いつも歩いている遊歩道沿いに大きな空き地がある。周りは金属製の囲い(塀)で囲われているが歩道橋の上からだけ中が少し見える。といっても、唯々だだっ広い荒地である(写真の左上は雨水が溜まっただけの水溜まり)。
そこにコチドリがマイホームを築いているのは鳴き声で判っていた。時々けたたましく鳴いているときはカラスに卵などを襲われているのだろう。
もう少し隠れやすいところに巣を作れば!と思うが、コチドリに学習する気配はない。
コチドリの鳴き声は「ちんちん」が一般的で、夜に聞くその声を古人は万葉の時代から物悲しい声と聞いた。北原白秋の「ちんちん千鳥」もその延長線上にある。
だが、別の本には「千代千代」という聴きなしもあり、故に千鳥は目出度いテーマの日本画などにもよく登場する。
私などは、少しばかり悲壮な感じのするその鳴き声を聞いて、もしかしてカラスに喰われたのではないだろうかなどと想像するものだから前者の方が近いが、同じことなら今後は目出度いことを想像しよう。
実際の鳴き声はピョピョピョピョピョというかチョチョチョチョチョという感じであるから、「ちんちん」よりも「千代千代」の方が近いように思う。
ただ、漢字の「千代」を連想するには、「そのように聞きなした先人がいた」という知識が必要なように思われるから、それを記憶に留めておきたい。
そのうちに、この空き地に何か大型の施設が建ち、ここの頭の上を千鳥が飛んでいたもんだ!という話をしても誰も信じない時代が来るだろう。
千鳥のために空き地を残して!と言っても賛同は得られないだろうし、ならば、今のうちにブログに残しておこう。
貴方の長寿を寿ぐ小鳥がいたことを。
夏の夜や千代に八千代と千鳥なく
そういえば何処かの寺院の襖絵に千鳥を見たなあと検索したが判らない。その代わり、あの「松の大廊下」は松並木に千鳥の襖絵であったことを知った。やはり千鳥は目出度い鳥だった。
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