エドワード・ワン 著・仙名 紀 訳『箸はすごい』柏書房という読みごたえのある一冊を読んだ。
元から持っていた一色八郎 著『箸の文化史』お茶の水書房や、田中淳夫 著『割り箸はもったいない?』ちくま新書と併せて、知っているようで知らない文化史を教えてもらった。
ただ私の一番の興味ある課題、個人専用の食器『属人器』についての解明は十分ではなかった。
このテーマはその昔、田中 琢 佐原 真 著『考古学の散歩道』岩波新書の中の佐原 真が著した『わたしの茶碗・わたしの箸』の章で提起されていたもので、世界でも珍しい『属人器』という思想がなぜ日本にあるのかというものだ。
考えてみれば、おかずを入れた皿やカレーライスのスプーンの共用は当たり前なのに、飯茶碗、箸はどうして共用せず「専属」なのかというのは不思議である。
もともと貴重なものだったから専属が元来の形だったのか?その可能性は低くない。特に大事な食器に神聖な観念、あるいは反対に他人が使用したものには穢れの観念が生じたのか。結局、『箸はすごい』の著者エドワード・ワンは深くは興味を抱かなかったようだ。
私は、禅宗の箱膳あたりが大いに関係ありと考えるのだが、禅宗の本家である中国の文化にはないという。
さて、夫婦二人だけの現代のわが家では、飯茶碗、箸、湯呑、お椀、グラスは基本的に属人器である。ただ、湯呑以下はそれほど厳密な感じはなく、湯呑もお椀もいわゆる「夫婦(めおと)〇〇」のちょっとしたものを使っているからにすぎない。ただし、男性用の大きい方が妻のものである。グラスは、何かの日に子どもたちからお父さんに、お母さんに、ともらったからそうなった。
それに対して前二者はけっこう厳密で、たまにしか使用しなくても、息子ファミリー、娘ファミリーの全員の飯茶碗も箸も全て特定の物が用意されている。
ただ、これがわが家だけのことなのか、沖縄を除く日本全国共通の感覚なのかは一部疑問がある。沖縄にはそれはないようだ。
昔大きな旅館で大宴会のとき、ご飯をお代わりすると他人の飯茶碗とごく普通に入れ替わることがあった。仲居さんは当然という顔でそうしていた。
私などは、ご飯のお代わりのときには完全に空にせず、ご飯を少し残した形でお代わりするように躾けられていたから、少し嫌な気になった。
あれは、大旅館の粗雑の故だったのだろうか、それとも、杯の「返杯」のように、少なくともその地方では『属人器』の観念が薄い故だったのだろうか。ただ、『属人器』でない器であっても、少なくともその食事中については基本は属人=銘々器だと思うのだが。今でもお代わりの飯茶碗の入れ替わりは好きでない。
と言いながら、居酒屋ではいろんな料理を並べて、みんなで突き合うのが好きなのだが・・・。
佐原 真氏の文章では、現代社会で『属人器』があるのは日本と韓国だけらしい。
また、『属人器』であることが大前提である、お葬式の出棺の際に飯茶碗を割る風習は韓国と西日本だけらしい。
この外、箸の定説では日本人が箸を使用し始めたのは7世紀と言われている。3世紀の倭のことの記録である倭人伝も「手食」とある。
しかし、後漢王朝から金印を下賜され、魏王朝に柵封され、帯方郡と人的交流もあったなら、少なくとも倭のエスタブリッシュメントは、当然プライドをかけて箸食をしていなかっただろうか。
解らないことは山ほど残されている。
空梅雨も豪雨もごめんほどほどに
箸というと、わが家では昭和30年代までは箸箱があった。(弁当以外に)
返信削除読者の皆さんはどうだっただろうか。
少なくとも私の息子や娘には箸箱を買っていない。いわんや孫においておやだ。
私にとっては「この間まで普通の日本文化」だったが、あと数年たつと「信じられな~い」と馬鹿にされることだろう。