先日来私は、東京大学史料編纂所編「日本史の森をゆく」(中公新書)を引いて、ある事実の共通認識が事件後70年を経ると大きく変化することがあるということを紹介してきた。
そして今日が、敗戦後71年の節目になる。
事実、稲田防衛大臣は日中戦争~太平洋戦争について、それが侵略であったかどうかは一概に言えないと、歴史を修正しつつある。
蛇足ながら、ヨーロッパで歴史修正主義というのは、ナチスのホローコーストがなかったという主張と同義語であり、民主主義と相いれない幼稚で危険な主張というのが「共通認識」であることを付言しておく。
さて、各自が自分自身の胸に手を当ててみれば容易に想像できるが、被害体験を語るのも辛いだろうが加害体験を語ることは何百倍も何千倍も辛いことだろう。
そうして戦争体験者は口を閉ざしたまま墓場まで持って行ったに違いない。
それをいいことに、日本会議の櫻井よしこなどは「日本人がそんな酷いことをするはずがない」というような非論理的でかつ苦しい加害体験を癒すオブラートで、侵略や加害の事実をなかったことにしようとしている。
作家百田の「家族や愛する人の為に命をささげた」というストーリーも大局的にみれば歴史の修正だと思う。
では事実はどうか。
海外での事実は少なからず語られているのでここでは少し視点を変えて沖縄を見てみる。
戦後が終わっていないといわれる沖縄では、今も辺野古や高江で暴力的に住民を排除して米軍基地を整備しつつあるが、宮古島での戦争体験を短歌にして発表してきている大正2年生れの高沢義人氏の戦争体験記にはこういうくだりがあった。
『住民と兵士が同じ壕に避難しても壕の奥に兵士、手前に住民を追いやりました。・・・飢餓がひどくなると・・・兵隊は民家に徒党を組んで泥棒に入った。農民の貴重な財産である家畜を奪い、食糧を奪い。・・・極めて悪逆だった。軍は兵士の強盗を黙認しました』と。
『元日本兵が語る「大東亜戦争」の真相』(しんぶん赤旗社会部取材班)には、それの何層倍もの人体実験、試し斬り、刺突訓練、強姦と証拠隠滅のための焼き殺し、大量虐殺と口止めの事実が実名で語られている。
満州からの引揚げの様子では、「敵に居場所が分かるから」ということで親に子どもの殺害を命じたこと、一般居留民だけの列車を、「足手まといになるから」と日本軍が爆破したことなども証言している。
また戦争体験記に共通して指摘されていることは強烈な悪臭であり、もしイラク戦争やシリアの空爆等のテレビが悪臭を発したならば、余程今とは違う世論が形成されていたことだろうと私は思う。
だが人間には知恵がある。その実体験がなくても想像できる知恵がある。
戦争を知らない世代はその知恵をフル回転するべきときにある。
今日は8月15日。
西木空人選 朝日川柳 8月16日
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