去るのを待たれるのも少し寂しいと思います。
返信削除で、楽しいだろうなと思いつくことを無理をせずにしようと思っています。
決して、犠牲的精神でガンガンになってするのはいけません。家族自身が楽しいと思えるような緩さが大切です。
私たち家族会の夏祭りはそんなコンセプトで取り組みました。