2017年7月9日日曜日

箸はすごい 2

   7月4日の「箸はすごい」のパート2のつもりである。
 コメントで「皆さん、箸箱の経験は?」と問うたが、光陰は矢以上に遠ざかっているようだ。

 私は末っ子である。父も末っ子だった。何を言いたいかというと、今に思うとそのおかげで同年代の中でも少しばかり古い習慣を自然に覗き込むことができていたらしい。
 もっと言えば、祖母は明治維新以前、江戸時代の生まれであった。そして両親は明治生まれだった。
 
 小さい頃の記憶は日に日にぼやけていくが、小さい頃、祖母は箱膳を使用していた時期があった。
 だから禅寺の食事作法のとおり、食器(少なくとも箸)はたくあん(おこうこ)とお茶できれいにして、そのまま洗わずにしまっていた。
 その後、わが家から箱膳がしまわれてからも、みんなの箸はそれぞれの箸箱にあった。(前回コメントのとおり)
 ということは、私が小さい頃は食事ごとに箸を洗うのでなく、たくあんとお茶できれいにして、そのまま箸箱にしまっていた。
 父親が他界し、私などが学校で衛生知識を得、ようやく箸箱がわが家から消えたのは昭和30年代の後半だったように思う。

 以上の話は4日の記事の「属人器」が大前提だ。
 一般に、「忘れ去られる過去の伝統は儀式的な場に生き残る」といわれる。
 とすると、正月の祝箸は箸紙(箸袋)に名前を書くのだから属人器の典型である。
 そしてそれは古くは、全国的に一般的に、少なくとも正月3が日は洗うことなく使用するのである。これは日本に箸箱があった時分のごく普通の作法であった。
 ただ我が家では、箸紙(箸袋)に属人器の伝統は残しつつ、祝箸それ自身は洗うようになってすでに久しい。

 以上のような他愛ない話をなぜ書いたかというと、ついこの間まで日本には箸箱というものがあり、箸は食事ごとには洗わなかったという事実が、いくらネットを繰ってみても出てこないということに些かショックを受けたからである。
 文化史というようなものは、宇宙船のようなスピードで遠ざかってゆくのだ。

    降る雨や昭和まで遠くなりにけり

0 件のコメント:

コメントを投稿