2017年7月30日日曜日

映画が輝いていた頃

 2年に1度開催される河瀬直美監督をエグゼクティブディレクターに迎えた「なら国際映画祭」が資金不足というニュースがあった。
 現在奈良市内には映画館が1軒もないという状況だからやむを得ないのかもしれないが、寂しいニュースである。
 
   しかし近代史の頁をめくってみると、昭和2年、あやめ池に『市川歌右衛門プロダクション(右太プロ)』という撮影所があり、その前後には『聯合映畫藝術家協会』、『中川映画製作所』、『日本映画プロダクション』、『谷崎十郎プロダクション』、『全勝キネマ』などのスタジオが奈良にあり、現在の奈良公園は格好のロケ地であった。

 地元新聞は「〇日にどこそこで〇〇プロの撮影がある」とか「どこでこんな撮影があった」とか、あるいは映画俳優による一種のファンサービスの行事などの記事を残している。
 役所は役所で、「二本差しで電車に乗るな」的な「ロケーション取締規則」も検討した(施行されたかどうかは不知)。
 いずれも、昭和15年皇紀2600年の戦時体制前に消えていった。

 時代は跳ぶが、私が小学生の頃は夏休みによく巡回の映画会があった。場所は近所の天理教の教会だった。
 映画の内容は99%忘れてしまったが、「日本脳炎の元であるアカイエ蚊を退治しましょう」という従的な映画があったのだけは覚えている。
 24日の朝日俳壇に 「かの夏や野外映画のなつかしく(越谷市)新井高四郎」 というのがあったが、そういえば小学校の校舎の壁にシーツのスクリーンが風に揺れていた。
 映画は覚えていないが野外映画の光景だけは今も覚えている。
 過ぎた過去はどうしてこうも名画のごとく美しいのだろう。

    夏の夜の映画の外の虫の声

4 件のコメント:

  1. 懐かしい顔 市川歌右衞門 「旗本退屈男」 何作 何本 映画館に通って観ていた事でしょう。小学生の頃は 夏休みになれば 校庭で 上原謙の古い映画を観たりもしました。本当に 懐かしく 思います。高校生の頃 テスト勉強中 本を持って 映画館に行ったりした事も、(勉強出来る筈もないのに) 思いだしました。

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  2.  ミリオンさん、相当な映画通ですね。映画館で試験勉強には笑いました。
     映画に影響を受けたということではウエスト・サイド物語です。男子がダンスをするのもありなんだと驚きました。ジョージ・チャキリス。

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  3. ウエスト・サイド物語 何度 観に行った事でしょう!今でも、場面と歌が 思い出されます���� 娘達と劇団四季のウエストサイド物語を観たりもしました。やっぱり 青春かな?(苦笑��)

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  4.  ミリオンさんの溢れんばかりの青春に乾杯です。心が乾くと老人になるんだぞと自分に言い聞かせています。

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